2016年12月30日

クリスチャンへの年賀状・・・悪魔より(再掲)

こんにちは、モトイです。
今週はツイッター記事さえアップしていなかったので、申し訳ないのでかつて評判だったタイムリーな記事を再掲いたしますf^^;)


以下より再掲記事です。お楽しみ下さい・・・・。

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モトイです。


水谷潔という方のサイトを知り合いから教えてもらいました。そこには「悪魔からの年賀状」というのがありました。

大爆笑と苦笑いですが、クリスチャンの方々に痛烈なブラックジョークとしてここに転載させていただきます。(ノンクリスチャンの方も楽しめるとは思います。しかし皆さんは実はもっと深刻な状況にありますので下記をクリックしていただければと思います。)


神と人の本当の関係.WAV





 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html








水谷氏のサイトの記事へは下記をクリック:http://blog.chiisana.org/?eid=1407595





それではお楽しみください・・・


(以下より転載文)





あけましておめでとうございます。私、悪魔、並びに悪霊一同より、新年のご挨拶を申し上げます。

 旧年中は、私どもが吹き入れる邪悪な思いに、しばしばご賛同頂き、時にはそれを実行に移し、何度も神の御名を汚して下さり、大変お世話になりました。さらに、それらを真実に悔改めることもなく、一年を過ごしていただきましたことは、神の赦しと回復の恵みとを自ら拒否することであり、私どもにとりまして何よりの励ましとなりました。

 控え目な礼拝出席、形式的な礼拝姿勢、表面的な教会での交わり、従う意志のない聖書の読み方、自分中心の願い事ばかりの祈りなどを通じて、救いの確信を失いかけたり、自らを省みることなく人を裁いてばかりの信仰生活には感謝の言葉もございません。まことに旧年中はお世話になりました。

 ただ、兄弟姉妹の祈りや牧師の適切な指導さえなければ、さらに神なき素晴らしい世界をご一緒できたであろうことを思いますときに、まことに悔やまれる次第でございます。


 さて本年も引き続き、気の向いた時だけ聖書を読み、決して神に本気で期待することなく祈り、兄弟姉妹とは建前だけの交わりに留めていただき、信仰は仕事と家庭には持ち込まず、「生教分離の原則」を徹底され、世と調子を合わせていただき、忌々しい神の栄光を現すことのございませんように、どうかよろしくお願いします。

また、そのようなことは万が一にもないとご信頼申し上げておりますが、新年を機に、真実に悔改める、神に立ち返る、神に従う決断をするなどの暴挙だけは、くれぐれもご容赦いただきますよう切にお願い申し上げます。

 新しい年を迎え、私どもも全力をあげまして、あなた様が世の楽しみ、自己実現などにまい進され、神なき世界を満喫されますようご誘惑申し上げます。

 そして、いつの日か、教会生活を離れられ、キリストへの信仰もお捨ていただき、、私どもと永遠を共にしていただければ光栄至極でございます。   
                                     
あなたの魂を恋い慕う悪魔より。



posted by モトイ at 12:41| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月14日

祈りのためのモチベーショナル動画

モトイです。

311の時に熱い祈りを捧げたキリスト者は多いと思います。私自身、被災地域や日本のリバイバルのためにここぞとばかりに祈りました。

しかしながら時が経ち、その熱い祈りを忘れつつあると感じています。その祈りの思いを再燃させようと、モチベーションアップのための動画を作りました。自戒の意味と反省を込めて作りましたが、みなさんの祈りの生活のためにもお役立て下されば嬉しいです。

キリストの体のために用いてくださることを期待しております(リンクフリーですので、わざわざ断らなくても結構です。主イエスのため、日本のためにお役立てください。)




http://youtu.be/POcO4Zeiolo














神と人の本当の関係.WAV





 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html






posted by モトイ at 16:04| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月31日

浪費される時間

お早うございます。
モトイです。

 私は十代の終わりに五木寛之の小説「青春の門」を読んで無性に腹が立ちました。この小説は文体も美しく、主人公の描写もひとつひとつの出来事もとても読者を惹きつけるように描かれています。しかし結末がありませんでした。単行本で5冊もの分量を夢中になって読んだ末、物語に結論がないことを思い知らされ、私は無性に腹が立ちました。

後に知ったところではこの小説は数年間に渡る連載小説で、新聞か雑誌に載せられたものだったそうです。多くの人が私のように感じるとは限りませんが、終わりのはっきりしない終わり方をしたのには失望してしまいました。文章の書き方がとてもうまく、最後まで次の展開をわくわくしながら読んでいただけに、その失望はとても大きいものでした。

これはおそらく私たちの日常にも同じことが言えるのだと思います。何かを期待しながらただダラダラと休日を費やしてしまった後悔の感覚は誰もが持っているのではないでしょうか。それならば始めから「今日はダラダラする日」と決めておいた方がよっぽど精神衛生上良いはずです。

休日の用い方にしてもそうですが、もっと大きな「人生」の使い方についても同じことが言えるのではないでしょうか。目的も分らず行き先も知らない人生の終わりには恐らく失望落胆があることでしょう。豊臣秀吉のように栄光栄華を極めた人でも、死の直前には恐怖で怯えていたと言います。きっと自分のその後の行き先について不安があったからでしょう。

ひょっとして精神世界の指導者と呼ばれる人々が言うように、輪廻転生を通して多くの人生を繰り返し、魂の進化を遂げることが私たち人間の生きる目的なのでしょうか。それは単なる目的のない人生の繰り返しです。そんな人生こそ「無間地獄」なのではないでしょうか。

聖書は人の造られた目的を神とコミュニケーションをとるためであると教えます(創世記1章&イザヤ書43章7節)。私たちは地上世界で神と共に生きるようにと、神によって造られたのです。

しかし人間は神から離れてしまいその目的を見失ってしまいました。その結果、ある人は人生をダラダラと浪費し、またある人はその場その場で好き勝手に面白おかしく生きています。そしてその行き着く先は、神のいない魂の滅びの世界です。たとえその人の人生が楽しい善良なものであったとしても、人間本来の造られた目的を生きなかったのならば、その人の人生は浪費されたことになってしまいます。

人の心が最も輝く瞬間とは、世の中の清いもの、美しいもの、聖なるものに触れた瞬間なのだと思います。誰でも美しい空や海、山や野花を見つめて荘厳な気持ちになったことはあるでしょう。それは神が私たちの心に植えた、神とのコミュニケーションの手段である「永遠への思い」を私たちが感じている瞬間だからなのでしょう(伝道者の書3章11節)。

私たち人間は心に神への思いがあるのに、それを無視してその思いを他のあらゆるものへと転化しています。それは人の造られた目的を無視した行為ですが、聖書ではそれを「罪」と呼んでいます。この罪があるために人の人生は、例えば家電製品が使用目的を無視した使い方をされるように浪費され、壊されていきます。私たちは神との関係を解決し、この罪の問題を処分しなければなりません。

イエス・キリストはあなたの罪のために十字架にかかり死にました。そして私たちがこの地上で神と共に生きるようにと、三日目によみがえり天に昇られました。この方を信じ受け入れることは私たちと神との問題を解決することです。そして信じる者に約束されている聖霊なる神の内住は、私たちが神と共に生きるいのちに繋がることなのです。

キリストを信じた人は人生の目的を回復します。それは神と共に生きることです。

人の全ての悩みの根本原因は、私たちの「罪」が原因です。あなたもイエス・キリストを心にお迎えして、いのち豊かな人生を歩んでください。

あなたがキリスト者なら、今日も何よりもまずこの方との交わりを求めて下さい。この方こそ私たちの砦、私たちの人生の目的です。主イエスを喜ぶことは私たちの力です。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐ神である救い主、イエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。一刻も早くあなたのもっとも重要な問題の解決を手に入れて下さい。







神と人の本当の関係.WAV






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2011年04月29日

多くの人の命を救った警告

お早うございます。
モトイです。

 政治家や官僚の天下り先などの、利権集団に関するニュースには暗い思いをさせられますが、一方で原発事故の処理に駆け付けたフクシマ50や、津波から人々を守るために命をかけて交通整理をした警察官など、私たちの心を打つ美談が話題になったりしています。現場で働く日本人の倫理観念は、案外しっかりしたものなのかも知れません。

遠藤未希さんの命をかけた防災無線の話もいま話題になっています。遠藤さんは24歳の女性で、今年結婚したばかりでした。彼女は津波の被害が大きかった宮城県南三陸町の防災無線を担当する職員でした。

南三陸町の津波被害が想像を絶する大きさだったことは、人口1万7千300人のうち1万人が行方不明になっていることからも分ります。ニュースで放送された現地の津波のの映像が、今もネット上で話題を呼んでいます。

遠藤未希さんは自分自身の避難よりも、津波警報発信の職務を優先させました。そのことによって命を助けられた人は大勢います。

芳賀タエ子さん61歳もその一人です。タエ子さんは遠藤さんの「6メートルの津波が来ます。急いで高台に避難して下さい」と言う防災無線を聞いて慌てて避難しました。

タエ子さんの避難した高台には遠藤さんのお母さんも避難していました。娘を心配する遠藤さんのお母さんにタエ子さんは、無線の声がいつまでも続いていたと伝えています。振り返れば遠藤さんが最後まで続けた無線が、多くの人々を津波に気付かせ、高台にまで登らせることになったのでした。

しかし津波は無情にも遠藤さんのいる庁舎に襲い掛かります。同僚の数人は庁舎の鉄塔によじ登ってかろうじて助かりました。彼らのうちのある人は遠藤さんが海の方に流されるのを目撃しました。遠藤さんのことを「もうだめだろう」と後に語っています。

悲しい話です。しかし遠藤さんのおかげで助かった人々は、遠藤さんの命が自分を救ったと感謝して告白しています。聖書にも「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛は無い(ヨハネ15章13節)」とあります。自分が助かったことの裏に、誰かの命がけの働きがあったことを知ると、助かったその命を特に大切に扱うようになるのではないでしょうか。

このような感動的な話はこの震災の中で沢山あったようです。しかし震災を受けていない人々のためにも命がけで愛を示し、滅びの中よりの救いを達成した方に対しては、ほとんどの人々が感謝もせずに無視を決め込んでいます。

