2010年09月19日

ジャパン・リバイバル・ミニストリーズ聖会(9月20日21日)

モトイです。
明日から下記の聖会で奉仕をしてます。



もし東京近辺でこの聖会に参加される方は、私を見たら是非お声をおかけください。
講師の接待で裏方に引っ込んでいますが、21日の夕方には受付の講師サイン会でうろついてます^^)v。




JRM2010秋.jpg


JRMのサイトは:http://www.jrm70.net/





私が接待をするのは、韓国系アメリカ人の女性牧師のサン・ファニン先生です。




ブログへのコメントやメールへのお返事は遅れますのでご了承ください。




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2010年06月25日

聖書と日本フォーラム参加報告 その2

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんに神の祝福がありますように。

 聖書と日本フォーラム参加報告の続きです。今回はエリヤフ氏の息子で、アミシャブのメンバーであり、ユダヤ教神学校の校長でラビでもある、ダビデ・アビハイル師の講演についてです。

ダビデ師もエリヤフ師と同じようにあまり日本については触れませんでした。その代り講演のほとんどがユダヤ的考え方からの世界に対する深い洞察で興味深かったです。

ダビデ氏は世界を見る視点には4つあると言います。その一つはアダムが罪を犯す前の視点です。

アダムはエデンの園という素晴らしい場所にいました。それなのに彼は食べてはいけないと言われた「善悪の知識の木の実」を食べて罪を犯してしまいました。なぜでしょうか。

ダビデ師はそれをユダヤの伝承から、アダムが与えられた役割を喜んでいなかったからだと説明します。アダムは神に教育される必要があったのに、より楽な道を選んだとのことでした。

このような話からダビデ師は世界を見る視点の一つを、現状を喜ばない視点だと言います。

二つ目の視点はカインとアベルの話から説明されました。カインとアベルはアダムの子供たちで兄弟でした。二人はともに神に捧げものをしましたが、兄のカインの捧げものは神に受け入れられず、弟のアベルの捧げものだけが受け入れられました。それをねたんだカインは弟を殺してしまいました。

ダビデ師はこの二人はともに似たような視点から人間を見ていたと言います。兄のカインは人間は動物であると考え、同じ動物を捧げ物にするのは忍びないと考え穀物を神に捧げ、弟のアベルは動物の長である人間だからこそ動物を捧げるのだと考えたのだそうです。

このどちらの思想も、世界中で教育されているものの見方であるとダビデ師は言います。この視点から言えば、人間に危害を加える動物は殺せることになり、悪い人も殺してよいという思想が生まれるのだそうです。

この話もおそらくユダヤの伝承からなのでしょう。ユダヤ人は聖書以外の言い伝えも神の言葉として扱っています。たとえば口伝律法を文書化したタルムードや、ラビの聖書解釈をまとめたミシュナーなどです。確かに聖書研究に長けた民族ではありますが、ユダヤ人のゆがんだ聖書理解には気を付ける必要があります。

しかしこの視点の説明も、聖書の解説としてではなく、ユダヤ人の物の考え方の一つとして受け止めるのならば面白い話です。

三つ目の世界を見つめる視点は、自然は人間が支配するべきであるとする視点だそうです。ここでダビデ師はとても興味深いことをさらりと言ってのけました。それはノアの洪水の時代の文化は現代社会よりも信じられないくらいに人間の科学が進歩していたという話です。

 ダビデ師によるとノアの時代の人々は、天気や地震などの自然環境も自由に操作していたと言います。そればかりかDNAも操作していただろうとのことでした。彼らはすべて人間の技術で作ったものを利用し、自然とは関係なく生活することさえもできたとのことです。その象徴がバベルの塔だそうです。そしてこの視点による傲慢のゆえに神は人の言葉を分裂させ、洪水によって裁いたとのことでした。

第四の視点は自然と共に生きる視点で、神道やユダヤの賢人の思想にもこの視点があるとのことでした。自然は人を神に出会わせるとダビデ師は言います。ユダヤの賢人も自然に触れると人は心身ともに健康になると言ったそうです。

ここでダビデ師は「人は生ける水で清められる」と言いました。もちろん師はユダヤ教徒なので、新約聖書の知識から言ったのではありません。しかし新約聖書では生ける水とはイエス・キリストを信じた者が受け取ることのできる、聖霊なる神の内住であるとしています。

イエス・キリストは自分を信じる者は「心の奥底から生ける水の川が流れ出るようになる」と語っています(ヨハネ7章37節から39節)。このような知識を知ってか知らでかダビデ師は「人は自然に触れて神を知り、生きた水で清められる」と語りました。

神学的な解釈で説明すれば、いずれユダヤ人はイエス・キリストを国家として受け入れる時が来ます。師のこの発言が私には、神がその時のためにユダヤ人の思想を整えている証拠のように思えました。

この四つの視点のほかにダビデ師は、世界には二つの運動があると言いました。一つは巡回する運動で、自然がこれに当たります。自然にはサイクルがあるからです。そしてもう一つは直線の運動だそうです。この運動は自然のサイクルに力を与え方向性を生むとのことでした。人の働きがこの運動だそうです。人は自然の中でサイクルがうまく回るように世話をしなければならないというのが、ダビデ師の講演の結論でした。

あまり日本についての話はありませんでしたが、このような話からいまのユダヤ教の状態が少し垣間見れるように思えます。私にはいまのユダヤ教がイエス・キリストが語った「枯れ木」のように感じました(ルカ23章31節)。そして神道とそっくりな雰囲気であるとも感じました。きっとそれは霊的な背景が同じだからだと思います。

私は日本の中にユダヤ教が入って来ていると考えています。そして神道はそのようなユダヤ教的思想のなれの果てなのだと思います。

もしユダヤ人の救いの計画を神が整えているのなら、同時進行で神は日本人の国家的な神への回帰も整えていると、私は考えています。

しかし神が私たちに求めているのは、今日この時に神とつながることです。そしてそのことの方がもっと幸いです。なぜなら聖書的に言えば、ユダヤ人の国家的な神への回帰は、世界の大混乱の真っ最中に起こるからです。その時を待たずにいま神とつながることの方がどれほど楽な道か分りません。

あなたは今、神とのつながりがありますか。イエス・キリストを信じる者には神の内住が約束されています。この内住する神、聖霊との交わりが「生ける水の川」として私たちを清め、いのちを与えます。

あなたがキリスト者なら、今日もこの川の水の中に自分を浸し、神との交わりの中で豊かないのちを受け取って下さい。神こそ私たちの砦です。この方に今日も身を避けてください。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。まだ時間があると思えるいまのうちに、神との和解を済ませてください。人生で最も大切な決断を先延ばしにしないでください。








神と人の本当の関係.WAV




 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html










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2010年06月24日

聖書と日本フォーラム参加報告 その1

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に神の祝福がありますように。

 6月21日月曜日に催された、聖書と日本フォーラムに参加してきました。今回はイスラエルのアミシャブの創始者であるエリヤフ・アビハイル師と、その後継者で息子であるダビデ・アビハイル師の講演の一回目でした。(二回目は6月30日水曜日にあるそうです。詳しくは下記へ:http://www.shima.mctv.ne.jp/~newlife/abihairusemina-.htm )

アミシャブとは、世界中に散っているとされるイスラエルの失われた十部族を探し出し、イスラエルに移住(帰還)させている団体です。講演の演題は「日本をターゲット!日本の神秘にメスを入れる」でした。しかし質疑応答の時に多少日本について触れることがありましたが、アミシャブの現在の活動についての内容が主でした。それでもユダヤ人の聖書的なものの見方を聞けたことは、とても興味深かったです。

講演ではまず父であるエリヤフ・アビハエル師が、アミシャブの活動について話しました。この稿ではエリヤフ師の講演について記します。

興味深かったのは、彼らの伝承によって十部族のうちのマナセ族が先ず帰還するだろうと言われていることでした。その理由は、サウル王の死体をマナセの人々が引き取ったからであるとのことでした。

サウル王はイスラエルの初代の王さまです。彼が死ぬころにはすでにダビデが現れていました。サウルはダビデをねたみ、ダビデはサウルの元を逃げ出しました。サウルが死ぬころには、神の力はもはや彼の上にはありませんでした。そのサウル王を死後も大切に扱ったマナセ族は、その良き行いによって神に喜ばれたのだと、ユダヤ人の伝承にはあるそうです。正確にはミドラッシュ(ユダヤ人の伝統的な聖書注解書)にある記述だそうです。

マナセ族が先に回復されることは旧約聖書の詩編60篇と108篇にも記されていると師は述べます。しかし私が読む限り「マナセもわたし(神)のもの」(詩編60篇7節&詩篇108篇8節)と記されているのみで、その主張には説得力がないように思われました。ちなみにマナセの次はエフライムだそうですが、それについても聖書的な根拠に乏しいように思えます。おそらくこれも伝統的な解釈によるのでしょう。

最も興味深かったのは、アミシャブが考えている彼ら自身の役割についてでした。彼らの役割は、全てのイスラエルの氏族から、少なくとも数十名をイスラエルに帰還させることなのだそうです。つまり、全てのイスラエル、とりわけ失われた十部族を帰還させることが目的ではないようです。その役割を果たすのはメシアの役割だとのことです。救い主が現れた時に全てのイスラエル民族がイスラエルの地に帰還するという解釈です。

この考え方は彼らの伝承から出たものですが、私自身の聖書的な理解にも参考になりました。世の終わりのイベントの一つとして、イスラエル民族がパレスチナの土地に帰って来ることが言われています。しかしそれを完全に成し遂げるのは、イエス・キリスト以外には有り得ないでしょう。ときどき私もそのことを見失って、いつどの時点でユダヤ人がパレスチナに帰って来るのかを考えます。しかしキリストがそれを成し遂げると考えた場合、終末のイベントは少しすっきりとしてきます。そしてこの考え方から言えば、アミシャブの活動などによりメシアの到来の準備はすでに整っているということになります。

日本については、神道の中にユダヤ的な伝統をたくさん見ることができると師は語っていました。これはほかの国には無いほどのしるしなのだそうです。しかしそれ以上は時間の関係で話されませんでした。

最後の質疑応答の時に、天皇家が失われた十部族であった時にはアミシャブとしてどう対処するのか、という質問がありました。それに対する回答は、特に他の人々と扱いが異なるわけではない、という素っ気ないものでした。アミシャブとしてはイスラエルに帰還するかどうかという個人的な意思が問題なのであって、たとえ天皇家が失われた十部族の一部であると分ったとしても、そのルールは例外なく適応されるとのことでした。天皇家が帰還するならよし、しないならそれまで、ということのようです。

エリヤフ師の話での一番の収穫は、ユダヤ人がイスラエル民族の帰還についてどう考えているか分ったことです。彼らの念頭にはメシアの到来が常にあるようでした。そしてその準備として、パレスチナの地にイスラエル民族を帰還させているというのがエリヤフ師の説明でした。

ユダヤ教のメシア像はイエス・キリストを拒絶したことによって少しずれてしまっています。しかしそれは神の計画によります。彼らは時が来れば回復され、ゼカリヤ書12章10節に預言されている如くに嘆くことになります:

わたし(神)は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。


 この聖句はユダヤ人の悔い改めと神への回帰を示しています。しかし同じ言葉を聖書は、私たちすべての人に対しても示しています。それは黙示録1章7節にある以下の言葉です:

見よ。彼(イエス・キリスト)が、雲に乗って来られる。全ての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。


 キリストを突き刺した者とは、ユダヤ人やローマ兵の話ではありません。私やあなたの問題です。全ての人々が神に離反をし、罪を帯びました。その罪を十字架上で処分されたのはイエス・キリストです。キリストの十字架上での苦しみは、私やあなたの罪の故なのです。そのことを自分自身の問題として信じ受け入れれば、神との和解が成立します。しかしそれを先延ばしにし続ければ、この聖句のようにキリストのゆえに嘆くことになります。

エリヤフ師の説明から分ることは、ユダヤ人にとってはすでにメシアを迎える準備が整っているということです。今はそのような時代なのです。

あなたも今すぐ神と和解をして下さい。

あなたがキリスト者なら、今日も聖霊なる神との深い交わりを通して安全を得てください。この方こそ私たちの砦です。この方のうちに入り全てを委ねましょう。

あなたがまだ神との和解を得ていないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方を信じて喜ぶか、退けて嘆くのかはあなた次第です。一刻も早く神の側に立つ決断をして下さい。








神と人の本当の関係.WAV




 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html










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2010年02月17日

エレミヤ牧師のMP3が公開されています。

モトイです。

レムナント教会のエレミヤ牧師による黙示録セミナーの告知がされています。参加する方は下記のサイトでお申し込みください。私も参加する予定です。日付は3月14日日曜、場所は東京の府中です。

前回のセミナーの模様がMP3で公開されました。ご興味があればどうぞ・・・。

このブログで何度かセミナーの様子をご紹介しましたが、エレミヤ牧師の教理はかなり独特ですが、大きな教団では決して話せないこともずばずばと解説します。そのため独特なのでそのつもりで聞いてください。

教理は人間の作ったものです。それゆえに良い悪いはいえませんが、エレミヤ牧師の警告するように、世の終わりは惑わしの霊が確かに働く時期です。今までの教えの中にもあるいは惑わしがあるのかも、という視点で、常に自分を省みる必要はあるでしょう。

しかし何ごとでも独善的になり自分を正しいとする者は、それこそ惑わされていると言うべきでしょう。正しい人は居ないと聖書に書いてあるとおり、ただイエス・キリストにつながる必要があります。

そのことが分かっているのなら、エレミヤ氏のメッセージは大変刺激になると思います。世の終わりの時に教会やキリスト者がどのように惑わされてしまうのかという、他では決して聞くことのできない戒めを得ることができます。
(時々独善的とも受け取れる発言がありますのでご注意ください。)

詳細は下記で:
http://www.actionlinemanagement.com/2961561250.html
http://www.actionlinemanagement.com/

セミナーの詳細もそこにあります。








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2010年01月21日

第8回黙示録セミナー参加報告 最終回

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんが神の大いなる祝福を受けますように。

 黙示録セミナー参加報告の最終回です。次回のセミナーは3月14日の6時からです。(詳しくは:http://www.geocities.jp/ou7540jp/seminar090920.html 案内は1月10日の分です)

 前回はエレミヤ牧師の解釈と、一般的な解釈でゴグ・マゴグの戦いを見てみました。今回は2人の証人についての解釈です。この箇所も聖書預言の中で有名な箇所です。

 2人の証人は黙示録11章3節4節に登場します。以下に実際の聖句を引用します:

それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。


一般的な解釈では、彼らは大艱難期と呼ばれる世の終わりの時期に実際にイスラエルの首都エルサレムに登場し、ユダヤ人たちに国家的な悔い改めと回心を迫る役割をすると解釈されています。そしてこの聖書箇所は、ゼカリヤ書4章11節から14節の以下の箇所と一致していると考えられています:

私はまた、彼(神の御使い)に尋ねて言った。「燭台の右左にある、この二本のオリーブの木は何ですか。」私は再び尋ねて言った。「二本の金の管によって油をそそぎ出すこのオリーブの二本の枝は何ですか。」すると彼は、私にこう言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ。」


この聖書箇所はイスラエルがペルシャの支配下にあった時代についての記述です。その時代のイスラエルを指導していたのは、ペルシャのダリヨス王に任命された総督ゼルバベルでした。そしてユダヤ神殿の責任者である大祭司はヨシュアでした。しかし神殿はすでに廃墟となり、再建が急がれている時代でした。このゼルバベルとヨシュアがこの箇所で二本のオリーブの木と呼ばている神のしもべです。

 旧約聖書の時代に起こったことは終末の時代にも起るとされています。その解釈によれば、現在のエルサレムにある神殿の丘に、いずれ第三神殿と呼ばれるユダヤ神殿が再建され、黙示録やダニエル書にあるようにユダヤ教のいけにえの儀式が再会されることになります。しかし聖書の記述の通りに反キリストと呼ばれる人物によってその儀式が中止されるとされています。その時に登場するのが黙示録にある二人の証人です。彼らがイスラエルに対してイエス・キリストが旧約聖書の預言しているメシア(救世主=キリスト)であると証しをする、と言うのが一般的に教えられている聖書解釈です。

 エレミヤ牧師はこの二人の証人も例えで理解すべき箇所であるとします。その根拠となる聖句はローマ書11章24節25節の以下の聖句です:


もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、…


この箇所ではオリーブの木は野生種である異邦人と、栽培種であるイスラエルに表現されています。したがって二本のオリーブの木は異邦人とイスラエルを指すのだとエレミヤ氏は説明します。そして黙示録1章20節の以下の箇所より、二人の証人は異邦人教会とイスラエル人キリスト者の教会であるとします:

わたし(イエス・キリスト)の右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。


理論が少し飛躍したので説明を加えると、二本のオリーブの木が教会であると判断する根拠は、最初に取り上げた黙示録11章3節4節の「彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である」と言う記述によります。

 さらにエレミヤ氏の解釈では、この二本のオリーブの木に表現される異邦人教会とイスラエル(ユダヤ人)教会は、黙示録7章4節と14章1節に登場する、二種類の14万4千人の別な表現だといいます。混乱を避けるために述べますと、通常の聖書解釈では14万4千人は二種類ではなく、同じ人々であるとされています。以下に二つの聖句を併記します:

7章2節〜4節
また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。

14章1節〜5節
また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。私は天からの声を聞いた。大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようであった。また、私の聞いたその声は、立琴をひく人々が立琴をかき鳴らしている音のようでもあった。彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。


残念ながら14万4千人が二種類であるという聖書的な根拠はセミナーでは示されませんでした。その点で理論付けが従来の聖書解釈よりも弱いです。しかしローマ書11章にあるように、終末の時代にはユダヤ人の回心の時が来ることは理解できます。

 最後にエレミヤ氏はキリストの再臨の時期について解説し、それはいわゆる艱難期の終わりの時であると説明しました。そしてゼカリヤ書14章1節から4節の以下の記述より、神の民の半分は惑わされとらわれていくと解釈します:

見よ。主の日が来る。その日、あなた(神の民)から分捕った物が、あなたの中で分けられる。わたし(神)は、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。主(イエス・キリスト)が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。


いわゆる大艱難期の末期では神の民があわやと言う状況までに陥り、そのときにイエス・キリストが再臨するとエレミヤ氏は説明します。

 毎回述べてきたことですが、今は多くの混乱と惑わしの時代です。情報が少ないことは大きなハンデですが、情報によって人々を翻弄することは魂の敵の作戦です。神学でも教会でも牧師でさえもなく、肝心なのは唯一の救い主である神、イエス・キリストとあなたの個人的な関係です。

 あなたはこの方との関係をすでに持っていますか。

 あなたがキリスト者なら、今日もこの方との交わりによってあなたの安全を図ってください。この方こそ私たちの砦です。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外のなにものもあなたを導くことは出来ません。この方を今、心の中心にお迎えしてください。



神と人の本当の関係.WAV




(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







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2010年01月20日

第8回黙示録セミナー参加報告 その6

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の愛が豊かに降り注ぎますように。

 今日も黙示録セミナーの参加報告の続きです。今回を含めてあと2回ほど続きます。

 何度も述べますが、ここで述べられる数々の解釈は参考までにしていただきたいと思っております。最も大切なことは、皆さんと神との関係において聖書から啓示を受けることです。そのための参考としていろいろな解釈に触れることは有益です。しかし神学や解釈を信じることは偶像礼拝と同じです。唯一信じるに足る方は、イエス・キリストのみです。

 前回はキリスト者がキリスト者を迫害する時代の到来と、特にハルマゲドンの戦いが教会の内部の戦いを表すという解説でした。今回は同じく聖書預言の中でも有名な箇所の、ゴグ・マゴクの戦いについての解説です。

 一般的な解釈では、エゼキエル書38章39章に登場するゴグ・マゴクの戦いは、ロシアとペルシャ(イラン)の連合軍がイスラエルに対して戦いを挑むという未来預言と解されています。しかしこれもエレミヤ牧師は例えで理解すべきであるとします。38章1節から6節には以下のようにあります:

人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。ゴメルと、そのすべての軍隊、北の果てのベテ・トガルマと、そのすべての軍隊、それに多くの国々の民があなたとともにいる。備えをせよ。あなたも、あなたのところに集められた全集団も備えをせよ。あなたは彼らを監督せよ。


エレミヤ氏によると、マゴグとは「ゴグの地」という意味で、ゴグとは「山」という意味なのだそうです。山はオリーブなどの木が生えるところと解釈され、木は信仰者と理解できるところより教会と解釈できるのだそうです。したがってエゼキエル書38章39章で北の地から攻めてくる彼らは、真のキリスト者を迫害する惑わされた教会、すなわちカトリックを指すとのことでした。

 ちなみに一般的な解釈では、「メシェクとトバルの地」とは今のロシアの領内にある地域のかつての呼称で、エルサレムの北の果ての方角に向けて一本の線を引くと、その線が通過する都市は唯一モスクワだけとなり、ゴグ・マゴクとはロシアのことであるとなります。ゴメルは中央アジアのコーカサス地方、ベテ・トガルマもトルコに近い西アジアの地方で、いずれも今はイスラム圏です。ペルシャとは言うまでもなくイランの呼称で、クシュは今のエチオピアの呼称。さらにプテとは今のリビヤの呼称であるとされます。したがって、イランやリビヤ、エチオピアなどを含むイスラム諸国連合がロシアとの同盟関係を盾にイスラエルに侵入してくるという解釈になります。

 さて、エレミヤ氏の解釈に戻ります。エゼキエル38章8節は以下のようにあります:

多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる


終わりの時代には教会の教理が混乱し、あたかも教会が「バビロン捕囚」にあったような状態になるとエレミヤ氏は解説します。したがって、この聖句の「久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる」の秘められた意味は、惑わされずに留まるべき所に留まったキリスト者となるそうです。その彼らを北から攻めるのがカトリックであり、彼らはキリスト者迫害の中心となるといいます。そして21節には以下のようにあります:

わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。――神である主の御告げ。――彼らは剣で同士打ちをするようになる。