その方は、すべての人の罪のために十字架にかかったイエス・キリストです。人々はこの方による救いを受けないばかりか、自分が滅びに向かっていることさえも無視し続けています。

キリストは今も私たち全人類が滅びに向かっていると警告しています。そしてその救いがすでに完了したことも伝えています。私たちはただそれを受け取るだけで良いのです。

もし遠藤未希さんの警告を人々が無視したのなら、彼女はどれほど心を痛めるでしょうか。それどころかもし警告を無視したのなら、人々はその警告の通りに津波に襲われ、命を失ったことでしょう。

同じように人類はいま神から離れたことにより罪の中でもがき、滅びに向かって邁進しています。しかし人々は聖書や神の警告を無視し、自分こそ世界の中心だとさえ思って神を無視し、実は自分が滅びに向かっていることさえも知りません。

イエス・キリストは神であるのに私たちの救いのために自分の命を捨てた方です。この方を受け入れるのなら、永遠の滅びからの救いを受け取るだけでなく、自分自身の中に聖霊なる神が住んで下さいます。

この方はいのちの源です。私たちは滅びゆく世の中にあっても確かな導きを、自分のうちに住まわれるこの神から得ることができます。

私たちのために命がけで愛を示して下さった神、イエス・キリストを無視しないでください。この方を信じ受け入れることこそが、私たちすべての人にまず必要な神との和解なのです。

あなたがキリスト者なら、すでにある神との関係を思い起こして感謝をし、溢れるばかりのいのちを今日受け取って下さい。あなたのための命がけの愛に感動し、キリストと共に今日を過ごして下さい。主イエスを喜ぶことこそが私たちの力なのです。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。あなたを愛してやまない全能の神を、もうこれ以上悲しませないでください。







神と人の本当の関係.WAV




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2011年04月11日

人の痛みが分かるということ

お早うございます。
モトイです。

 先日ラジオを聴いていたところ、みちのくプロレスのグレートサスケさんが義援金についての話をしていました。みちのくプロレスと言えば東北を本拠地にしている人気プロレス団体です。そのみちのくプロレスも先の震災で打撃を受け、恒例の九州巡業をするべきかどうかと悩んだそうです。しかし震災直後ということもあって、九州のファンたちに元気なところを見せたいと、思い切って巡業を行い、同時に義援金も募集したそうです。

震災直後の巡業ということもあって、どこへ行っても好意的に受け止めてもらい、義援金もたくさん集まったようです。その中で島原の義援金が飛び抜けて多かったのだとか。サスケさんはびっくりしたと同時に、一つのことを思い出して納得したそうです。それは島原がかつて、雲仙普賢岳の噴火災害を受けていたことでした。自分たちが痛みを知っているので、今東北で苦しんでいる方々の痛みも人一倍分るのではないかという話でした。島原の人々はかつて義援金で助けられた恩返しを東北の人々に対してしているのでしょう。

その話を聞いて私自身もなるほどと納得したことが一つありました。それは台湾からの義援金がけた外れに多いことです。

台湾の人々も1999年の台湾中部大震災を経験しています。今回日本への義援金は、その時の痛みを思い出してのことなのだと思います。4月9日の時点で120億円を突破したとの報道がありました。半月で倍の勢いで増加しています。本当に有難いことです。

島原の人々にしても台湾の人々にしても、先の震災被害を自分たちの痛みとして感じて下さっています。そのことを知った時、私の心は余計に感動しました。なぜならそれはキリストがして下さったことと全く同じだからです。キリストはすべてのことについて、私たちと同じように試練に会われたのです。それゆえに聖書はキリストを、私たちに同情してくださる方であると言います(ヘブル4章15節)。そして聖書は続けて次のように言います(同16節):

だから、わたしたちは、憐れみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近付こうではないか。


神はどこか高い所に居られる方ではありません。また私たちに同情もできない恐ろしい方でもありません。全世界を創られた真実の神はむしろ、私たちが罪の中でもがき苦しんでいることを自分のこととして憐れむ心を持っています。

そのことはイエス・キリストが神であるのに人となり、人としてのすべてを味わったことからも分ります。罪は犯しませんでしたがこの方は、人の罪のために罪の苦しみのすべてを味わった方でした。

人間でさえ苦しみを味わえば他人の苦しみを理解できます。しかし神はもともと神です。全知全能の神が人となって苦しみを受ける必要はありませんでした。それでもわざわざ人としての苦しみを味わって下さったのは、私たちに対する愛を証明するためでした。

もし神が聖人君子や死んだ先祖であったのなら、敬う必要はないでしょう。なぜなら私たちも努力して神になればいいだけだからです。

もし神が宇宙の集合意識や超越的なエネルギー体か何かであったのなら、信じる必要もないでしょう。なぜならそれには人格も意思も感情もないからです。

でももし神が全宇宙の創造者であるのに人間が彼を無視しているのなら、しかも無視した結果の罪の中で苦しんでいるのに、神はそれでも憐れんでくださっているのなら、それだけではなく、罪のもたらす苦しみも味わい、私たちが受ける当然の罰を自分自身が十字架に背負って引き受けて下さったのなら、私たちにはこの神を知らないことが罪ではないとはもはや言えないのではないでしょうか。

まことの神であるイエス・キリストは私たちのすべての苦しみを感じてくれる方です。あなたが今どのような状況にあろうとも、この方はあなたの最大の理解者です。

イエス・キリストを信じ受け入れ、あなたもこの偉大なる神とつながって下さい。

あなたがキリスト者なら今日という日の中でこの方を礼拝しましょう。この方こそあなたのすべてを理解して下さる方です。神の恵みを受けるために今日も大胆にこの方に近付いて下さい。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外にあなたを神と和解させることのできる方はいません。イエス・キリストはあなたの神です。







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2011年03月31日

NASAの熱心

お早うございます。
モトイです。

 ちょっと面白いジョークを知ったのでご紹介します。これは東西冷戦が激しかったころの宇宙開発競争でのお話です……

アメリカのNASAは宇宙飛行士を宇宙に送り込んだ時に、ボールペンが無重力状態では使用できないことを発見しました。持って行ったボールペンはどれも使い物にならなかったのです。

そこでNASAの科学者たちはその問題を徹底的に調査分析し、全力をかけて対処することにしました。

120億ドルと10年の歳月をかけたプロジェクトはついに成功しました。NASAは科学の粋を結集して無重力でも上下逆さまでも、水の中でも氷点下でも、摂氏300度でも、どのような状況下でもどのような物の表面にでも書けるボールペンをついに完成しました。科学者たちの情熱と努力は、科学超大国アメリカの威信を守り通したのです。

一方ロシアでは、10年間宇宙空間では鉛筆を使っていました。


いかがだったでしょうか。なかなか面白かったのではないでしょうか。情熱をかけて物事に集中し、熱心に何かを達成したと思っても、それが大して意味の無いことであることを面白く伝えています。

このようなことは何も、東西冷戦の超大国間の話ばかりではありません。私たちの人生の目的についても同じです。

古代イスラエルの賢者ソロモン王も人の世のすべてが空しく終わってしまうことを嘆き、人と獣の結末が同じであるとさえ言っています(伝道者の書3章19節)。人はどんなに情熱をかけて何かをやり遂げても、結局風を追うようなものなのです(同2章17節)。

しかし同時にソロモンは次のようにも教えています:

あなたの若い日に、あなたの創造者(神)を覚えよ。災いの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に(同12章1節)。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(同12章13節14節)


 栄華を極めたソロモン王は地上のあらゆる快楽にふけりました。しかし結局それらは空しいことであることを知りました。同じように地上のすべての人の営みも、滅びゆく人にとってはすべて風を追うようなものであることも知りました。しかし最後にソロモンが到達したことは、彼が幼いころから教えられていた神への畏怖の念です。彼はこの思いが無いのならば、すべてのことが空しく終わると悟ったのです。

あなたはいかがでしょうか。

あなたは今、何かを熱心に行っているのかもしれません。それはとても素晴らしいことに通じているのかもしれません。しかしソロモンが悟ったように、神への畏れを失ったままの人間の営みはすべてが空しいのです。

あなたの人生を本当に意味のあるもの、またもっと素晴らしいものにするためには、神を信じて日々を送る必要があります。

イエス・キリストはあなたのために十字架上であなたの罪を処分された、救い主である神です。この方を信じ受け入れることのみが、私たちと神との間をつなげます。

イエス・キリストの救いを受け入れて、あなたの人生を有意義なものへとして下さい。

あなたがキリスト者なら、今日と言う日にこの方との交わりを深めましょう。ただこの方に寄り頼むことは、私たちにとって最も信頼するに足る堅固なやぐらです。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。もっとも大切な決断を先延ばしにせず、キリストの救いを受け取って下さい。






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2011年03月30日

ブータンの心

お早うございます。
モトイです。

 この震災では世界中の国々から、様々な形での助けが日本に来ています。ヒマラヤの小国ブータンもそういった国々の一つです。外務省は18日、ブータンが東北太平洋沖地震の震災に対して100万ドル(約8千万円)の義援金を申し出たことを発表しました。(MSN産経ニュース 2011.3.18 23:48
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110318/dst11031823490093-n1.htm

 さすがGNH(国民総幸福度)ナンバーワン国家を提唱するブータンです。国民の平均月収が約2万円である国が8千万円の義援金です。先進国の勝手なグループ分けでは最貧国に属するブータンの、他人の痛みを自分の痛みとして共感する純粋な心の現れです。あまり目立ちませんがとても美しい心の現れだと思います。
(ブータンの国民総幸福度については、以前の記事をご覧ください:「ブータンのGNH(グロース・ナショナル・ハッピネス)政策より滅びについて考える」http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/115441286.html?1236695062

NHKが以前ブータン特集をしたこともあるくらい、日本人にもブータンは馴染みがありますが、意外にもブータンは特別な理由から日本に対して親しみを持っているそうです。それは故西岡京治氏のブータンに残した功績のおかげです。

西岡氏は1964年から28年もの間、ブータンの農業改革に従事した人物です。彼が訪れる前のブータンはヒマラヤの高山地方の国として食糧生産に限界がありました。それは国民の栄養問題にも影響し、ビタミン不足から多くの病気が発生していたそうです。

しかし西岡氏はその高山地に、日本にあるような緑の野菜の作付けに成功しました。そして彼の進めた農業改革は、ブータン人の食生活を革命的に変え行きました。彼の活躍は目覚ましく、外国人としては唯一、「国の恩人」としてダショーの爵位を国王から授けられたほどでした。

西岡氏が敗血病のためにブータンで死亡した後は、ブータン王室と政府は国葬にして彼をブータン国内に埋葬しました。西岡氏はブータンにとって今でも、最も尊敬されている日本人なのです。

そんなブータン人の日本に対する特別な思いがあったのでしょう、彼らは自分たちのできることを目いっぱいしてくれました。日本人としてとても嬉しいです。またこのことで私自身の心が励まされて元気をもらいました。多くの日本人にとってもまた同じだと思います。

ブータン人がこのような美しい心を示せたのは、きっと彼らの心に死んだ西山氏の思いが生きて働いていたからでしょう。このことはイエス・キリストが私たちにしてくれたことに似ています。

イエス・キリストは私たちの罪を背負って死にましたが、私たちが生きるように永遠のいのちでよみがえりました。いま彼を信じる者はキリストの御霊とも呼ばれる聖霊なる神の内住を受け、キリストの心と共に生きることができるのです。

死んだ人間である西岡氏でさえブータン人の心を美しい心で震え立たせ、日本に対する援助を思い立たせました。それなら死んでよみがえった神の子、救い主イエス・キリストが与える心の高揚はいかばかりのものでしょうか。

イエス・キリストは、あなたがこの地上で豊かないのちを受けるために命がけで愛を示されました。彼が十字架上で苦しまれたのはあなたのためなのです。

あなたもこの命がけで示された愛を受け取って下さい。

あなたがキリスト者なら、今日と言う日にもこの方に注目することをおろそかにせず、イエス・キリストからいのちを豊かに受け取りましょう。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。救い主である神、イエス・キリストは必ずあなたをこの地上で生かします。






神と人の本当の関係.WAV




 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html










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2011年03月18日

「アンパンマンのマーチ」が被災者を励ましている

お早うございます。
モトイです。

 東北太平洋沖地震の被災者のためにラジオが大活躍をしています。私の良く聞くNHKラジオでも、地震関連のニュースはもちろんのこと、人探しの伝言や安否情報などの被災者同士のやり取りに時間が割かれています。そして一日中語られているのが、被災者たちへの励ましのメッセージです。

そんな励ましのメッセージとして数日前に放送された「アンパンマンのマーチ」が話題を呼んでいます。被災者たちが元気になってくれるようにと番組でかけたこの曲が、「勇気がわいた」とか「涙が出るほど元気になった」などと、子どもから大人まで再リクエストの声がたくさん寄せられました。

アンパンマンと聞いて日本人で知らない人はいないでしょう。私も番組を真剣に見たことは一度もありませんが、どう言う訳かアンパンマンがどんな番組かぐらいは知っています。

主人公のアンパンマンは正義の味方で、悪役のバイ菌マンたちと戦います。その際に弱って倒れた人を見つけると、アンパンマンは自分の顔をその人に食物として与えて元気づけます。アンパンマンは顔が欠けますが、パン屋のジャムおじさんがまたアンパンマンの顔をつくってくれます。実に単純なストーリーです。そして人のいのちのために死んでよみがえった、イエス・キリストそっくりです。

そのテーマ曲も実に単純です。下記にYouTubeの画像を張り付けておきますので、聞いて見て下さい。とても励まされます。私も励まされました。



歌詞も以下に載せておきます:

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ胸の傷がいたんでも

なんのために生まれて なにをして生きるのか 
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
今を生きる ことで 熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン やさしい 君は 行け!みんなの夢 まもるため



なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ
わからないまま おわる そんなのは いやだ!

忘れないで 夢を こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ どこまでも

そうだ おそれないで みんなのために 愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン やさしい 君は 行け!みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる 光る星は 消える
だから 君は いくんだ ほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ どんな 敵が あいてでも
ああ アンパンマン やさしい 君は 行け!みんなの夢 まもるため



このような単純なメッセージに、被災者だけではなく多くの人々が元気づけられています。大人同士がこのようなメッセージを普段語ったりすれば、多くの場合失笑されるでしょう。こっぱずかしいからです。

しかし本当は誰もがこんなストレートな励ましを欲しているのではないでしょうか。そのことが今回のラジオの放送でも分りました。

津波や地震の被害があったこんな時だから励まされるのではなく、本当はこのような励ましを私たち大人は心の底で、普段から求めているのです。それがいつの頃からか心が複雑なものになり、単純なメッセージがばかばかしく思えるようになってしまったのです。

もう一度この歌詞を振り返ってみてください:

そうだ うれしいんだ生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも

なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんてそんなのはいやだ!

今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君はいくんだ ほほえんで


この歌詞は震災や日常生活で打ちひしがれている人々を元気づけましたが、この歌詞の内容はそのままイエス・キリストです。アンパンマンは実在せず、私たちを力づけることはありませんが、イエス・キリストはアンパンマンのごとくに自分の体を私たちに与えて、私たちが今日を喜んで生きるようにされる方です。彼は聖書の中で以下のように今も私たちに語ります:

わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです(ヨハネ11章25節)。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります(ヨハネ6章56節)。


わたしたち現代人は時として死んだような思いで日々を過ごしますが、キリストを信じる信仰はその人をよみがえりのいのちで癒し、生かすのです。また神の言葉をキリストの体として食べ、聖霊なる神との交わりを血液の循環のように私たちの内に迎え入れる時、キリストの復活のいのちが私たちの内にとどまり続けるのです。

私たち大人はいつの間にか子どものような単純な心を失ってしまいました。私たちは大人になって賢くなったと思っていますが、その結果純粋な心を忘れてしまいました。

アンパンマンは私たちを助けてくれませんが、アンパンマンのような方、いやそれ以上のすばらしいイエス・キリストがいます。この方を単純に信じ受け入れ、この方によって癒しといのちを受け取って下さい。

あなたがキリスト者なら今日、この方を単純に信じましょう。この方の言葉を食べ、この方の御霊である聖霊なる神と交わりましょう。イエス・キリストは必ずあなたを今日と言う日に生かします。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。ただ単純にこの方を信じて、この世で受けた胸の傷の癒しと生きるための喜びを受け取って下さい。







神と人の本当の関係.WAV




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2011年03月11日

伝染する感情

お早うございます。
モトイです。

 学生時代の私の友人に人の悪口が得意な人がいました。得意というのは上手いと言う意味です。彼が人の悪口を言いだすと、周りはいつの間にかその話に感情移入してしまい、自分も彼と同じ意見を持ってつい同意してしまいました。しかしよく考えると彼が言うほどその人物は悪い人では無かった、と言うことがたびたびありました。

いま思うと私が彼に同調していたのはその意見に対してではなく、彼から発せられていたその感情だったのかも知れません。良くも悪くも感情は伝染します。彼は話す時に相手に感情を共有することを求め、私は知らず知らずのうちにそれを受け入れていたのでしょう。

ディール・カーネギーの本にも似たような話がありました。確か「人を動かす」の中だったと思いますが、感情が伝染してその人の陳腐な意見まで受け入れそうになった笑い話が載っていました。

著者であるカーネギー氏が話し方教室を開いていた時に、「雑草は土から生まれる」と主張する男性がいました。彼が言うには雑草はその他の植物とは違って、土が変容して雑草を生じさせるのだと言うことでした。

彼はあまりにもそれを堅く信じていたために、市役所の公園を管理する部局へ赴き意見を求めたそうです。しかし市役所の職員は彼の意見に反対しました。当然です。雑草は土の中にその根か種があるので発生するのです。しかし彼はそれには納得せず、市役所職員を相手に「雑草は土から生まれる」と言う自分の意見をそこでも力強く説明しました。

後に市役所の職員がカーネギー氏と話をする機会があり、その時のことを「もう少しで私もその意見に納得してしまうところでした」と話したそうです。感情をこめて伝えれば、雑草が土から生まれることだって納得させられてしまうのです。やはり感情は伝染するのです。

良い考えや感情が伝染すれば嬉しいですが、人の悪口や間違った考えが感情と共に伝染すれば困りものです。そこで新約聖書ではそのような悪い感情から離れるためのアドバイスとして次のように教えています(コロサイ3章2節):

あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。


「上にあるもの」とは神に属する聖なるものです。また「地上のもの」に関しては別の個所で次のように教えています(ヤコブ3章14節から16節):

しかし、あなたがたは内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。


この聖句ではねたみや利己心などの悪い知恵は「地上のもの、この世のもの」であるばかりか「悪魔から出たもの」であると述べています。聖書はそのような悪魔的なものに私たちが同調しないために「上にあるもの」すなわち聖なるものに心を合わせるように警告しています。

感情は本来良いものでした。それは神とつながった人間が神と感動を共有するためのものでした。神はそのような良い感情の源です。そのことは天地創造を終えた神が、人と全世界を眺めて「見よ。それは非常によかった」と深く感動した記述が聖書にあることでも分ります(創世記1章31節)。人はこのような良い感情を神と分かち合うようにと、神によって造られたのです。

しかし神に反逆した堕天使であるサタンが人を騙し、私たち人間が神から離れてしまった時からすべてが変わりました。人は良い感情の源から離れてしまい、反対に堕落して地に属する悪魔的な悪い感情に同調するようになったのです。聖書がそんな私たちを「上にあるもの」に同調させようとしているのは、私たちが悪魔的なものに同調して滅びを身に受けないためです。この問題は良いものに同調するか悪いものに同調するかといった単純な善悪の問題なのではありません。むしろこれは、天に属する聖なるものに同調していのちを得るか、地に属する邪悪なものに同調して滅びを身に帯びるかと言った極めて深刻な問題なのです。

聖書の述べる天にある聖なるものの究極的な形は神の御子イエス・キリストのことです。

この方は神である聖なる方であるのに、私たち神を忘れた人間のためにご自分を神へのいけにえとして捧げました。天の父なる神はそれを受け入れ、キリストは私たちの身代わりとなりました。