彼らの主導する真のキリスト者迫害は大論争を呼び起こします。しかしそれは神の計画によって(カトリック内部での)同士討ちに終わるとエレミヤ氏は解説します。

 なるほどと思わされる面もあります。しかし今回ご紹介した解釈では、従来の解釈の方が分かりやすいように思います。もしもこの箇所が例えで解釈されるべきならば、全ての語句が例えによって説明出来るはずです。しかし今回のセミナーではそこまでは時間がなかったようです。

 科学の世界では議論が百出してもそれで分裂したりすることはありません。むしろ議論が自然に対する理解を深め、科学を進歩させてきた面があります。しかしこと聖書解釈となると、自分と違う解釈を毛嫌いする傾向にあります。議論が建設的にならず聖書理解は硬直したものとなっています。異端信仰を許さないためにある程度は理解できますが、行き過ぎた排他主義は益になることは何もありません。私はこれこそ教会を分裂させようとする惑わしの力の影響であると思います。

 ここでご紹介していることは皆さんを混乱に陥れるためではなく、惑わしにあって硬直し勝ちな聖書解釈に対して、皆さんが心を開いて柔軟に聖書を読めるようにするためです。何度も申し上げますが、結局は誰もが神と自分の一対一の関係を築き上げなければなりません。

 私たちはすでにあらゆる形で人々が惑わされている時代に生きています。このような時代にあなたを安全に導くのは、組織でも神学でも教会や牧師でさえもなく、あなたと神との一対一の関係です。

 あなたはこの方との関係をすでに持っていますか。

 あなたがキリスト者なら、今日という日の全ての瞬間を主に捧げましょう。ただこの方に掴まることのみが私たちのすべきことです。そしてイエス・キリストこそ私たちの道であり、真理であり、いのちなのです。この方を友と呼べる地位を大胆に味わいましょう。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外に救いはありません。まだ時間があると思える今のうちに、早く最も大切な神との関係を手に入れてください。



神と人の本当の関係.WAV




 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







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2010年01月19日

第8回黙示録セミナー参加報告 その5

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に神の祝福が豊かにありますように。

 レムナント教会のエレミヤ牧師による、黙示録セミナー参加報告の続きです。

 前回は惑わされたキリスト者が永遠のいのちを奪われるというエレミヤ氏の解説をご紹介しました。今回はキリスト者がキリスト者を迫害する時代が来るというお話しです。

 今はまだ日本においては迫害の「は」の字も見えませんが、戦前戦中の日本の激変は当時のキリスト者にとっても急激な変化だったようです。今見える世界が永遠に続くと思うことは危険です。近代日本のキリスト者迫害については以前にご紹介しました(詳しくは下記を参照:「キリスト者への迫害、過去・未来」http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/117075528.html?1239172382)。

 今日ご紹介するエレミヤ氏の解釈以外にも迫害の時代が来ることを警告する人々はいます。神学的にも世の終わりの時すなわちキリストの再臨の近くなった時には、キリストの初臨の時に起こったことが再び繰り返されることが一般的に言われています。例えばキリストの時代には立派な宗教家たちがたくさんいましたが、そのほとんどがイエスを救世主であると見抜けなかったことや、多くの民衆が一時はキリストを歓呼の声で迎えたもののそのほとんどの人々がキリストを十字架につけることに賛同したことなどです。これらのことは来るべき背教の雛型であるとも言われています。

 さて、エレミヤ氏は艱難時代を、キリスト者がキリスト者を迫害する時代であると述べます。しかも迫害する側は「神のため」という名目で、真の信仰者たちを迫害するということでした。その論拠となるのはマタイ10章17節から22節の以下の聖句です:


人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。


ここで兄弟とは例えであって、信仰の兄弟姉妹のことをさすというのがエレミヤ氏の論旨です。またこのようなことは恐らく"カルト追求運動"のような形で行われるのではないかということでした。しかもたちの悪いことに、迫害する側は神の名によって迫害している点です。エレミヤ氏は後の世は、迫害するか迫害されるかの時代になるだろうということでした。

 エレミヤ氏の説ではいわゆるハルマゲドンの戦いさえも例えで解釈すべき所なのだそうです。そしてこの箇所、黙示録16章12節〜16節も迫害についての記述と解釈できるということでした。以下に実際の箇所を引用します:

第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。――こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。


エレミヤ牧師によると「ハル・マゲドン」とは「ハル・メギド(メギドの丘)」という意味で、「メギド」とは「集会」と訳すべき単語なのだそうです。実際のメギドの丘へエレミヤ氏も行ったことがあるそうですが、そこには丘はないのだそうです。それゆえにこの箇所を例えで解釈するのなら、集会の丘すなわち教会においての戦いを意味するということでした。

 この戦いはすでに始まっているというのがエレミヤ氏の一貫した主張です。それは惑わしに対する戦いであって、キリスト教会に対する神学的なおかしな(とエレミヤ氏が主張する)解釈の侵入や、奇妙なリバイバル運動のことを指すのだそうです。

 ここら辺の解釈になるとエレミヤ氏はかなり語気が激しくなります。しかし私も概ね納得できます。例えばキャサリン・クールマンと言う有名なリバイバリストがアメリカにいました。彼女の死後葬られた墓は、フリーメーソンの会員用の一角で、しかもその墓には定規とコンパスのフリーメーソンのマークがついています。これにより想像できることは、教会を内側から混乱させようとする勢力はすでに彼らの働き人を教会内に送り込んできているということです。(証拠写真は角笛のHPにあります http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/。)

 しかしそれよりももっと重要なことは、例えどんなに陰謀があろうとも、又は魂の敵である悪魔悪霊がどんなに騒ごうとも、それらのことはすでに何千年も前から聖書に警告されていたということです。誰がどのように策略を巡らそうとも、神の国は必ず到来します。私たちは今こそ聖書と聖書の神に聞くべき時が着ているのです。

 あなたはこの神との関係をすでに持っていますか。

 あなたがキリスト者なら、今日と言う日の全ての瞬間を神に捧げ、聖霊との交わりの中で歩みを進めましょう。この方こそ私たちの希望、私たちの砦です。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのであれば、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外に救いはありません。世の惑わしが激しくなる時代にあって、確かな助けである神、イエス・キリストを受け入れてください。



神と人の本当の関係.WAV




 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







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2010年01月18日

第8回黙示録セミナー参加報告 その4

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の祝福が豊かにありますように。

 レムナント教会のエレミヤ牧師による、黙示録セミナー参加報告の続きです。あと数回続く予定です。

 前回は獣の国がキリスト者をさらなる惑わしへと導くというお話でした。今回は、この惑わしによりキリスト者さえも永遠のいのちを失うことになるという解説です。

 いつも断わりを入れていることですが、私はここでご紹介しているエレミヤ牧師の聖書解釈を絶対的なものとは見ていません。しかし氏の述べるようにキリスト教会にもすでに惑わしの力が働いていると思っています。そのような理由から、エレミヤ牧師の警告はとても貴重であると考えます。しかし最も大切なことは、私たち個人個人が主イエス・キリストとの日々の交わりの中で個人的に語られる事柄であると考えます。この聖霊との日々の交わりのない人々が、この後の惑わしに倒されるのだと思います。

 さてエレミヤ牧師はキリスト者が永遠のいのちを失うことが有り得ると解説します。それは後に来る巨大な惑わしの力の中で、獣の国のことを崇拝するようになる時に起ると述べます。その論拠となる聖句は以下の黙示録13章8節です:

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。


ここら辺は誤解の生じやすい所なので私の解釈をまず述べますと、キリスト者の中でも最初から救いに入っていなかったものが彼(獣の国)を拝むようになるということなのだと考えます。本当の信仰者とそうでない者とが振るいにかけられるという記述は、パウロの書簡にもヨハネの書簡にも見られることだからです。

 しかしそうではなく、いったん救いに入れられた者が惑わされて救いを失うということになると、議論の余地があると思います。エレミヤ牧師はどうやら、目を覚まさないと救いを奪われるとも受け取れる解釈のようですが、しかしここではこれ以上は深入りしないことにします。

 黙示録13節にはこの他にも、有名な666のしるしの聖句があります。エレミヤ氏はこのしるしをつけることにより、人々は自由に宗教者(惑わされたキリスト者)としての活動ができることになる反面、真のキリスト者はこのしるしがないことにより教会活動から追放されると解説します。すなわち、本当にイエス・キリストを信じる信仰者がカルト扱いされて教会から追い出されるということでした。エレミヤ氏はこれを反キリストとの契約と述べます。
 
 エレミヤ氏によると「反キリスト」という言葉の意味合いは「キリストの代わり」だそうです。キリスト者がこの世的な活動の便宜のためにキリストを裏切り、反キリストと契約を結ぶことにより永遠のいのちを失うことになるということでした。この契約の狙いはずばり永遠のいのちで、魂の敵であるサタンはこの時、永遠のいのちを奪うためにこの契約を通して働くとのことです。

 この時代の背教についてエレミヤ氏は、第2テサロニケ2章3節から7節の以下の聖句を用いて解説します:

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。

 
この引き止める者とは聖霊です。しかし神の定められた時には、神の許しによって惑わしの力が増大し、背教が明らかになるとエレミヤ氏は語ります。神の許しによる惑わしの時代の到来です。

 ちなみに一部の大艱難期前携挙説によれば、この引き止める者とはキリスト者のうちに内住する聖霊であって、携挙の後に聖霊が取り去られ惑わしが入り込むことになると解説します。この説に難があるのは、遍在の神である聖霊が取り去られるのかという矛盾です。神がいなくなるので惑わしがはびこるという説明よりも、神の許しによって惑わしの力が増大すると考えた方が聖書的であると思います。

 いずれにせよ、私たちはもうすでにこの惑わしの片鱗が見える時代に生きています。今こそ私たちは、聖書と聖書の神に立ち返る必要があります。

 あなたもイエス・キリストによって神と和解をし、聖霊なる神の交わりのうちを歩んでください。

 あなたがキリスト者なら、今日という日の全ての瞬間に主との交わりを持ちましょう。この交わりこそ私たちのいのちです。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのであれば、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方こそあなたの道であり、真理であり、いのちなのです。



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2010年01月15日

第8回黙示録セミナー参加報告 その3

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に神の豊かな祝福がありますように。

 レムナント教会のエレミヤ牧師による、黙示録セミナー参加報告の続きです。

 前回は神の民、キリスト者が世の教えに惑わされていくことにより獣の国が出現するようになる、というエレミヤ氏の説をご紹介しました。

 毎回申し上げますが、私はここでエレミヤ氏の説を全面的に支持しているのではありません。氏の説は「熱くもなく、冷たくもない」とキリストが言われたラオデキアの教会の時代にいる私たちに対する、他では聞けない貴重な警告であると考えます。しかし、私は一つの神学説(や聖書解釈)は学説以上のものでは決してないと思っています。いつの時代でもそうですが、今の時代にあって私たちに最も大事なのは、私たち個人々々の神との日々の交わりです。それを抜きにすればどんな聖書解釈もまったく無意味になると考えます。