しかし罪のない方が滅びを身に帯びたままでいることはありませんでした。神はキリストを死からよみがえらせ、永遠のいのちによって今も生きています。

そしてこのイエス・キリストの身代わりを自分の罪のためとして信じ受け入れる者は、サタンの支配する滅びの側から神の支配するいのちの側に移されるのです。

人は滅びゆく地上に生きていますが、いのちか滅びかの選択権は私たち人間が持っています。天に居られる究極の聖なる方、イエス・キリストを選び、心を神からの感動で満たして下さい。それは私たち人間のすべきもっとも大切な意思表明です。

あなたがキリスト者なら、今日も心にキリストの感動を満たして天からの良いものを受け取りましょう。この方を喜ぶことは私たちの力です。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れ、神の側に立つ意思を表明して下さい。もっとも大切なことを先延ばしにしないでください。キリストと共に過ごす感動に満たされて、この地上でいのちに満ち溢れて生きてください。







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2011年03月02日

珍獣さとりと蝿の王

お早うございます。
モトイです。

 禅の講話に「さとり」という名前の珍獣の話があります。禅の「悟り」についての例話だそうですが、この話を聞いて「珍獣さとり」が聖書に出て来る「蝿の王」と性格がそっくりであることに興味を持ちました。

珍獣さとりの講話とはこんな話です。

ある時、きこりが山に入って行くと、噂に聞いていた珍獣さとりが現れました。きこりが驚いているとさとりは、「お前は今、俺に会ったので驚いているだろう」と言います。きこりは自分の考えていることをさとられて、この獣がさとりであることを確信します。

するとさとりは「お前は今、俺に考えを見抜かれたので俺をさとりだと確信しただろう」と言います。それを聞いてきこりは「こいつを捕らえればすごいことになる」と思います。するとさとりはまたしても「お前は俺を捕らえればすごいことになる、と思っただろう」と言います。きこりは腹が立ってさとりを掴みにかかりますが、さとりはひらりと身をかわしてきこりの後ろに飛んでまわり、「お前は今、俺に腹が立っただろう」と言います。

ここできこりはばかばかしくなり、自分の仕事に打ち込み始めます。さとりはまたしても「お前は今、ばかばかしくなって仕事に打ち込む気だろう」と言います。しかしきこりはそれにはお構いなく、目の前にある木を斧で打ち始めます。

しばらくさとりは、きこりに対してその心を見抜く様々なことを言いました。しかしきこりは完全に無視を決め込み、目の前の仕事に打ち込み続けます。

するとどう言う訳か手元が狂い、斧がするりと手から抜け飛んでしまいました。そしてきこりが斧の飛んで行った方角をふり向くと、そこには珍獣さとりが斧に当たって死んでいました。


珍獣さとりの話は禅の言う「悟り」が、それを追い求めるうちは手に入らず、かえって熱心に作務《さむ(禅で言う日常の仕事)》に打ち込んでいる時にやって来ることを喩ています。そしてさらに禅で言うところの「悟り」とは何かを教えているというのですが、それについては「禅問答」という言葉もあるくらいですので、私にはその定義が余り良く飲み込めませんでした。

私が面白いと思ったのは珍獣さとりが愚にもつかない存在で、蝿のようにただうるさいだけであるという点です。そして聖書に出て来る蝿、すなわち悪霊の存在とそっくりであるということです。

聖書の中でサタンを蝿の王(ベルゼブル)と称している個所があります。蝿のようにぶんぶんうるさく飛ぶ悪霊を従えた、悪霊の王であるサタンという意味です。

蝿は直接的には人を殺したりしませんが、人の感情を波立たせることが得意な存在です。以前私は部屋に侵入した蝿を追って疲れたことがあります。夏の日に窓を開けていると蝿が入って来ました。気になりだすといらいらして来たので、追い出そうとしました。蠅叩きを持って蝿を追いかけますが、なかなか捉えられません。そんなに気にせずとも良かったのに気にしてしまったので、全力で蝿を追いかけてへとへとになり、時間も体力も精神的平安も浪費してしまったことを覚えています。

同じように悪魔悪霊は私たち人間の周りに色々な「うるさい」感情を持たせようとします。怒りや悲しみや自己憐憫、それに嫉妬や恐怖などといった感情がその例です。そしてそれらの感情を相手にするか無視するかは、私たちの自由意思によります。しかしもし悪魔悪霊の計略に引っ掛かってその感情にとらわれてしまえば、私たちは感情に支配されてへとへとにされてしまいます。

私は以前半年ばかり、ある大きな教会の中で、伝道師の実習訓練のために独りで寝泊まりしていたことがあります。その教会は4階建ての古いビルでしたが、夜中にいわゆるラップ現象がよく起こりました。

ラップ現象とは心霊現象を現す言葉です。心霊現象研究家によると霊が起こす音のことだと言いますが、私は悪霊の仕業だと思っています。その教会でよく起こったのは、「ピシッ」とか、「パキッ」っといった破裂音でした。

私が住み始めてしばらくは私のいる部屋の外でそれは鳴っていました。わたしは当初、昼間と夜の温度差によって何かが音を発する物理現象だろうと思って気にしていませんでした。

そのうちそれは私の部屋の中で起こるようになりました。特に怖いとも感じなかったので、やはり気にせずに物理現象だと思っていました。すると今度はその音が明らかに私の目の前の空中から鳴り始めました。

壁でも机でも天上でもなく、その音は空中から「パキッ」となりました。のんきな私はそこでようやくそれがいわゆるラップ現象なのだと気付きました。

しかし聖書には次の言葉があります:

なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火矢をことごとく消すことができるのです(エペソ6章16節)。

しかし、主(イエス・キリスト)は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守って下さいます(第二テサロニケ3章3節)。


つまりイエス・キリストを信じる者はその信仰によって神に守られるという約束があります。そのために私はそのような時々起る奇妙な音の中で、それらを気に留めずに過ごすことができました。

ところがある晩私が食事をしていると、今までにない大きな音がしました。それはわたしの右斜め前、30センチほどしか離れていない空間からでした。空中から「ゴキッ!」っと鳴った、まるで自分の首の骨が鳴ったような大きな音でした。

その音には確かに驚いてしまいました。他の人がいきなり聞けば慌ててその場を逃げ出すほどの音でした。しかし私には聖書の約束があります。そこでその約束に従って「主イエスキリストの御名によって命じる。悪魔悪霊よ今すぐここから去れ!」と命じました。

それ以後は一切、私の周りでは何の音もしなくなりました。物理的な現象だったら今まで通り音は続いたでしょう。しかし音は止みました。つまりやはりそのラップ音は霊的な現象だったのだと思っています。

推測ですが、私がもしその音に怯えたり恐れたりしていたら、悪霊どもは面白がって私に更なる何かをしたと思います。そして彼らは私の心をとらえ、さらに大きな偽りでわたしを騙したことでしょう。しかし私は無視をしました。

彼らにとってその存在を恐れられ、注目を向けられることは喜びでしょう。また私が蝿を追いかけたように、ムキになって叫んだり追いかけたり、感情を高ぶらせることはやはり彼らの思うつぼでしょう。悪魔悪霊のわざはラップ音そのものなのではなく、人の感情を荒立てることにあります。

イエス・キリストは悪魔や悪霊を評して盗人で強盗であると言い、また悪魔を「偽りの父」と呼びました。偽り者たちの偽りにかまえば、彼らの思い通りの罠にかかってしまいます。

珍獣さとりを気にしていたらさとりは喜んでいたように、サタンとその仲間である蝿どもも、かまえば構うほど喜びます。

しかし世の人はその対処法を知らないばかりに彼らの罠にかかり、怒らなくてもよいところで怒り、嫉妬し、自己憐憫にかられ、悲嘆にくれています。悪魔悪霊のわざは私たちの見えないところにあふれています。しかしイエス・キリストに連なる者には聖書の約束があります。

あなたもイエス・キリストを信じ受け入れ、霊的な安全を手に入れて平安の中を歩んで下さい。

あなたがキリスト者なら、今日もこの方と交わりを深めこの世と霊の世界の両方で勝利を手にして下さい。イエスとともにある者だけが勝利者です。この勝利を握って歩みましょう。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。見えない世界の恐怖は捨てて、見えない世界とこの世を支配する全知全能なる神に自分自身を委ねた歩みをして下さい。







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2011年03月01日

人を自滅させる短絡思考:加賀乙彦著「不幸な国の幸福論」より

お早うございます。
モトイです。

 確か去年起こった殺人事件だったと思いますが、その動機を聞いてあまりにも短絡過ぎる判断に驚いたことがあります。

それは高校生同士の事件で、犯人の少年は被害者が交際する少女からたびたび相手の暴力についての相談を受けていたようです。色々な事情があったのでしょうが、そこで犯人の少年は「もう殺すしかない」と思ったと言います。

ニュースではこのような事情を端的に述べているので、もしかしたらもっと切羽詰まった理由があったのかもしれません。しかしそれにしても「もう殺すしかない」と思うのは余りにも思慮に欠ける判断でしょう。

他の友人や教師、あるいは両親に相談するなり、思い切って法律的な手段に訴えるなり、冷静に考えればいくらでも解決策はあったと思います。しかし犯人の少年は「もう殺すしかない」と思ってしまいました。この少年は今この瞬間しか目に入らない、狭い物の見方をする癖のようなものがあったのだろうと思います。

作家の加賀乙彦氏は「不幸な国の幸福論」の中でこのような「今、ここ」という狭い視点から物事を見る人の逆境に対するもろさを述べています。そしていじめを苦に自殺する現象はこの「今、ここ」という視点による弱さの露呈であるとしています。

加賀氏は自身がいじめで苦労した少年時代を回想して以下のように述べておられます。「今、ここ」という視点ではなく長い目で見ることの打たれ強さが分るエピソードです(「不幸な国の幸福論」p.139-140):

(引用はじめ)
 私の場合、転校生だったためにいじめられたわけですが、同時にそれが幸いして「今、ここ」の呪縛にとらわれずにすんだのだと思います。いずれまた父の転勤でその地を去ることになると薄々わかっていましたから。
 十四歳で入学した全寮制の陸軍幼年学校での日々は、さらにつらいものでした。六時の起床から夜十時の消灯まで細かくスケジュールが定められ、集団で行動するのですが。小柄で運動神経の鈍い私は絶えず上級生に叱責《しっせき》され。死ねと短刀を突きつけられて脅かされたこともありました。十数人でともに過ごす寝室に戻ってからも、同級生に囲まれ口々に欠点を指摘されたり、かと思うと無視されたり。それこそ二十四時間やすらげない。でも前にいじめられた体験があったからでしょう、いつまでもこれが続くわけではないと考えることができたのです。つらくてどうにかなってしまいそうなとぎも、「卒業までの三年間だ。人生全体から見たらたいした時間じゃない」ど自分に言い聞かせていると、気持ちが軽くなっていく。そのうち。「ビうしてこの人はこんな意地悪をするんだろう」「おっ、今度はこうきたか」などと相手を観察する余裕まで生まれ、さらに楽になりました。
 いじめがらみの悲劇が起こるたび、どうすればいじめをなくすことができるかという議論がしきりになされます。教師や親も子供たちに、「いじめはいけない、相手の気持ちを考えなさい」と注意する。しかし残念ながら、いじめというのは人間性の本質に根ざした問題であり、決してなくならないものなのです。
 いつの時代にも、どこの国に行ってもいじめはある。大人の世界にもいじめはあります。だから、いじめを悪として上から抑え込もうとしても、より陰湿さを増すだけで、なんの解決にもなりません。むしろ、いじめはあって当然と考え、いじめに負けない心の免疫力を上げていくことが大事なのではないでじょうか。
(引用終わり)

 
私たちはいじめが悪であることは誰もが知っています。しかし加賀氏の言う通りいじめが人間性の本質に根ざした問題である以上、決してなくならないということも事実でしょう。表面的につくろっても人間が根本から堕落しているのなら、腐敗は人の内側よりあふれ出て来ます。

 しかし加賀氏の提言するように「今、ここ」という視点から離れることが「心の免疫力を上げる」ことも事実でしょう。今だけを見つめる視点は苦境に立つと思考の自由さを失います。殺人をしてしまった少年も、いじめを苦にして自殺してしまう子どもたちも、今の状況から逃れることのみが思考を支配し、短絡的な行動になってしまったのだろうと思います。

人の心の免疫力が落ちてしまったのは、私たちが神を意識した生き方から離れてしまったからです。聖書には神の視点の遠大さについて、そして人がその遠大さに思いを馳せる存在であることについて、次のように述べています(伝道者の書3章11節):

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。


人の心には神へとつながる永遠への思いがあります。しかし人は短絡的なので、神のなさることを見極めることが出来ない愚かさを持っています。もし人が永遠への思いを心に招くのなら、その人の心は神によって強くされます。しかし反対に、自分の愚かさにとらわれて神の視点を得ることが出来ないのなら、短絡的な物の見方によって自滅さえしてしまうのです。

私たちは心に神をお迎えすることによって、永遠に無限なる全知全能の神と交わりを持つことができるのです。この視点によってこそ私たちの心の免疫力は本当に上昇していくことが可能なのです。

人の心には根本的な腐敗の問題があります。それは神から離れたことによる罪です。しかしこの罪の問題はすでにイエス・キリストが十字架上で処分してくれました。私たちはただその罪の赦しを受け取るだけでいいのです。

イエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりによって心の免疫力を強くしてください。永遠に無限な神の聖なる力が、あなたを永遠に無限に強くし続けます。

あなたがキリスト者なら、今日という日にこの方との交わりを深め、心の免疫力の源から聖なる力を受け取って下さい。永遠の世界とはすなわち神の世界です。この方に感動することによって今日もいのちを受け取って下さい。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。「今、ここ」という短絡的な世界から永遠の世界へと視点を移し、あなたの心に永遠なる方をお招きして下さい。







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2011年02月24日

心の荒み除去

お早うございます。
モトイです。

 最近掃除をすれば運気が強くなるとか、夢がかなうなどといった内容の本がたくさん出ています。どれも似たり寄ったりの内容ですが、私自身の体験から、それらの本の主張はあながち嘘でも無いと思っています。と言うよりも、私自身の心に余裕がなくなったり荒んで来ると、部屋が汚くなってくることを発見しました。

キリストの言葉にも「光のある間に歩いて、闇に追いつかれないようにしなさい。闇の中を歩くものは、自分がどこへ行くのかわかっていない(ヨハネ12章35節口語訳)」とあります。心が闇に満たされ暗くなるとその心の荒みが部屋にも反映されます。そして逆に光の中で歩もうと決意し、闇に追いつかれないように部屋を定期的に掃除していると、心も光に満たされるような感じがします。とても気分が良く、物事がうまく運びます。

このような心のすさみと環境の乱れについて、学問的に研究した人々がアメリカにいます。刑事司法学者のジェイムス・ウィルソン氏とジョージ・ケリング氏は1982年に「ブロークンウインドウ理論」を発表しました。

この理論は一言で言えば、「心の荒みが環境に影響するのと同様に、環境の美化が心の荒みを除去する」と言うものです。つまり聖書の言葉で表現するのなら、「心に闇が追いつかないように、環境を美しく保ちましょう」と言うことです。

この理論を実際に取り入れたのが、元ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ氏です。彼は1994年から同市の軽犯罪を徹底的に取り締まることを始めます。例えば路上に乗り捨ててある車を片づけ、新たにゴミや車を捨てないように取り締まったり、街灯の電球を壊されないようにしたりといったことです。有名なのは地下鉄の落書きを消して徹底的に取り締まったことです。

これらの軽犯罪の取り締まりの結果、ニューヨーク市民の心の荒みも取り除かれはじめます。市民は今までは気にもかけず見て見ぬ振りをしていた小さな異変でも、頻繁に警察に通報し、積極的に環境保全に協力するようになったそうです。そして同市では犯罪率も低下し、観光客も以前よりたくさん呼び込めるようになりました。

これを部屋の片づけに例えるのなら、部屋の住民がきれいな部屋を保とうと積極的に掃除をし出したと言ったところでしょう。心が闇で覆われていれば環境も乱れますが、環境が美しく保たれていれば心も闇に追いつかれまいと、積極的に身の周りを綺麗にするのです。

キリストの言葉にあるように、闇の中を歩く者は自分がどこへ行くのかわかっていませんが、光のある間に歩いて闇に追いつかれないようにする者には、美しい環境と積極的な心がついてくるようです。

このキリストの教えには次の言葉が続きます(ヨハネ12章36節新共同訳):

「光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」

この「光」とは実は物理的な光ではありません。イエス・キリストのことです。そしてこの方は世に来たまことの光です(ヨハネ1章)。

ブロークンウインドウ理論は確かに環境を変え、人の心の荒みを除去するのに役立ちました。しかし、人の心を荒ませる根本的な原因を解決することはできません。その原因とは罪です。

すべての人はこの罪のために聖なる方、神から離れて生きています。いま世の環境が退廃しつつあり、人の心も荒んでしまっているのはすべてこの罪のゆえです。

しかし人は神が分らなくなっているので、自分の身に追いつこうとする闇の原因を他人のせいにしたり、自分のせいにしたり、時には神を呪ったりさえしています。

ところが神は完全に愛の方です。その証拠に、神から離れてこの世の闇に脅える人類に対して罰を与えることをせず、その罰をすべてご自分の御子、イエス・キリストに背負わせたからです。全く罪のない神の子が、神も人も呪って生きる罪人のために犠牲になったのです。ここに完全な愛が証明されました。

地上はまだ暗闇に満ちています。しかしこの神の御子の犠牲を自分のためのものであると受け入れる人は、「光の子」となることができるのです。

光の子は闇の中にいても光である神とつながる特権を持ちます。この特権は行使すれば行使するほどさらに私たちを輝かせる特権です。

ブロークンウインドウ理論で環境を整え、自分の心の美化を図るのもよいことでしょう。しかし最もあなたとあなたの環境に良いことは、あなたが光であるイエス・キリストを信じ受け入れ、闇の中に光る光の子と変えられることです。

光は闇で輝き、心と環境の闇は光を前にして後に退き始めます。

あなたとあなたの周りのため、愛する人々とそのまたさらに周りにいる人々のために、イエス・キリストを今日、あなたの心の中心にお迎えして下さい。

あなたがキリスト者なら、今日と言う日にこの方との交わりをさに深めましょう。あなたの心の光に注目し、あらゆる闇をあなたの内と外から締め出してしまいましょう。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。まことの光を受け入れ、光の子として闇の世界に輝いて下さい。







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2011年02月23日

命の授業:腰塚勇人氏講演DVDより

お早うございます。
モトイです。

 ツタヤのレンタルビデオで腰塚勇人(こしづかはやと)という人の「命の授業」と名付けられた講演DVDを見ました。

体育教師であった腰塚さんは、体の自由が利かなくなってから経験したことが、人生への見方を変えたと言います。なかなか考えさせられた講演だったので、その内容をご紹介します。

腰塚さんの体が不自由になった理由は、スキーで転倒し、首の骨を折ってしまったためでした。手術のおかげで一命は取り留めたものの、首から下の自由が利かなくなっていました。直る見込みがないことが医者から告げられ、腰塚さんは落胆したそうです。

落胆している人を励ますのはなかなか難しいようです。腰塚さんに対しても色々な人が「がんばれ」だとか「しっかりしろ」などと励ましたそうですが、彼はそのたびに反発を覚えたそうです。みんなが自分を励ましてくれているのは分っているのだけれど、「今だってがんばってるのに…」というのがその時の彼の正直な気持ちだったそうです。

そんな中での入院生活はどんな人でも心が荒んできます。腰塚さんもそうでした。彼は生きる希望を失って死ぬことを考え出しました。色々な方法を思い巡らしますが、どれも首から下が全く動かない彼にとっては不可能なことばかりです。そこで彼は舌を噛んで死ぬことを決意し、実行します。しかしそれは果たせませんでした。痛みに耐えかねて出来なかったのです。

舌からにじみ出る血の味と痛みの中で彼は「死ぬことさえできない」という無力感に打ちひしがれて泣いたと言います。自分を責め、他人を責め、悔いてもしょうがないことまで悔いて、ただひたすら自分も他人も呪うような生活を続けていました。

しかしそんな日々を過ごしている腰塚さんの心を、ある看護師の男性が解きほぐします。彼はある時、腰塚さんの目を見てこう言ったそうです。

「腰塚さん、私には何もできないけど、あなたが苦しんでいるのはよく分ります。だから出来ることは何でもします。どうぞ遠慮せずに何でも言って下さい。」

たったこれだけの言葉ですが、腰塚さんは自分を理解してくれる人がいることに涙しました。看護師さんの存在を心に受け入れて以来の彼は、死ぬことよりも生きることを考え出し、「動けなくとも花のように生きることはできる」と考えはじめたと言います。