 さて今回は、いずれ登場する獣の国がどのように振舞うかを見て行きたいと思います。

エレミヤ氏はダニエル書2章でダニエルの時代に起こったことが再び起ると説明します。それは、この世の権威者や知識人たちが、神の啓示を正確に解き明かせないという出来事です。ダニエルの時代には、王が見た夢の解き明かしを、ダニエル以外には誰も出来なかったことが記されています。そのように現代においても、多くの聖書研究家が獣の国の正体を突き止めることが出来ないのだと言います。そして悪いことに、世の中の大半はいつのまにか獣の国の支配を受け入れてしまうということでした。

 エレミヤ氏はダニエル書12章8節9節を引用し、多くのキリスト者も獣の国の啓示を正確に理解することが出来ないと解釈します:

私はこれを聞いたが、悟ることができなかった。そこで、私は尋ねた。「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。…」


この聖書箇所は、終わりの時まで封じられている啓示があることを示しています。獣の国に関してはエレミヤ氏の説以外にもたくさんの説があります。エレミヤ氏はアメリカが獣の国としますが、広く教えられているのはヨーロッパ合衆国が獣の国であるとする解釈です。

 しかし氏はこれらの説に惑わされることのゆえに、獣の国はその登場まで謎中の謎であり続けると説明します。

 エレミヤ氏は引用しませんでしたが、次の10節には以下のようにあります:

多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行ない、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。


思慮深い人々は神の啓示を正確に受けるようです。そのために重要となるのは、神によって清く練られることです。私たち人間は自分の努力では決して清まりません。ただ主なる神、救い主であるイエス・キリストとの日々の交わりのみが私たちを清めます。

 次にエレミヤ氏は、黙示録13章の記述よりこの獣の国の支配と強権の下で、世界のキリスト教が統一支配され、反キリストの台頭の時が来ると述べます。このあたりは私が普段主張している、世界統一宗教の出現と同じような見解です。

 実際の世の中の動きで言えば、日本で一番大きなキリスト教の教団である日本基督教団のカトリックとのつながりが挙げられるとエレミヤ氏は語ります。これは日本基督教団の人がエレミヤ氏に教えてくれたことだそうですが、彼らはカトリックとつながることを模索しだしているそうです。

 カトリックと言えば、エキュメニカル運動の総本山です。このエキュメニカル運動とは、狭義にはプロテスタント教会とカトリック教会の和解を意味しますが、広義には全ての宗教の連立を意味します。ローマ法王はすでに、エルサレムや世界各地において仏教やイスラム教を含む大宗教やその他の全ての宗教の合同のミサを何度も開いています。世界統一宗教の動きはすでに1893年から始まっています。(詳しくは以下を参照: 「聖書と今日の動き・後編」 http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/116070236.html?1237731960)

 私たちが目をあけて周りを見るのなら、すでに聖書の預言は成就しつつあります。しかしそれでも見えない人は聖書の預言の通りに存在します。それらの人々は「平和だ、安全だ」と言いながら突然の破滅を身に帯びてしまうでしょう。今こそイエス・キリストによって神と和解をし、この神との交わりが必要なのです。

 あなたがキリスト者なら、今日もこの方を心の中心にお迎えして今日という日を過ごしましょう。この方こそ私たちの砦です。

 あなたがまだこの方を受け入れていないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外に救いはなく、この方を無視した知識はすべて滅びにつながります。ただこの方のみがあなたの助けです。






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2010年01月14日

第8回黙示録セミナー参加報告 その2

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の祝福が豊かにありますように。

 レムナント教会のエレミヤ牧師による、黙示録セミナー参加報告の続きです。

 私は氏の聖書解釈を、終末の時代にあってキリストの教会を目覚めさせるためのとても貴重な視点であると考えています。それは、現代のキリスト者が、黙示録の3章にあるラオデキヤの教会の預言を成就させてしまっていると思うからです。

私自身も時々反省させられることですが、現代の教会は聖書の言葉や神の聖さを探求することも、今日という日に主イエスに出会うこともないがしろにして、まったく世の人と同じような生き方をしているように思えます。

 しかしながらエレミヤ氏の聖書解釈を金科玉条のように支持するつもりはありません。それは人を頼った行為であるからです。さらに氏の主張するように、大艱難前携挙説を完全に否定することは危険であると考えます。それは主イエスが以下のように教えているからです(マタイ24章36節):

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。


 この言葉は聖霊による聖書的啓示には、「その時」についての示しがないことを証明しています。したがって、どんなに立派(?)な現代の預言者や聖書学者でも、携挙や主イエスの再臨の時期を特定することが出来ないはずだからです。このブログをご覧になる方々は、キリスト者もそれ以外の方々も、時は特定できないということを前提に読んで下さるようにお願いします。

 さて、今回は終末の時代に預言されている獣の国が立つことの理由についてです。エレミヤ氏は神の民の不信のゆえに獣の国が立つと解説します。ダニエル書8章23節には以下のようにあります:

彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。


 エレミヤ氏はキリスト教会の神に対する背きが、ひとりの王(獣の国そのもの)を立たせると言います。旧約時代の神の民の行いは現代にも適応するべきであり、世の終わりには同じことが繰り返されると氏は述べます。旧約時代、神の民イスラエルは不信仰のゆえに国が分裂し、北も南もいずれは捕囚となってしまいました。そのことは現代の教会にも適用され、すでに教会の中に不信仰が入り込んでいると言います。

 不信仰の具体的な例として、ある教団においては同性愛者の教会指導者が公然と存在することが挙げられます。さらに、ダビンチコードのような映画に信仰を揺さぶられるほど、現代のキリスト者が聖書の知識を持たないことも挙げられます。このような神の民の堕落のゆえに、獣の国がキリスト者に災いをもたらすものとして立つのだということでした。

 そしてこの獣の国は、神の民の不信仰を推し進めます。エレミヤ氏はダニエル書に登場する4つの生き物(獅子・熊・豹・食いつくし踏みつけ噛み砕く生き物)が全て人を食らう生き物であることに注目します。黙示録13章1節2節にも以下のように記されています:

また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。


 さらにダニエル書7章21節から25節には、神の民がこの獣の手に渡されることが示されています。後に神は立ち上がり、神の民は地上の支配を神から受け継ぎますが、その前に戦いに倒れる者のあることも示されています。獣は人を食らうものです。とりわけキリスト者をその信仰から引き摺り下ろそうとする者です。私たちはすでにそのような惑わしの時代に生きています。

 このような時代にあって大切なのは教団や教派でも、神学的な知識でもありません。あなたと神との関係が今あるかないかが唯一重要なことです。イエス・キリストとの交わりのある者は、聖書の約束が示すとおりに聖霊なる神により知識を与えられ、安全に導かれます(第一ヨハネ2章27節)。

 あなたはこの方との関係をすでに持っていますか。

 あなたがキリスト者なら、今日もこの方を第一にし、この方を通して世の中を見ましょう。主イエスは必ずあなたを導きます。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのであれば、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。人の知識は例え聖書の内容であったとしても単なる情報です。しかし神との交わりはあなたを完全に導きます。




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2010年01月13日

第8回黙示録セミナー参加報告 その1

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の祝福が大いにありますように。

 1月10日日曜日にエレミヤ牧師のレムナント教会で、黙示録セミナーが催されました。今回のテーマは、「聖書が語る終末時代の出来事」でした。

 セミナーの最初に、現代のキリスト教会に一般的になっている「ディスペンセーショナリズム(時代区分・時代主義)」の過ちを指摘する話がありました。今回はそのお話です。

 このディスペンセーショナリズムというのはアメリカ発の神学で、私も聖書的な根拠のないこの説がどれだけ信用できるものかといぶかしく思っていました。一部ではこれを広めたJ・N・ダービーやスコフィールドという人物は、教会を惑わすために外側から送られた人物であると噂されています。(詳しくは:http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda3/61mdZUBe5ARRc49455.htm

 以下にこのディスペンセーショナリズムについて新キリスト教辞典より抜粋してまとめます。

 ディスペンセーショナリズムとは、天地創造の時代から千年王国の時代までを7つの時代区分によって説明する神学です。その7つの区分は以下のとおりです。

1) 無垢の時代―アダムとエバが罪を犯すことによって終了。
2) 良心の時代―ノアの時代の洪水によって終了。
3) 人間による統治の時代―バベルの塔の崩壊。アブラハムの召命まで。
4) 約束の時代―イスラエル民族がエジプトへ避難。4百年間の奴隷生活。モーセの登場まで。
5) 律法の時代―律法が与えられ、統一王国、南北分裂、捕囚へ。キリストの登場まで。
6) 恵みの時代―イエス・キリストの死と復活から現代まで続く。教会時代や大艱難期も含まれる。再臨でおわる。
7) 御国の時代―キリストの再臨から。千年王国。


 エレミヤ牧師の話ではこの神学によると、教会時代は聖書の時代区分の中の特別な時代で、大挿入時代とも呼ばれるそうです。この説の問題点は、大挿入時代だけは聖書の解釈が特別であるとする点です。その時代の中では聖書の中の記述で「イスラエル」や「ユダヤ」とあれば、それらは教会のことを現し、それ以外の時代の記述で同じように「イスラエル」や「ユダヤ」とあれば、文字通り「イスラエル」や「ユダヤ」を現すのだそうです。これでは聖書の読み方に一貫性が保てません。

 特に問題なのは携挙によって恵みの時代の中の教会時代が終わり、それ以後の艱難はユダヤ人の回心のためとする点です。エレミヤ牧師はこの点の誤りを、マタイ24章34節のキリストの言葉を用いて指摘します:

まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。


 この時キリストは、彼を信じる弟子たちに話をしています。すなわち教会がそこにあったわけです。つまり教会時代は始まっているとも解釈できます。そして「これらのこと」とは、キリストの教会が惑わされ背教に陥り、偽預言者や偽キリストが出現し、大きな艱難に見舞われることです。キリストは教会時代が過ぎ去ってユダヤ人の回心の時代になるとは言いませんでした。エレミヤ牧師はこのキリストの言葉は時代区分を証明していないと述べます。

 確かに7つの時代区分は一つの説としては面白いです。しかし私もそれを聖書が説明しているとは思えませんでした。人間が自分の知恵によってわざわざ聖書の時代区分を作った感じです。聖書を人文科学のように扱っているのがこの神学説だと思います。

 この説の弊害は、大艱難期の前に教会全体(全てのキリスト者)が携挙されるとする点と、ユダヤ人の回心がそれ以後の時代であるとする点です。そのことによってキリスト者は、自分たちが艱難を通らないと安心しきってしまい、聖さを求めることも終末の時代について研究することも怠ってしまいます。そしてユダヤ人に対する伝道も重要視しなくなっています。

 この説が教会に入り込んで以来すでに百数十年が経ちます。世界人類の倫理やモラルの低下の時期と符合すると思います。魂の敵は教会を惑わすことにより、地の塩、世の光としてのキリスト者の働きを阻害して来ています。教会や教理ではなく、聖書とその神に頼らなければならない時期に私たちは生きています。

 あなたもイエス・キリストを個人的に知ることによって、神の聖さを受けてください。

 あなたがキリスト者なら、今日もこの方との交わりをしっかりと維持しましょう。この方こそ私たちの道であり、真理であり、いのちなのです。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。惑わしから守られる唯一の方法は、あなたが直接神とつながることです。この方を信じてください。