すると体にも奇跡が起こりました。全く動かなかった手足が、意識に従ってぴくぴくと動き出しました。その小さな変化に希望を見いだし、彼は「絶対に教師として学校に戻る」と決意します。そして、4か月の辛いリハビリを乗り越えて遂にそれをかなえました。講演DVDに映る彼は全くの健常者でした。実際は右手がまだ震えるようですが、一生寝たきりだったはずの人としてはごく小さな不自由です。

この経験を通して彼は、自分の体を人の役に立つように使おうと五つの決心をしました:

手足は人を助けるために使おう。

口は人を励ますために使おう。

目は人の良いことを見るために使おう。

耳は人の話を最後まで聴いてあげるために使おう。

心は人の痛みを分ってあげるために使おう。


腰塚さんの場合は自分で自分のことを諦めてしまう選択もできました。心が荒んだまま人生まで捨てて、諦めの内を生きて行くこともあり得ました。しかし彼がそれをしなかったのは、自分を理解してくれる看護師さんの存在があったからです。その人のおかげで体の不自由な状態の中にも生きて行く希望を持ち、その希望が奇跡を生んだのでした。

そしてその結果として、人も自分も励まして生きて行こうと決意したのです。自分を理解してくれる人の存在は、私たちの心に何と大きな力を生み出してくれることでしょうか。

そのような存在を人は誰もが持っています。しかし誰もが忘れています。もしかしたらあなたもその方を忘れているのかも知れません。その方は神です。あなたが意識しようとしまいと、私たちは神の中に生き、動き、また存在していると聖書は教えます(使徒行伝17章28節)。

もしあなたがいま辛い状況に居たとしても、あなたを理解してくれる神が存在します。この方を意識するのとしないのとでは、あなたの心のありようが全く違ってきてしまいます。

ひょっとしたらあなたは、時として自分を呪い、他人を呪い、考えてもしょうがないことで頭を満たしているのかも知れません。それは辛いことです。そしてその考えは間違いなくあなたの人生を虫食みつつあります。

しかし神は存在します。そしてこの方はあなたを理解する方です。さらに言えばこの方は奇跡を起こす方、癒し主であり全知全能なる愛の方です。この方を心の中に迎えるのと迎えないのとでは、あなたの人生の歩み方がまるで違ってきます。知識ではなく実際の神を心に迎え入れることで、はじめてあなたは神の存在を体験するでしょう。

イエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との関係を築いて下さい。

あなたがキリスト者なら、今日という日の中でこの方との関係を深めましょう。この方の約束に期待し、あらゆる状況の中で希望を見いだしましょう。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方ほどあなたを理解し愛してくれる方はいません。あなたのために、また、あなたの周りの人々のためにも、あなたの心に愛と希望の神を受け入れてください。






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2011年02月22日

現実に触れることは真面目なことに目を開かせる

お早うございます。
モトイです。

今日は有名なAK47のお話です。AK47と書いてあるのを読んで、私がアキバ系のアイドルグループのことを間違えて書いてしまったと一瞬でも思ったあなた、今日の記事はあなたのために書きました。

虚構の世界は楽しいものです。現実の世界で疲れがちな現代人にとっては、時として虚構の世界に思いをはせて安らぎを受けることも必要でしょう。AKB48もそんな虚構の世界のアイドルです。しかし虚構は現実から目をそらさせます。後に述べるように現実に触れることはまじめな世界についての目を開かせます。そういう意味も込めて今日は、世界的に有名なAK47についての私の真面目な話にお付き合いください。

AK47が有名なのはおもに国の治安も、生活状況も極めて不安定な発展途上国においてです。そこでは男女を問わず大人から子供までAK47を知らない人はいないほどです。

通称カラシニコフとも呼ばれるAK47のAKは、ロシア語でアフタマート・カラシニコフ(カラシニコフ自動小銃)の頭文字です。1947年に旧ソ連軍の技師であったミハイル・カラシニコフが設計した銃です。あまりに性能がよく、しかも安く手に入るので世界中で、それこそ表でも裏でも、取引されている銃です。そしてこの銃による死者が毎日何千何万といることにより、「小さな大量殺戮兵器」と呼ばれてもいます。

その性能の特徴は他の銃に比べて極端に手間がかからないことにあります。手入れが楽で、しかも故障が少ないと評判です。それこそ泥水につけても砂嵐の中にあってもAKは「弾詰まりを起こさない」というので、イラクではM16の故障に悩まされていたアメリカ軍が、ついにAK47を実戦に採用したほどです。

そしてその扱いやすさから、アフリカでは少年少女までこの銃で殺し合いに参加しています。本当は学校で勉強したり友達と遊んだりするはずの子供が、カラシニコフを持ち歩いて意気揚々と兵士気取りをしています。なんという不幸が地球の裏側で起こっていることでしょうか。しかし彼らは自分たちがそんな不幸の中にいることも知らないようです。松本仁一著の「カラシニコフ」には、アフリカ西海岸の国、シエラレオネの現実を記しています。シエラレオネでは国連の仲介により内戦が終了し、元少女兵が「少女の家」と呼ばれる施設に保護されているそうです。内戦は終了したものの少女たちは現金を稼ぐために体を売っています。しかし同時にこの「少女の家」で勉強もします。そこでの話です(p.52-53):

 電気のない小屋に、三〇人を超す少女たちが座っていた。一五歳前後だというが、口紅やアイシャドーで厚化粧し、派手な服をまとった彼女たちはとてもそんな歳には見えない。一六人が子持ちだった。赤ん坊を抱いたまま授業を受けている子もいる。八人が妊娠しているとのことだ。もちろん、父親はわからない。
 NGOスタッフは「売春などやめさせたいのだが、それができないのがつらい」といった。親のない彼女たちは、路地の軒下で寝泊りしている。食べていくには現金が必要なのだ。
 売春で手に入る金額を尋ねると、彼女たちはにこにこ答えた。
「一回二〇〇〇レオンだよ。でも、あんたは外国人だから五〇〇〇レオンだ」
二〇〇〇レオンは約一〇〇円だった。


言葉を失うほどの衝撃です。涙が流れます。しかし、これが多くの世界の現実です。私たち日本人はなんと恵まれていることでしょうか。神に感謝すべきです。

ではこれらの事実を知ってどうすべきなのでしょうか。一部の人たちが訴えているように、銃の取引を厳しく監視すべきでしょうか。それでも世界は変えられないでしょう。なぜなら問題は、銃にあるのではなく私たち人間のほうにあるからです。

しかし私は「現実に触れる」という行為に希望があることを知りました。一条信也氏の「あらゆる本が面白く読める方法」には先の大戦において学徒出陣した兵隊たちの話が載っています。それによると、読書階級であった大学生たちは前線でも本を読み続けましたが、戦闘が激しくなるにつれて読む本の質が変わって行ったそうです。

それによると彼らが上海や北京などの、比較的安全な地域にいた時は小説などを含むあらゆる本を読んでいたそうですが、激戦地に行くにつれて真面目な本、古典といわれる論語や聖書などといった本を読むようになったそうです。それは現実世界の厳しさが身にしみるにつれ、小説のような虚構の世界はまったく面白さを感じなくなるからだそうです。人は現実の厳しさを知れば真面目な世界に目を開くようです。

また別の例もあります。矢崎好夫著の「八月十五日の天気図」には、特攻を目前に控えた若者の話が載っています。それによると、出撃前の若者は次の二種類の行動のどちらかをとるそうです。ひとつは感情に任せてけんかを頻繁にしたり、泣いたり喚いたり酒におぼれたりする人々。もう一方はただ静かに身の回りを整理し、本を読み散歩をし、手紙を書いたりする人々です。前者は予科練出身などの少年時代からの叩き上げの軍人に多く、後者は学徒出陣のいわゆる読書階級に多かったようです。矢崎氏はこの違いを、学問が人にもたらす影響のせいではないかと述べています。すなわち知識を持つことは自分の内面の世界を探求することにつながるのだと思います。

たとえカラシニコフのことを知ったとしても、アフリカの少年少女を救えるわけではありません。しかしそういった現実世界を知ることは、私たちを自分自身についてもっと真面目に考えるようにします。そしてそのことは結局は世界を変えることの第一歩になるのだと思います。そのためにも私たちは与えられた恵みの中で世界を知り、自分自身と世界についてもっと真面目に考えるようになる必要があるのです。聖書は私たち人間の心には永遠への思いがあると教えています。この思いは虚構の世界ではなく、現実の世界を真剣に考えるときに開ける神の領域なのです(伝道者の書3章11節):

神のなさることはすべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。


人は誰もが心の中に永遠の世界に対する思いを秘めています。そして人が世界の現実を知り虚構世界から離れるとき、内面の世界で神とつながろうとします。それは神に造られた人間の本能です。

人にはこの世界を変えることはできません。しかし神にはできます。私たちが内面の世界で神とつながる時、人は神によって変えられ、神は私たちを通してその周りの世界を変えてくださいます。

この世界を変えるためにあなたは何ができますか。あなたのすべきことは、あなたとあなたの周りの世界を変えることができる神、イエス・キリストを信じ受け入れ、あなた自身が変わることです。

あなたとあなたの周りのため、そして日本と世界のために、イエス・キリストを信じる信仰の世界に入ってください。

あなたがキリスト者なら、今日という日にあなたを変える方との交わりをしっかりと深めて歩んでください。それはあなただけのためではありません。世界を変えるためにキリストとともに歩んでください。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。人間社会を変える方法はこれしかありません。あなたの愛する人々のために、まずあなたがキリストを信じてください。







神と人の本当の関係.WAV







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2011年02月18日

馬鹿にされても守りたいものがあった三人

お早うございます。
モトイです。

 加賀百万石を築いた前田利家は小説やドラマにも出て来る英雄ですが、その息子の前田利長は前田家を存続させるために大変な苦労をしたようです。

江戸幕府を開いた徳川家康は、徳川家の敵となり得るかつての豊臣秀吉の重臣たちを、あらゆる難癖をつけて罠にはめ力を削いでいきます。当然加賀の前田家も標的にされました。しかし利長は自分を捨てて一つの計画を実行します。

彼は江戸城に登城する際には鼻薬を用いてわざと鼻水を垂れるようにし、いつもずるずると鼻をすすりました。口は半開きにし、他人の話も上の空で聞いていました。

ある時、江戸城の世話係の侍が、前田利長が大刀を差したまま大広間に向かうのに気付きました。そこで彼は「前田殿、お腰の物をお預かりいたします」と言って両手を差し出しました。すると利長はしばらく何の事だか分らない風を装い係の侍をまじまじと見つめ、「あぁ、このことか」と言って大刀を渡しました。係の侍が刀の鞘を掴むと利長はそのまま刀を抜き出して、子どもが棒をふるって生垣でも撫でて歩くように大廊下のふすまと畳を大刀で傷だらけにして歩いて行ったそうです。係の侍も他の大名たちもただ呆然とするばかりで、呆れてだれも止めなかったそうです。この報告を聞いた家康は「徳川もこれで安泰」と言って喜んだと言います。

前田利家と比べると英雄という意味では少し見劣りがしそうな前田利長ですが、自分のプライドをも捨てて加賀百万石を守るなどとは大した英雄だと言えるのではないでしょうか。

古代イスラエルの英雄ダビデにも同じような話があります。彼はサウル王に仕えていた若い時、王の嫉妬を買って命を狙われ、他国に逃げる羽目になりました。彼が身をひそめていたのはガテの王アキシュのところでした。

ダビデの評判はガテの町まで届いていました。そしてアキシュも自分たちのうちにダビデがいることを知るようになります。隣国の英雄が自国に隠れていれば、アキシュ王は当然遭って話して無理やりにでも政治的に利用したいところでしょう。そこでダビデは王と人々の前で白目をむきよだれを垂らして、城門の扉をかきむしったりして気の狂ったふりをして難を逃れました。英雄ダビデはプライドを捨てて自分の命の安全を守ったのです。

聖書にはさらに大きな恥を被った人物が出てきます。それはイエス・キリストです。彼は自分を神の子とし、救い主であることを宣言しました。それゆえに当時の宗教家たちはイエスの人気をねたみ、謀略をめぐらして彼を十字架につけてしまいました。

人々は十字架上で苦しむイエスをののしり、「神のお気に入りなら自分を救ってみろ」とさえ言って馬鹿にしました。彼らはイエスが自分の罪のために十字架上で苦しんでいるのだと思ったのです。しかしこれも、そのことが起きる800年も前に聖書に預言されていたことでした(イザヤ書53章3節〜5節)。イザヤ書53章5節には以下のように記されています:

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。


 前田利長は愚か者を装って前田家を守りました。ダビデも狂人を装って自分の命を守りました。しかしイエスが守ったものはあなたや私のことなのです。

イエスは神であるのに人の罪を背負って十字架につきました。しかし人々は彼を自分の罪で罰せられたと思いました。神である方が十字架につくなどあり得ないことだからです。人々にはイエスが本当は何を背負っているのかが分らなかったのです。

イエスが背負った物は、神でなければ背負えない物でした。全人類の罪を背負うのにふさわしい方は、罪が無く永遠の聖さを持つ方、神の御子であるイエス・キリスト以外には有り得なかったのです。

イエスが侮辱されあざけ笑われ、それでも守り通したあなたのいのちは、ただあなたが受け取るだけで手にすることが出来ます。あなたは命がけで守られたのです。

あなたが今どのような状況にあっても、イエス・キリストの命がけの愛はあなたの物です。この愛を受け入れることは、すべてのあなたの問題に解決をもたらします。

イエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの中でいのちを豊かに受けて歩んでください。

あなたがキリスト者なら、今日という日の中でイエスと深く交わりましょう。全てはこの方との交わりが解決します。

あなたがまだこの方との関係を持たないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。どんなに恥をかいてもあなたを守りたかったイエス・キリストは、あなたのすべての問題を速やかに解決します。この方に委ねて生きてください。







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2011年02月03日

旧ソ連の思想検閲官の目をそらした「白ウサギの手法」

お早うございます。
モトイです。

 先日、たまたま朝4時に起きてNHKラジオを聞くと、「ラジオ深夜便」と言う番組で元NHKロシア支局長の小林和男と言う方がロシアでの体験を話していました。その中である国際的にも有名なロシア人映画監督の話がとても面白かったのでご紹介します。

彼の名前は忘れてしまいましたが、ソビエト時代から活躍していたロシア人映画監督です。ソビエトの時代は芸術に対しても思想統制が厳しく、特に映画のようにメッセージ色が濃く民衆にも影響力がある物には制作段階から検閲がとても厳しかったそうです。そこでこの監督が考え出したのが「白ウサギの手法」です。

この手法は、映画の中に明らかに本筋とは無関係の白ウサギのような映像を、はっきりと分るように無意味な時間挿入する手法です。当然共産党の検閲担当官はこの映像を削除するように要求します。しかし監督はそれを固辞し、この白ウサギがどれほど芸術作品として必要かを担当官に説明します。

検閲担当官はその説明に対して「そんなはずはない」と反論します。そしてその反論は当然正統な反論です。なぜなら初めから白ウサギの映像など必要ないことは、制作者である監督自身も承知しているほど明らかであるからです。

しかし監督はそれでもこれは芸術作品なのだからと、あらゆる屁理屈を総動員してその白ウサギの映像にこだわり続けます。そしてさんざん言い争いをして、双方が疲れ果てた頃合いを見計らって監督は「それではあなたの顔を立ててこのシーンは全部削除します」と敗北宣言をするのだそうです。そうすることによって検閲担当官は勝利した気分を味わい、映画の中で本当に問題になるような重要な場面からは目をそらされてしまうのだそうです。なかなか高度で知的な策略です。面白いと思った反面、人間はだれにでもこんな「白ウサギ」の問題があるように思いました。

私たちはよく過去を振り返って「あの時もっとこうしておけば…」とか、「もしあの時こうだったら…」などと、考えてもどうしようもないことにこだわって、今ある現実から目をそらしてしまうことがあります。そんな時はよく心の中に自責の念が浮かんでいるのではないでしょうか。この考えてもどうしようもない自責の念は、決して建設的な考えではありません。

聖書にはサタンの別名が沢山書いてありますが、「兄弟たちの告発者」もその一つです(黙示録12章10節)。サタンは私たちが注目してもしょうがないことを告発し、私たちの注意を本当に大切な事柄からそらせます。まさしく「白ウサギの手法」です。

時にはその告発が正当に見える時もあります。人は過去に本当に罪深いことをしてしまい、自分も他人も傷付けることがあります。しかしいま取り返しが付かないことは、やはり注目すべきではない「白ウサギ」なのです。そのような罪のためにはすでに神が用意したいけにえがあります。それはイエス・キリストの十字架です。

キリストは本当に必要なことは人生においてそんなに多くないばかりか、たった一つでさえあると教えています(ルカ10章42節)。そのたった一つとは、神である救い主、イエス・キリストとの交わりです。このたった一つがないばかりに人はすべてのものをむだにしようとしており、サタンは必死になってこの最重要事項から私たちの目をそらそうとしています。

あなたが今抱えている問題も、ひょっとしたら「白ウサギ」なのかも知れません。もっとも重要な問題を解決しない限り、あなたの抱える問題はあなたを騙し、あなたをむしばみ続けるかもしれません。

あなたがいまどんな環境にあろうとも、もっとも大切なイエス・キリストとの関係を今日築いて下さい。この方にはあなたのすべての問題を解決する力があなた以上にあります。この方との交わりのある日々の中で、最善の導きを受け取って下さい。

あなたがキリスト者なら、今日もこの方をまず心の中心にお迎えしましょう。全てのことを祈りの中で行い、この方から良いものを受け取りましょう。

あなたがまだこの方との関係をもたないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。サタンが「白ウサギの手法」によってあなたを騙すのを許さず、キリストからいのちを受け取って下さい。







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2011年02月01日

「ただいま」の一言が持つ暖かさ

お早うございます。
モトイです。

先日用事があって西千葉駅を利用しました。そのときに駅のトイレに行ったのですが、トイレまでの長い廊下に小学生が書いたと思われるたくさんの絵があり和みました。




西千葉駅のトイレ前





よく見てみると絵のほかに、脈絡のない一言がたくさん壁に書いてあります。




西千葉駅のトイレ前 その2





その一言とはたとえば、「家族みんなでご飯を食べているとき」とか、「いつも笑顔になれる」、「世界中の人たちと友達になりたい」、「心がほっとして温かくなる」などです。きっと同じ絵を描いた子供たちから、自分が楽しくなる言葉を募集したのではないかと思います。




西千葉駅のトイレ前 その3





それらの言葉の一つ一つを読んでいるうちに、私の心の中もなんだか温かいものを感じました。そして一番はじっこに「ただいま」と書いてあるのを読んでますます心が和みました。言葉の力はとても大きいと感じました。

ただいまと言っても私自身は猫と暮らすのみです。しかし「ただいま」という言葉の温かさは受け取ることができます。ただいまという言葉の背後には、自分が本来いるべきところへの回復という意味があるのだと思います。そしてこの思いは、私がキリストを信じ受け入れた時の思いでもありました。

私がキリストを受け入れた時、心の奥底には長い間の魂の彷徨が終わって「ようやくたどり着いた」という思いがありました。「もう探し求めなくて良い。やっと出会えた。」という思いは、ひと言葉で表現するならば「ただいま」と言う感覚でした。

後に聖書を読んでわかったことは、神はすでに私が生まれる前から私のことを知っていて下さったということでした。つまり私がキリストを信じて「ただいま」と感じたことは聖書的に正しかったことになります。

私に限らず人はみな誰もが神に呼ばれています。しかしそれがわからずに、神以外のものを心の中心にすえようと必死になって努力しています。それはたとえば尊敬する人だとか、愛する人、あるいは自分自身やお金や権力だったりします。しかし聖書は神以外のものを神として心にすえることを「罪」と呼んでいます。この罪は私たちを疲れさせるばかりか、私たちとかかわるすべての人を疲れさせます。