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2010年01月12日

第8回黙示録セミナー参加報告 序章

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の大いなる祝福がありますように。

 レムナント教会のエレミヤ牧師による、第8回黙示録セミナーが1月10日の日曜日に催され、私も参加してきました。当日は午後2時の礼拝にも参加しました。今回はその礼拝メッセージでの気付きを、セミナーの報告の前の序章としてお分かちしたいと思います。(次回のセミナーは3月14日日曜日です。詳しくは:http://www.geocities.jp/ou7540jp/seminar090920.html 案内は今回の分です)

 エレミヤ牧師は、終末時代のキリストの教会に惑わしに対する警告を呼びかけることを自分の召しであるとしています。それゆえに他では聞くことの出来ない厳しい戒めのメッセージが期待できます。氏のホームページにあるメッセージも貴重な警告であると思います。しかしかなり語気が荒く、キリストの体に対して行き過ぎとも思える品位の欠けた表現も時々在ります。厳しい戒めの言葉を取り次ぐ際の勇み足であると私は理解していますが、そのところは割り引いて受け止めるのなら、自分自身の終末時代に対する貴重な戒めのメッセージとなるでしょう。確かにいまの生ぬるい時代には、このような厳しい戒めが必要であると私も感じます。(エレミヤの部屋:http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/)

 さて礼拝のメッセージです。聖書箇所は第一列王記20章です。この箇所は北イスラエル王国が、アラムと戦う場面です。北イスラエルの王はアハブ、アラムの王はベン・ハダテです。この箇所を単なる歴史書として読めば、古代イスラエルの出来事は現在の私たちに何も関係のない出来事となります。しかしエレミヤ牧師は、この箇所を国家というキーワードで解き明かし、私たち現代人へのメッセージとします。

 このことは私も常に思っていたことですが、聖書は常に私たちに語り掛けを持っております。例えばイスラエルや約束の地は常に教会や信仰者個人と無縁ではありません。聖書を読むときにはこれらのキーワードを私たちに当てはめて、主イエスの今日の語り掛けを祈りつつ読み解くべきです。

 エレミヤ氏もこの箇所を信仰者に対するチャレンジであると解釈します。信仰者は敵に囲まれた国家同様、常に戦いの危険にさらされています。ベン・ハダテの要求に対しアハブ王は最初妥協して恭順の姿勢をとります。するとベン・ハダテは図に乗って要求をエスカレートさせて脅迫してきました。始めの妻や金銀に対する要求は、次には北イスラエルを略奪せんばかりの乱暴な要求に変化したのです。

 アハブ王は最初は戦いたくなかったので妥協しましたが、後の要求が過酷過ぎるので戦わざるを得なくなりました。しかし戦うことを決意した時に預言者が神の言葉を取り次ぎます。その言葉は神が勝利を下さるので、敵の大群を恐れずに戦いに出よとの言葉でした。その言葉の通りに神はイスラエルの軍隊の戦いを勝利に導き、アラムの軍隊は逃げ去りました。そして再び預言者が神の言葉を取り次ぎます。その言葉は来年もアラムは攻めてくるので、そのための備えをせよとの神の警告でした。

 信仰者は妥協するとさらなる試練が来るとエレミヤ牧師は解説します。むしろ信仰者にとって、神の言葉を守る所に信仰の戦いの勝利があると言うことでした。アハブ王は妥協しようとしましたが、その妥協が敵のさらなる増長を生みました。そこで仕方なく戦いを決意した時に神は語り、勝利を約束されました。そして約束は、戦いの決意を実行に移した時に実現をしました。信仰とは決断と実行が車輪の両輪のような役割をするようです。

 翌年、神の言葉の通りにアラムは再び攻めてきました。そして北イスラエルは再び勝利しますが、アハブ王はベン・ハダテに憐れみをかけ、彼の命乞いを受け入れ逃がしてしまいます。このことは神の言葉に反することでした。そこで再び神は預言者を通してアハブ王に語ります。その言葉は苛烈なものでした。それは、神の聖絶(滅ぼし尽くすこと)の対象としてアラム王とその軍隊をイスラエルの王に授けたのにアハブ王はそれを逃がしてしまったので、彼は逃がした聖絶の対象の代わりとなる、というものでした。

 エレミヤ氏はここで北イスラエル王国をカトリックの型として解釈します。カトリックは世界中の宗教に対して妥協をしています。もはやキリスト教ではなくなっているとエレミヤ氏は言います。情けをかけ受け入れることは、自らに滅びを招くことになるとエレミヤ氏は語ります。

 さらにこのことはカトリックのみならず、現代社会全般に対しても適応することが出来ると氏は解説します。例えば現代社会はもはや同性愛を罪とせず、個性として受け入れています。性同一性障害という病名まで作り上げ、罪を罪と言えない状況に人々を陥れています。その結果は滅びです。現代社会は自らに滅びを受け入れてしまっていると、エレミヤ氏は解説していました。

 私たちの生きている現代は、罪が極まった世の終わりの時代です。罪に目を留めればキリがありませんが、罪に対して無関心であったり妥協的であったりするべきではありません。私たちは誰もが罪びとですが、罪を肯定することはできないのです。

 このような時代に在って私たちを聖め、私たちを内側から変えてくださる神とのつながりは、いつの時代にもまして重要となっています。私たちは今こそ聖書と聖書の神に立ち返る必要があるのです。

 あなたもイエス・キリストを心の中心にお迎えし、神の聖さの中を歩んでください。

 あなたがキリスト者なら、今日もこの方との交わりをしっかりと保って歩みましょう。この方を第一にするのなら、この方はあなたを完全に守り導くことが出来ます。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのであれば、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方こそあなたを癒し導く方、救い主である神です。




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2009年12月02日

黙示録セミナー参加報告 最終回

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の豊かな祝福がありますように。

 レムナント教会のエレミヤ牧師による第7回黙示録セミナーの参加報告の続きです。今回で最終回です。(エレミヤ氏の記事は以下のサイトで読むことが出来ます:「エレミヤの部屋」 http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/

 さて、最終回ではちょっと議論になりそうなことをまとめてご紹介したいと思います。しかしこのブログはクリスチャンでない方もたくさん訪問してくれているので、あまり神学的なことには深入りしないようにします。
 
 エレミヤ氏はアメリカで出版されたクリスチャン向けの小説の「レフトビハインド」を惑わしの一つと解説しています。その理由はこの小説の採用している大艱難前携挙説が偽りだからだそうです。この神学説はキリスト者が世の終わりの時期に艱難に遇うことなく、天に引き上げられると主張します。そしてこの説は、19世紀前半よりアメリカで言われ出した説だと言うことでした。

 前回引用したエゼキエル書21章には剣がイスラエルの民と君主たちを滅ぼすと有りました。この聖書箇所より、エレミヤ氏はアメリカ発の惑わしの教理が教会指導者に入り込み、それゆえに多くの人々がこの偽りの影響下に入ると説明します。

 携挙の時期については論じませんが、確かにこの説はすでに普及しており、その影響で妙なことを言う信徒がいることも事実です。たとえばキリスト者は世の終わりの大変な時期を過ごさないのだから、聖書のその部分を学ぶ必要は無いとか、特に世の終わりを意識する必要は無い、などです。例え本当にキリスト者が世の終わりの災いに遇わないとしても、そのような態度は大変危険であると思います。反対に仮にその説が間違っているとしたら、それらの人々は世の終わりに際し準備が出来ていないために大きな惑わしに会ってしまうでしょう。

 エレミヤ氏はこれらの惑わしがアメリカから出たのは、ある人々が真実の教えに気付いてそれを見えなくしてしまうためにわざと偽りを持ち込んだのではないかと述べます。その根拠となる聖句はダニエル書8章23節です:

彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。


 この「狡猾な」とされる聖書箇所を欽定訳聖書では「謎を解く」と記してあるのだそうです。この王は24節では「あきれ果てるような破壊を」行うと記されています。このような国とは現代において、アメリカ以外にはありえず、それを聖書的に解き、狡猾にごまかすために様々な教理を普及させるのだと言うのがエレミヤ氏の主張です。

 エレミヤ氏はヨーロッパ大統領が反キリストになると言う説や、イスラエルと世界が結ぶ7年の平和条約というダニエル書の解釈も、同じように真実から目をそらすための偽りの教えだとします。これらの教えが目を反らしているものは、アメリカが世の終わりの獣の国と言う見方であり、反キリストが宗教指導者としてアメリカから出現すると言う見方だそうです。

 エレミヤ氏は以下の4つを、このような惑わしのためのアメリカの動きであると説明します:

※ 艱難前携挙説はJ.N.ダービーがアメリカ各地を19世紀前半に講演することにより広まった
※ 恣意的な解釈を聖書に加えたスコフィールド注解付き聖書もアメリカ発である
※ 2000万部を売り上げた終末本「今は亡き大いなる地球」のハル・リンゼイもアメリカ発
※ 4000万部を売り上げた、終末のウソのオンパレード(とエレミヤ氏は主張する)、「レフトビハインド」シリーズもアメリカ発


 エレミヤ氏が偽りとする説に立つと、たとえばイスラエルの首都エルサレムにこれからユダヤ教の神殿(第三神殿)が建つことになります。逆にいえば、この神殿がまだ建たないので、世の終わりの時期はまだであると言ってしまう人々がいます。それをエレミヤ氏は惑わしであるとします。

 同じようにヨーロッパから反キリストが立つのなら、今の時期はまだ大丈夫と言う解釈になります。そのような状態のうちにアメリカで反キリストが立ち、全ての人との宗教的な契約を結ぶのではないかとエレミヤ氏は警告します。

 エレミヤ氏の反キリストに関する説をまとめると、彼は政治指導者ではなく、宗教的な指導者であること、アメリカが獣の国であるので、アメリカから立つこと、そして全ての人とキリスト者に対して、宗教的な取り決めを迫るということです。この取り決め(契約)に加わらないものは教会の中での立場が無く、外に追い出されることになると説明します。

 いわゆる世界統一政府も世界統一通貨も、エレミヤ氏の解釈にはありません。しかし世界統一宗教のようなシステムは登場すると言うことのようです。

 私はエレミヤ牧師のすべての説に同意をするわけでは在りませんが、この説を否定するつもりもありません。キリストがマタイ24章の中で世の終わりの情景を述べる際に、開口一番に「人に惑わされないように気をつけなさい」といったことは今このときに必要な警告です。ある説を信望するあまりに他の説に耳を貸さないことは、大きな惑わしだと思います。そういう意味で私は、エレミヤ氏の説を拝聴しています。特に教会に対する警告については、私自身の経験から深く頷くことが多いです。

 (次回のセミナーは来年の1月10日に開催予定だそうです。私も参加します。詳しくは「エレミヤの部屋」をご覧下さい。)

 もうすでに私たちは、教会さえも大きな惑わしに遇う時代に来ているのかもしれません。そのような時代に在って、本当に頼るべきは聖書と聖書の神です。

 あなたもイエス・キリストが与える安全を受け取りながら歩んでください。

 あなたがキリスト者なら、今日もこの方との深い交わりを求めつつ歩みましょう。この方こそ私たちの道であり、真理であり、いのちです。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのであれば、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れるように強くお勧めします。この方以外にあなたの安全は在りません。



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2009年12月01日

黙示録セミナー参加報告 その2

 レムナント教会のエレミヤ牧師による第7回黙示録セミナー参加報告の続きです。この回と後一回のシリーズになります。(エレミヤ氏の記事は以下のサイトで読むことが出来ます:「エレミヤの部屋」 http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/

 前回の内容は聖書の終末預言、特に黙示録が封印されたものであり、見るべき者だけが見るように意図されたものであると言うエレミヤ氏の解説を紹介しました。その中で中心的な内容は、終末の時代には大きな惑わしがキリスト者の中にも入り込むと言うものでした。

 終末教理の基本的な内容は、教会に対する警告であるとエレミヤ氏は述べます。旧約時代のイスラエルは南北に分裂し、どちらも約束の地から捕え移されていきました。そのように新約時代にも神の民が神から離れ、裁きにあってしまうと言うことでした。もちろんそうならないための警告であり終末預言です。

 これからキリスト者が裁かれることをエレミヤ氏は、マタイ13章の良い麦と毒麦の例え話と、良い魚と悪い魚の喩え話から理論付けします。麦はパンの材料であり、パンは神の言葉の喩えです。それゆえ神の言葉を委ねられたキリスト者の中に良い者と悪い者が現れるとの説明でした。同じように魚もキリスト者を表します。終わりの時には良い魚と悪い魚を選り分けると言う喩えは、キリスト者の中にも真にキリストを愛する者とそうでない背教者が現れると言うことでした。

 イエスの時代には神の子の訪れが見えない偽教師たちが現れました。彼らはキリストから盲人の手引きをする盲人と非難を受けました。同じように終末時代にも教会指導者や神学者、伝道者の中に偽者の指導者たちが出現すると聖書は警告すると、エレミヤ氏は述べます。その惑わしはすでに現れているとするのがエレミヤ氏の主張です。

 前回に少し触れたディスペンセーショナリズムや、教会やクリスチャンは災いに会わないとする教理がその惑わしの現れだとエレミヤ氏は述べます。これらの説は19世紀初頭から出てきたもので、聖書の中のペテロやパウロなどはそんなことを信じていなかったはずだと氏は述べます。ここで教会に対する教理的な惑わしについて、旧約聖書エゼキエル書21章から引用して解説しています。下記は1節から17節までの引用です:

21:1 次のような主(神)のことばが私にあった。
21:2 「人の子よ。顔をエルサレムに向け、聖所に向かって語りかけよ。イスラエルの地に向かって預言せよ。
21:3 イスラエルの地に言え。『主はこう仰せられる。今、わたしはあなたに立ち向かう。わたしは剣をさやから抜き、あなたのうちから、正しい者も悪者も断ち滅ぼす。
21:4 わたしがあなたのうちから、正しい者も悪者も断ち滅ぼすために、わたしの剣はさやを離れて、ネゲブから北まですべての者に立ち向かう。
21:5 このとき、すべての者は、主であるわたしが剣をさやから抜いたことを知ろう。剣はもう、さやに納められない。』
21:6 人の子よ。嘆け。彼らが見ているところで腰が砕けるほど激しく嘆け。
21:7 彼らがあなたに、『なぜあなたは嘆くのか。』と言うなら、そのとき、あなたは言え。『この知らせのためだ。それが来ると、すべての者は心がしなえ、すべての者は気力を失い、みな意気消沈し、だれのひざも震える。今、それが来る。それは実現する。――神である主の御告げ。――』」
21:8 ついで、私に次のような主のことばがあった。
21:9 「人の子よ。預言して言え。主はこう仰せられると言え。剣、一振りの剣が研がれ、みがかれている。
21:10 虐殺のために研がれ、いなずまのようにそれはみがかれた。われわれはそれを喜ぼうか。わたしの子の杖も、すべての木のように、退けられる。
21:11 その剣はみがかれて手に握られ、それは、研がれて、みがかれ、殺す者の手に渡される。
21:12 叫べ。泣きわめけ。人の子よ。それはわたしの民の上に下り、イスラエルのすべての君主たちの上に下るからだ。剣への恐れがわたしの民に起こる。それゆえ、あなたはももを打って嘆け。
21:13 ためされるとき、杖まで退けられたなら、いったいどうなることだろう。――神である主の御告げ。――
21:14 人の子よ。預言して手を打ち鳴らせ。剣を二倍にし、三倍にして、人を刺し殺す剣とし、大いに人を刺し殺す剣として、彼らを取り囲め。
21:15 彼らの心が震えおののくように、彼らのすべての門に、つまずきをふやせ。ああ、わたしは剣の先をいなずまのようにして、虐殺のためにみがきをかける。
21:16 あなたの顔の向くところ、右に向け、左に向けて切りまくれ。
21:17 わたしもまた、手を打ち鳴らし、わたしの憤りを静めよう。主であるわたしが語るのだ。」


 剣とは神の言葉のことであり、終わりの時にそれがもはや鞘に収められない時が来るのだと言うのがこの箇所の解説でした。その際に剣が断ち滅ぼすのは良い者と悪い者の両方です。それは偽の教理によってキリスト者も騙され、キリストを信じない者も引き込まれての大きな惑わしになるとのことでした。

 このような惑わしの時代にもうすでに入っていると言うのは有りえない話では無さそうです。教団内では一つの神学が教理として採用されますが、それ以外の考え方をまるで受け付けなくなっている所はとても危険な状態だと思います。そういう意味で私たちは、教理は参考にしながらも、聖書によってそれを確かめ、場合によっては自分の信じた教理も手放す心構えだけは必要でしょう。

 このような惑わしの時代にあって、私たちが守られるのはただ聖霊なる神の導きによるしかありません。今こそ私たちは聖書と聖書の神により頼むべきときです。

 あなたがキリスト者なら、ただこの方にしがみついて安全を得ましょう。この方こそ私たちの砦です。

 あなたがまだこの方との関係を持っていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。

 教もこのブログを訪れて下さり有り難うございました。

 皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの祝福が大いに降り注ぎますように。




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黙示録セミナー参加報告 その1

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に神の祝福が豊かにありますように。

 エレミヤ牧師による黙示録セミナー参加報告です。(エレミヤ氏の記事は以下のサイトで読むことが出来ます:「エレミヤの部屋」 (http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/

 第7回のセミナーでは、最初に黙示録の封印について解説していきました。黙示録5章1節から4節には以下のように有ります:

5:1 また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。
5:2 また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。
5:3 しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。
5:4 巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。


 通常の解釈ではイエス・キリストがこの封印を解くことが許されたゆえに、私たちにもこの書物(黙示録)が与えられたとします。しかしそれでは黙示録の解釈が開かれていないことを説明していません。そこでエレミヤ氏は、黙示録は閉じられた書物であると解釈します。

 聖書の記述は通常ははっきりしているとエレミヤ氏は述べます。たとえば、イエスが処女から生まれる預言の通りに乙女マリアから生まれたこと。これも預言の通りにベツレヘムで生まれ、エジプトへ逃げ田舎町であるナザレに移り住んだこと。旧約聖書に預言された如く、罪の無いのに人々の罪を背負って死んだこと、三日目によみがえられたことなどです。

 ところが終末に関する預言ははっきりと書いては居らず、幻や夢を記した箇所が多いです。これは神が、終末に関する預言、特に黙示録を全ての人に開いているのではないとエレミヤ牧師は解説します。ダニエル書12章9節10節には以下のようにあります:

12:9 彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。
12:10 多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行ない、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。」


 このように、封印とは封じられていることがポイントなのであって、開くための封印ではなく、見るべき人のみが見るのが封印である、と言う説明でした。エレミヤ氏は今の教会が終末について、あるいは黙示録について解釈する際に、根拠も無く開かれたとしていることを注意しています。 

 私もその点については思うところが有ります。教役者たちは「分からない」と言うのが恐いためか、あまり終末論に触れなかったり、反対に断定的になって他の説を認めないような解説をしたりしています。教理や神学が、聖書よりも先行している雰囲気さえあります。信徒の聖書に対する純粋な疑問が、教理や神学に対する反乱と受け取るような硬直した指導者もいます。

 たとえばそのような教えの一つに、ディスペンセーショナリズム(契約主義)という神学があります。この教えは神は人の歴史を6つの時代区分と1000年王国時代、そしてその先の永遠の世界に分けたとします。その主要な時代区分は律法の時代と恵みの時代(教会時代)で、イエス・キリスト以降は恵みによる救いの時代すなわち、教会時代とされています。

 この考え方でいくと黙示録の艱難はユダヤ人に対するものだと解釈されます。エレミヤ氏はこの教えは19世紀前半から入り込んだ惑わしであると解説します。(詳しくは次回に説明します。)

 序章で述べたように、エレミヤ氏は終末論のポイントを教会に対する惑わしであるとしています。黙示録3章にあるラオデキアの教会は、主イエスから「口から吐き出しそうだ」と言うような表現までされているありさまです。旧約聖書の神の民が滅びに至ったように、新約の民も惑わされ滅びると警告するのが黙示録の役目で、それゆえに黙示録は警告の書として聖書の最後に位置するとエレミヤ氏は説明しました。

 イエス・キリストを信じた者を惑わそうとする勢力は確かにあります。魂の敵である悪魔や悪霊との戦いには、ただイエス・キリストにすがった歩みしか有りません。

 教会さえもふるいに掛けられる時代に、キリストを知らない人に対する惑わしはなおさら大きいものとなるでしょう。私たちは今こそイエス・キリストの救いにしっかりとしがみつくべき時が来ています。

 あなたがキリスト者なら、今日もイエス・キリストに思いをはせ、この方に感動することによっていのちを受けましょう。この方こそ私たちの砦です。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのであれば、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方の救いを早く受け取って、あなたも安全な歩みをはじめてください

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2009年11月30日

黙示録セミナー参加報告 (序章)

 先日の11月29日、日曜日に開かれたレムナント教会のエレミヤ牧師による「第7回黙示録セミナー」に参加してきましたのでその内容を何回かに分けてご紹介します。エレミヤ牧師は以前「ハーザー」誌でも話題になったクリスチャン向けの警告サイトや「エレミヤの部屋」の管理者でもあります。(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/

 当日私はセミナーの他に午後の礼拝にも参加しました。その礼拝メッセージの中で、現代の教会に対する大切な警告が有ると思いましたので、今回は「序章」としてその礼拝メッセージをご紹介します。

 聖書箇所は第一列王記14章です。この箇所は北イスラエル王国の初代の王であるヤロブアムの子供が病気になる箇所です。ヤロブアムは奥さんを変装させ、ツロの預言者アヒヤの所へ向かわせます。そこでアヒヤは神によって変装を見破り、ヤロブアムへの神からのメッセージを伝えると言う内容です。

 エレミヤ氏はイスラエルを教会の例えとし、イスラエルが北と南に分裂したことは、教会がカトリックとプロテスタントに分裂したことの預言的な出来事であると解釈します。そして北イスラエル王国をカトリックの型とし、南ユダ王国をプロテスタントの型とします。

 ここで重要なのは、イスラエルは北も南もいずれ神から離れ捉え移されてしまったことです。エレミヤ氏はカトリックは偶像崇拝や聖人礼拝などで神に背いているけれども、同じようにプロテスタントも惑わしに遇い神の御心に背いて行くと解説します。

 北イスラエルの初代王であるヤロブアムは預言者アヒヤにすでに神の御心から離れていることを指摘されます。事実彼はこれより以前の12章29節で、北イスラエルの人々が礼拝するための金の子牛像を作り、ベテルとダンに設置しました。

 エレミヤ氏はカトリックは北イスラエルが初めから災いを招いたように、初めから神から離れていると指摘します。つまり、部分的に良い教理や模範となる行いがあるのではなく、偶像崇拝がある時点で主なる神から離れているとします。14章9節にはヤロブアムが神から、「偶像を作ったことによりわたしを後ろに捨て去った」、と非難をされています。ここでエレミヤ氏は神を礼拝することと偶像崇拝は両立しないと解説します。部分的にカトリックが良いのではなく、偶像崇拝をする時点で神を後ろに捨て去り、災いを招くのだということでした。

 さらに11節では預言者アヒヤは「ヤロブアムに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう」と神の言葉を取り次いでいます。これはカトリックの信者が神の栄光を現さない状態ではないかとエレミヤ氏は解説します。特に鳥は霊的な存在として聖書で描かれることが多いことより、悪霊がカトリックの教理を用いて信徒を食らう様子なのではないかと述べます。

 15節では神が北イスラエルを水に揺らぐ葦のようにすると記されています。これも悪い霊に翻弄されるカトリックの様子を思わせるとエレミヤ氏は解説します。そして同じ節には神が彼らをユーフラテス川の向こう側に散らされるとあります。ユーフラテス川からエジプトの川までは、聖書に記述のあるイスラエルの約束された勢力範囲です。川を聖霊の例えとするならば、カトリックは聖霊の守りから外され、約束の場所からも捉え移されてしまうと言う意味なのではないかとのことでした。

 14章の後半には南ユダに関する記述が登場します。ユダもプロテスタントの型だとするのがエレミヤ氏の解説です。25節26節で、南ユダがエジプトに侵略され、神殿の宝物であった金の盾が奪われたとの記述があります。そして南ユダのレハブアム王は金の盾の代わりに青銅の盾を作り神殿に納めます。金は聖書的には信仰を表し、青銅は裁きを表します。そこでエレミヤ氏はプロテスタントが信仰の盾を奪われ、裁きの盾で神の宮を守ると解説します。

 この解説にはなるほどと思わされました。私が付け加えるとすれば、エジプトはこの世の象徴です。そう考えると確かに私の卒業した神学校でも繁栄の神学がもてはやされていました。教会がこの世での繁栄を喜ぶということは、エジプトからの攻撃を受けていたということです。しかも私の見た限りでも教役者(牧師伝道師)が、信徒を指導すると称してよく裁いていました。神の宮がこの世に荒らされ、信仰が奪われその代わりに組織を維持するために裁きを用いて教会を守ったということなのでしょう。自分の体験を振り返って唸ってしまった聖書解説でした。

 エレミヤ氏のホームページにはあまりにも辛らつな言葉なので読みたくなくなる記事もあります。しかしエレミヤ氏の言うように他の教会が見過ごしてしまった神からの警告は、確かに今教会に必要な気がしています。

 いずれにせよ今こそ誰もがイエス・キリストの救いを握って歩む必要があることは確かです。

 あなたがキリスト者なら、今こそキリストとの交わりを深めましょう。この方こそ私たちの砦です。

 あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外に救いは有りません。

 今日もこのブログを訪れて下さり有り難うございます。

 皆さんの上に私の神、主イエス・キリストの守りと祝福が大いにありますように。

 



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2009年09月23日

黙示録セミナー参加報告 最終回

 エレミヤ牧師による黙示録セミナー参加報告の最終回です。(同氏の記事は以下で見れます。ちょっと言葉が辛らつ過ぎるきらいがありますが、他では得がたいメッセージが沢山あります。エレミヤの部屋http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/ 角笛http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/

 前回は、黙示録13章に出てくる有名な「666」の刻印を、エレミヤ氏は教会の聖職者が信徒に授ける按手礼であると主張していると言う所まででした。

 黙示録13章では人々はこの「666」のしるしを、右手の甲か額に刻印されると書いてあります。このしるしが無ければ物を買うことも売ることもできないことから、聖書研究家の間ではこのしるしを、世界統一デジタルマネーシステムであると解釈するのが一般的です。

 エレミヤ氏の解釈では、買うことも売ることも出来なくなるというのは、獣の按手を受けなければキリスト者としての生活が一切出来なくなると言います。経済活動はおろか、教会員として生きることが出来なくなると主張します。獣の刻印を受けたキリスト者が主流となり、受けない人々を避難し自分たちの聖書的な正当性を主張するようになる、と予想します。

 ここでエレミヤ氏は前回もご紹介した、神から来る罠についてもう一度別の聖句を用いて言及します。イザヤ書28章13節から19節を以下に引用します:

(引用始め)
 主(神)は彼らに告げられる。「戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。」これは、彼らが歩くとき、うしろざまに倒れ、手足を折られ、わなにかかって捕えられるためである。
 それゆえ、あざける者たち――エルサレムにいてこの民を物笑いの種にする者たちよ。主のことばを聞け。
 あなたがたは、こう言ったからだ。「私たちは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。たとい、にわか水があふれ、越えて来ても、それは私たちには届かない。私たちは、まやかしを避け所とし、偽りに身を隠してきたのだから。」
 だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
 わたしは公正を、測りなわとし、正義を、おもりとする。雹は、まやかしの避け所を一掃し、水は隠れ家を押し流す。
あなたがたの死との契約は解消され、よみとの同盟は成り立たない。にわか水があふれ、越えて来ると、あなたがたはそれに踏みにじられる。
 それは、押し寄せるたびに、あなたがたを捕える。それは朝ごとに押し寄せる。昼も夜も。この啓示を悟らせることは全く恐ろしい。」
(引用終わり)


 エレミヤ氏は終末の時代に来る惑わしは、キリスト者をふるいにかけるような罠になると警告します。この罠は神から来る物で、それゆえにこの惑わしはいままでよりももっと激しく信仰者を揺さぶると言います。

 黙示録13章14節には、人々はいずれ来る反キリストの像を拝まされると書いてあります。エレミヤ氏によるとこの「像」という言葉は英語の聖書にはimage(イメージ)と書いてあり、キリストが神の形の現れである「形」という言葉もimage(イメージ)と表現されているとのことです。キリストが完全な神であり完全な人として現れたことから、この反キリストも「獣(サタン)」の完全な現れを示す人として現れ、獣の像を拝まされると言うのは反キリスト本人を個人崇拝することであると主張します。銅像のような物を拝まされると解釈していた従来の考え方とは大きく違いますが、なるほどと思わされました。

 エレミヤ氏のセミナーは実は、これで前半部分の終了です。後半は聖書の暗号「Bible Code」の研究です。聖書の暗号については私自身は、面白いとは思いつつも半信半疑です。以下にエレミヤ氏の研究成果を載せたサイトをご紹介しますので、皆さんに興味があればご自分でお調べください。 (http://www.geocities.jp/ou7540jp/angou1.html

追記注:
聖書の暗号は信頼できないものであるようです。そのように聖書の暗号に出てきたそうで・・・(爆)

詳しくは下記のリンクをどうぞ:

http://www.nazotoki.com/bible_code.html

一番最後まで読むと「暗号はイカサマ、おバカなデッチ上げ」と出てきた事が記されて笑えます。

以下、もとの記事に戻ります・・・




 一つの聖書解釈の説として、今までエレミヤ氏のセミナーの模様をご紹介してきました。多くの聖書研究家が、イスラエル共和国が再建されたことにより、イエス・キリストの再臨の時期が近づいたと判断しています。

私たちに今必要なのは、今がどのような時代なのかを理解することです。このような時代に、あなたは何を頼りに生きますか。

聖書の神に立ち返り、神とつながる生き方をしましょう。

あなたがキリスト者なら、神の前に出ることの出来る特権を、常に大胆に行使しましょう。この方につながることが、私たちの安全につながります。

あなたがまだこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外には救いは有りません。

今日もこのブログに訪れて下さり感謝します。

皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの大いなる祝福が降り注ぎますように。

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黙示録セミナー参加報告 その3

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の祝福が豊かに降り注ぎますように。

 レムナント教会牧師のエレミヤ氏による、黙示録セミナー参加報告の続きです。今回は3回目ですが、次回で全てが終わります。(同氏の記事は以下で見れます。エレミヤの部屋http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/ 角笛http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/

前回は現代のキリスト教会が、アメリカ由来の神学や宣教師によって堕落させられていると言うところまででした。

第一テサロニケ5章3節は以下のように警告します:

(引用始め)
人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
(引用終わり)


 エレミヤ氏は終末のキリスト教会も、多くの人々が「平和だ、安全だ」と言いながら滅びに至ると予想します。前回の報告で、エレミヤ氏は黙示録に出てくる獣の国がアメリカであると主張していることをご紹介しました。氏はそのことのセミナーをしようと、あるキリスト教系の新聞社に広告を依頼したそうです。しかし広告掲載を検討すると言われ、1週間待たされた上、掲載を丁重に断わられたそうです。同じテーマで本も出版しましたが、この本の広告も断わられたそうです。

 これらのことよりエレミヤ氏は、教会の中ですでにアメリカに対するイメージが固まってしまって、誰もアメリカが獣の国であることを受け入れなくなっているのではないかと述べます。

 この点については私も気が付くことがあります。私はアメリカで洗礼を受けましたし、アメリカの教会を少しは知っています。それで日本に帰って、日本人クリスチャンがアメリカに対して、ずれた思い込みがあることを知りました。彼らはアメリカの教会を美化しています。

 911以降、少しは状況は変わっているかもしれませんが、まだまだアメリカを「獣の国」と言われれば、感情的な拒否反応が出てしまうのでしょう。エレミヤ氏の説が正しいかどうかも検討する余裕さえ無いようです。

 エレミヤ氏はイザヤ書8章13節から15節を引用し、終末の時代の惑わしは神の罠であると述べます。以下に聖句を引用します:

(引用始め)
 万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。
 そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イスラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、落とし穴となる。
 多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、わなにかけられて捕えられる。
(引用終わり)


 イエスの時代に起こることが終末の時代にも繰り返されるというのが、多くの神学者たちの主張する所です。エレミヤ氏はイエスの時代にはイエス自身が罠となって、宗教家たちを引っ掛けたといいます。

 例えばイエスはナザレ出身でしたが、旧約聖書には救い主はベツレヘムで生まれると書いてあります。実はイエスは、両親の旅行中のベツレヘムで生まれ、当時の支配者に殺される危険があったためにエジプトに逃れ、帰ってきて両親の家のナザレで育ちました。当時の宗教家たちはそんな細かいことまで知りません。イエスがナザレ出身であることで、即座に偽キリストのレッテルを貼ったのでした。

 エレミヤ氏はこの出来事をまるで試験の引っかけ問題のようだと言います。神がわざと宗教家たちが引っかかるようにと、罠をかけたと言う訳です。この出来事が終末の時代に起こり、今もそれが起こりつつあると言います。

 大抵の神学的な立場は、獣の国はヨーロッパであると主張しています。そしてイスラエルと7年の平和条約を結ぶと予想しています。エレミヤ氏の解釈ではこれは罠で、ダニエル書9章にある7年の契約は、キリスト者が反キリストと結ぶ宗教的な契約であると主張します。そして有名な黙示録13章に出てくる666の刻印は、反キリストの支配を受けた教会から受ける按手礼だと述べます。

 ここで教会文化に詳しくない人々のために説明を入れる必要があると思います。まず、按手礼とは聖職者が信徒の頭に手を置いて祈る、祈りの形態のことを言います。

 黙示録13章に出てくる666の数字とは、以下の聖書個所のことです(黙示録13章16節〜18節):

(引用始め)
 また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。
 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。
 ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。
(引用終わり)


 昔から神学者たちは、聖書の原語であるヘブル語とギリシャ語の文字が、どちらもそれぞれ数字に置き換えることが出来るので、いろいろな人の名前をギリシャ文字やヘブル文字に変換して数字を数え、反キリストは誰であるかを探そうとして来ました。そして多くの神学研究者たちは、「666」はバーコードに電算処理のために中央と両端にある3本の6を表す線のことだと言います。

 しかしエレミヤ氏は、獣の刻印とは按手礼によって受ける、反キリストとキリスト者の間の契約であると主張します。

エレミヤ牧師は神学的に言えば大艱難中期携挙説を支持しています。

私は大艱難前携挙説を支持しますが、スーダンや北朝鮮などで現在も拷問を受けているキリスト者にすれば、携挙の時期は意味の無い論争でしかないでしょう。

それゆえキリスト者に限らず全ての人が、世の終わりに何が起こるのかを聖書的に知り、今私たちは世の終わりの時期をすでに生きているのだということを自覚するほうが、よっぽど世のため人のためになると思います。

それよりももっと良いことは、あなたが今、救い主である神、イエス・キリストにつながることです。

あなたがキリスト者なら、今の時を大切にし、常にイエス・キリストと共に歩んで下さい。この方にしがみつき、愛といのちと導きを、常に受け取って歩みましょう。

あなたがまだこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。永遠の世界をどこで過ごすか、時間のあるうちに早く決断してください。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







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2009年09月22日

黙示録セミナー参加報告 その2

 レムナント教会牧師のエレミヤ氏による、黙示録セミナーの続きです。黙示録セミナーと言いつつも、終末セミナーと考えて頂ければよいと思います。今回は2回目ですが、最後まで終わらなかったので、明日も続けることに致します。(エレミヤ氏のサイトは以下の二つです: エレミヤの部屋http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/ 角笛http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/

 前回はイエス・キリストの時代に起きたことが、終末の時代にも再現されるということまでご紹介しました。

 エレミヤ氏はクリスチャンの堕落(背教)は、旧約時代のイスラエルの民の砂漠の彷徨にもつながると言います。

イスラエルの民はモーセをリーダーとして、神に導かれてエジプトを出ました。しかし直ぐには神の示す約束の地、パレスチナの土地に入ることは出来ませんでした。それは神の言葉を結果的に信じなかったからです。

 エレミヤ氏は終末の時代の教会にも同じような試練があると予想しています。神の言葉、聖書の預言にはキリスト者に対する試練が言及されています。しかし教会はいま、そのようなことを警告するどころか、終末についてさえ教えていないと氏は述べます。

 旧約の時代のイスラエル王国は北と南に分裂をしてしまいました。北イスラエル王国はアッシリアに捕囚となり、南のユダ王国はバビロンに捕囚となりました。エレミヤ氏はこの出来事も終末の時代の教会に繰り返されるのではないかと言います。

 エレミヤ氏は、黙示録13章以降に出てくる獣とその国、大バビロンはアメリカのことではないかと解釈しています。そしてこの解釈から、教会のバビロン捕囚はアメリカ由来の教義にとらわれることを意味すると述べます。

 エレミヤ氏の言うように、日本のプロテスタント教会は多くの場合アメリカ由来の教義を受け入れています。私も神学生時代に短期間ですが、アメリカに研修に行きました。アメリカが神学的な最先端の地であるというイメージは常にありました。エレミヤ氏はそのような日本の教会について警告しています。

アメリカは政治的には間違いなく世界の中心です。エレミヤ氏はアメリカの神学者たちが自分の国が聖書に出てこないと主張することを指摘します。それは氏によると、わざわざアメリカが聖書に出てこないことを説明しているようだと言います。たとえて言えば、クラスで誰かのお財布が紛失した時、だれにも聞かれていないのに「俺は絶対にとっていない」と言うようなものだと言います。

これだけ世界中を大混乱に巻き込む国家が、聖書に出てこないと主張するのは、何か意図があってわざと誤魔化しているのではないか、と言うわけです。そこでエレミヤ氏は、終末の教会がアメリカ由来の惑わしにはまることを警告しています。

 氏の警告は例えば、教会がアメリカ人メッセンジャーを無条件にありがたがるようなことを指摘しています。氏も指摘したあるカナダ人の伝道者は、「笑いの聖会」というのを開くことで有名です。

私はそのビデオを見ましたが、ただみんなで笑っているだけの、まったく面白くも無いビデオでした。おそらく会場に参加している人は、その場の雰囲気で自分も笑ってしまい、神の霊に触れたと思って帰って行ったのだと思います。エレミヤ氏の言うようには非難したくはありませんが、私も彼らが本当に神の霊に触れたかは疑問に思っていました。

 エレミヤ氏は他にも何人か名指しでアメリカの伝道者を偽預言者、偽教師と指摘しました。

 エレミヤ氏は聖書の警告する、愚かな空想話によって教会が堕落する時代が、もうすでに来ていると警告します。

 人でも、組織でもなく、ただ私たちが従うべきはイエス・キリストです。この方を信じて歩んでいきましょう。

 あなたがキリスト者なら、ただイエス・キリストとの交わりを深め、導きを求めましょう。この方だけが私たちを導きます。

 あなたがまだこの方を知らないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。時間のあるうちに、あなたが永遠の世界を神とともに過ごす決意をしてください。

 今日もこのブログを訪れてくださり有り難うございます。

 皆さんの上に私の愛する神、イエス・キリストの恵みと哀れみが豊かに降り注ぎますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html






posted by モトイ at 13:00| 千葉 ☁| Comment(2) | 講演会・セミナー参加報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黙示録セミナー参加報告 その1

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の祝福が豊かにありますように。

 エレミヤの部屋や角笛で辛らつな警告をキリスト教界に展開している、レムナント教会のエレミヤ牧師のセミナーに参加してきました。(エレミヤの部屋http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/ 角笛http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/

氏のホームページには、余りにも厳しいことばが羅列するため多少警戒していましたが、実際に話を聞けばなるほどと思わされることも多かったので、何度か参加しています。

今回の報告は先日の9月20日、日曜日に行われたセミナーです。2回ほどに分けて報告します。

エレミヤ牧師のライフワークは、現代のキリスト者に対する警告です。(携挙の時期についてはこの際、判らないこととして話を進めています。携挙があるから大丈夫とするキリスト者をエレミヤ氏は非難します。非難の仕方は別として、基本的には私もそれに同意します。)

このブログに来てくださる方はクリスチャン以外の方が多いです。そんな方々にも、世の終わりに何が起こるのかを、聖書的に見ていくことは興味深いと思います。おどろおどろしい話になりますが、この機会に聖書の一つの解釈に触れてくださればと思います。

 まず、マタイ13章47節〜50節の解釈です:

(引用始め)
 また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。
 網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
 この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、
 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
(引用終わり)


 この箇所を魚と言うキーワードで解釈すれば、世の終わりに対するキリスト者への裁き、又は選り分けであると氏は述べます。魚は伝統的にクリスチャンのシンボルだからです。(ギリシャ語で魚を表す「イクソス」が、「イエス、キリスト、神の子、救い主」の頭文字からなるからです。)

 世の終わりになぜキリスト者が選り分けられるのか。それは背教が教会に入り込み、人々を惑わす時代になるからです。

 同じくマタイ13章には麦と毒麦のたとえ話が出てきます。主人(神様)の畑には麦を蒔いたはずなのに、毒麦が目を出したとしもべ(天使)たちが主人に伝えます。しもべらはすぐに引き抜こうとしましたが、主人は良い麦と悪い麦のみわけがつかないので、収穫のときまで待てと命じます。収穫のときに引き抜けば間違いがないと言うわけです。

 この収穫のときとは世の終わりを意味します。エレミヤ氏は麦と毒麦が見分けがつかないことに注目し、世の終わりにははっきりと見分けがつくようになることに言及します。キリスト者の中では羊の皮をかぶった偽教師や、惑わされた人々が居り、それらの人々が世の終わりになってはっきりと現れると言うわけです。

 イエスの時代に起こったことは世の終わりにも再現されるとよく言われています。エレミヤ氏はそのことに注目し、バプテスマのヨハネの言葉を引用します。マタイ3章でバプテスマのヨハネは「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから」と言って、イエス・キリストの道備えをします。聖書は彼を、「この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」と言われたその人である。」と述べています。

 エレミヤ氏は、イエスの時代の人々がイエスをメシアであると認めなかったことに注目します。特に聖書に精通していたはずの人々が、イエスを十字架につけてしまったと述べます。イザヤ書の「主の道をまっすぐにせよ」という記述は、主の道が曲がっていたことを表すと述べ、同じように今この終末の時期も、主の道が曲げられていると、警告します。

 バプテスマのヨハネはイスラエルの人々に向かって、必ず来る神の怒りについて述べています(マタイ3章7節)。エレミヤ氏はキリスト教界が神の怒りに遇う日が来ると警告します。

 ではなぜ神の怒りに遇うのかと言うと、教理的なことで教会の分裂を助長するようなことを書かなければならなくなります。それはこのブログの趣旨に反するので、そのような意味のないことは省略します。ただエレミヤ氏の述べるように、キリスト者が自分の歩みを振り返る必要があることは私も感じています。

 いずれ教会は大きな統一運動をむかえるとともに、大分裂の時代になることでしょう。そこで表立って統一を言う人々は、宗教の統一にまで発展するでしょう。イエス・キリストだけが救いであると主張する人々は、カルトと称されて毛嫌いされるでしょう。更にその延長線上には、カルト狩りと称しての教会弾圧が行われるでしょう。

 実は私はエレミヤ氏の批判の矛先の集中するような神学を支持する、ペンテコステ派と呼ばれる教団の、しかも最右翼の教義を学んでいるので、彼の言いたいことは十分判ります。しかしそれでも教会はキリストの体です。私たちは自戒をしなければなりませんが、分裂するべきではありません。矛盾することを言うようですが、これから来る分裂にさきだって、キリスト者が非難し合って分裂するべきではありません。氏のセミナーはその点以外では、大変刺激を受け参考になります。

 いずれ来る宗教統一と教会弾圧には、すべての人々が関係するでしょう。

 あなたがキリスト者なら、今から十分に主イエスとの交わりを深め、何がいつ起こっても良いように準備をしましょう。

 あなたがまだこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエスキリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。まだ時間のあるうちに、あなたがどこで永遠の時を過ごすのかを早く決断してください。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







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