ひょっとしたらあなたもそんな疲労の最中にあったかも知れませんね。

西千葉駅の壁の絵と言葉も、そんな疲れた現代人に対する癒しのメッセージだったのだと思います。なかなか心憎い粋なメッセージです。

良い言葉は人を癒します。良い言葉を目で見、心に受け入れる時、人は癒しを受け入れます。

聖書はイエスキリストこそは神の言葉であって、全世界を創造した神であると教えます。人間の良い言葉を受け入れて癒されるのならば、神の言葉イエス・キリストを受け入れれば心の底から癒しが湧き出てくるに決まっています。なぜなら神は愛の根源であり、現代人に必要な命そのものだからです。そしてキリストを信じるものに豊かないのちが与えられることは聖書の約束でもあります。現代人には癒しの言葉が必要ですが、本当の癒しとは神の言葉であるイエス・キリストを受け入れることから始まります。

あなたも救い主である神、イエス・キリストを信じ受け入れて、あなたの帰るべき所にたどり着いてください。神は豊かにあなたを癒し祝福します。

あなたがキリスト者なら、今日も救いの確信に立ち返り神に対して「ただいま」と言いましょう。戻るべきところにいずれ帰るのではなく、今日と言う日にもう一度神に立ち返り、そこからすべてをはじめましょう。

あなたがまだこの方を受け入れていないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れて神のもとに戻りましょう。この方はずっとあなたを待ち続けていました。偉大なる神にただ自分を明け渡して、魂の家に今日帰りましょう。








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2011年01月31日

「やあ、ゲバラさん」と呼ばれるのを好んだチェ・ゲバラ:「元気が出るゲバラ語録」より

お早うございます。
モトイです。

 キューバ革命の戦士で、カストロ政権ではNo.2であったチェ・ゲバラの本名をご存じでしょうか。エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナがそれですが、通常彼はチェ・ゲバラと言うあだ名で通していました。

彼のあだ名の「チェ」は彼の出身地のアルゼンチンの方言で、「ねえ」とか「やあ」などと訳される気のおけない相手に対する呼び掛けの言葉なのだそうです。このあだ名は彼の親しい友人からつけられました。その理由はゲバラが誰かれ問わず気さくに話しかけ、「チェ」を連発していたからだそうです。彼が「ねえ」とか「やあ」を好んで使うので、彼の友人は「やあ、ゲバラさん」を意味する「チェ・ゲバラ」と彼を呼んだのです。

ゲバラ自身もこのあだ名を相当気に入っていたようです。その証拠にフィデル・カストロの下で革命家として軍を指揮するようになっても自ら「チェ・ゲバラ」を名乗り、革命後に国立銀行の初代総裁に就任した際には、発行された新紙幣に「CHE」とサインをして印刷したほどでした。もっとも紙幣に本名をサインしなかったのは、「お金などはただの紙切れ」といったゲバラの皮肉が込められていたのだとか。

日本でも数年前にゲバラを描いた映画が公開され話題になりました。ゲバラ関連の本も沢山出ていたようです。チェ・ゲバラは昔から世界中で根強い人気があったようですが、彼の死後40年を迎えても、商業的に利用され得るほどの人気がいまだにあったことが証明されました。

革命家と言えばレーニンやスターリンなど、ちょっと近づき難い強面《こわもて》のイメージがあります。しかしゲバラは革命後も「チェ」と呼ばれることを好んでいました。ヒットラーなどは自分が偉くなると、以前付き合っていた友人がなれなれしく彼に話しかけることを嫌ったそうです。人は高い地位に就けばふんぞり返って偉そうにふるまってしまうことがあります。しかしゲバラは「チェ」と呼ばれることを愛しました。ゲバラが息の長い人気を維持しているのは、彼の終生持ち合わせたその気さくさのせいなのだと思います。

ゲバラのこのような話を本で読みながら私は、新約聖書の中から私のことを「友」と呼んで下さったイエス・キリストのことを思いました(ヨハネ15章15節)。

キリストは偉大な神であり、全世界の創造主です。そしていずれ来たるべき時には全世界を火によって裁く「強面《こわもて》」の神です。しかし彼は彼の弟子となった者を「しもべ」とは呼ばずに「友」と呼ぶと語っています。それはゲバラが終生「チェ」と呼ばれることを望んでいたと同じように、この偉大な神も全ての人の「友」になりたいと望んでいるからなのです。

偉大な方が友となるのは素晴らしいことです。遠く離れた立派な方が、近くで友となってくれるということはそれだけで生きて行く力が湧いてきます。チェ・ゲバラが革命を志し、革命後も政治家になるよりは革命家として生き続けることを求めたのは、常に民衆の側に立って戦っていたいという思いがあったからです。そしてこの思いを肌で感じた民衆は、彼の行ったどこの国でもみな力を受けました。

この思いはイエス・キリストと通じるものがありますが、しかしゲバラは自分はキリストと対極を歩んでいると語ったと言います。その理由は彼は常に破壊し戦い続ける者だったからです。

ゲバラの思いはもっともです。キリストはすべての人の罪のために自分のいのちを与えました。このキリストの行為により、信じる者はキリストの復活のいのちを受けるのです。

ゲバラは破壊を志し、人間の欲の権化である帝国主義の壁に砕かれて死にました。そしてゲバラの死後40年が過ぎた今日でも、彼の倒したかった世界はいまだに生き続けています。

キリストは人の世界が破たんすることを知っていながら自分のいのちを与えました。それはそのことによって人々が、滅びからいのちに移し替えられることが出来るからです。

2000年前のキリストの十字架以来、人の世は滅びに向かって邁進しています。途中にゲバラのような純粋な心をもった人々が人の世の不条理と戦いましたが、結局のところ彼ら自身もその不条理に飲み込まれてしまいました。

世界を変えることが出来るのは破壊ではなくいのちです。それも、神の子であるキリストの復活のいのちこそが、世界を生きる力で湧き立たせるのです。たとえ世界が人の罪のゆえに滅びに向かっていても、キリストの復活のいのちを受け取った人々はその中にあって輝きます。それは彼らの成すところが素晴らしいからではなく、彼らの持ついのちが輝かしいからです。このいのちのゆえにキリスト者はその存在が神の目に高価で尊いのです。

あなたが今どのような立場にあったとしても、必要なのは破壊的な力ではなく再生を促すいのちです。そしてそのいのちはイエス・キリストのみがあなたに与えることが出来るのです。

イエス・キリストを信じ受け入れ、あなたもキリストの復活のいのちを豊かに受ける日々を送って下さい。

あなたがキリスト者なら、今日と言う日にキリストのいのちを豊かに受けるため、今日もまたこの方を心の中心にお招きしましょう。この方をあなたの友として常に意識し、この方の語りかけにより常に励まされましょう。

あなたがまだこの方との関係をもたないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外にあなたのことをよく知る友はいません。もっとも偉大な唯一の神、イエス・キリストを友として歩む人生を、あなたも今すぐはじめて下さい。







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2011年01月25日

クリスチャンへの感謝状・・・悪魔より

モトイです。
今日二つ目のエントリーです。

昨日に引き続き、水谷潔氏のサイトからの引用です。水谷氏は「小さな命を守る会」など、堕胎や性交渉について真剣に考える運動をされております。

今回は年初に固い決意をした多くのクリスチャンに対するブラックジョークです・・・

引用元はこちら:
http://blog.chiisana.org/?cid=24507



どうぞお楽しみください・・・そして考えましょう(^皿^;)




(以下より引用文)


 三日坊主となっているクリスチャンの皆様へ

 元旦を機に、あるいは新年聖会などを機になさった決断を既に実行できずにおられることに、悪魔、悪霊一同、心より感謝申し上げます。「今年こそ毎日デボーション」「家族の救いのため毎日祈る」「忠実に礼拝・奉仕」「職場で証し」「神様に従う生活」などなど、新たな年を迎えての大決断が、二週間もたたぬうちに既に崩壊しておられる姿を拝見し、大変励まされております。

 そもそも、何かを決断し、それを実行・継続しようなどというのは、信仰的ではないと賢明なあなた様は、きっとお気づきではないかと思います。全ては神の恵み、そして、キリストを信じているあなた様は既に救われているのですから、主にあってのよい行いとか、神の栄光を現そうとか、そういう肉的努力を為さるのはどうかと心配申し上げておりました。どうか、これからも自ら努力するなどという不信仰なことはならず、神の恵みを根拠に努力を怠るあなた様の正しい信仰姿勢を貫いていただければとご期待申し上げております。

 やはり、昨年までのあなた様が最高でございます。形状記憶合金のごとく、いつものあなた様に戻ってくださって、悪魔悪霊一同、心よりお慶び申し上げております。あるがままで愛されていることを根拠に「あるがままにわがままに」とB’z楽曲のごとく歩まれ、決して「御心のまま」に歩もうとしない。それがあなた様の本来の姿、そのままで神に愛されているのですから、よいではありませんか。なお、蛇足とは思いますが、神だけでなく、私どもも、そうしたあなたをありのまま、今のままで愛していることもどうかお忘れになりませんように。

 賢明なあなた様ですから、そうしたことはないとご信頼をしておりますが、万が一でも、「今からでも遅くない!」などと一念発起などなさいませんように。今度こそ継続できるようにと神に力を求めたり、何度失敗しても神にあって悔改めて再チャレンジなさるなどの暴挙だけはどうか、ご遠慮いただきたく願います。神の恵みのしぶとさは、私どもが最も嫌悪するものでございますから。その度ごとに、あなた様を誘惑したり、福音の真理の輝きを覆い隠したりと、ただでさえ多忙な中、業務が増えるのでどうかご勘弁を。

 「継続は力なり」などは、世の言葉であり、聖書の言葉ではございませんから、そうした真理に従う必要はございません。くれぐれも祈りやデボーション、礼拝、証しの生活などの継続を願われず、積み上げのない、いつまでも同じレベルで年中行事を繰り返すだけのいつものあなた様でいて下さる様、切に願っております。また、そうしたご自身の信仰生活に疑問を感じ、牧師や先輩クリスチャン等に相談する事のありませんように。

 以上、三日坊主のあなた様に感謝申し上げますとともに、いつの日か、そうしたマンネリ信仰生活に疲れを覚え、クリスチャンとなられた意味や目的を喪失し、教会生活を離れてくださり、キリストへの信仰もお捨ていただき、私どもと永遠をご一緒していただければ、望外の感謝でございます。

 
三日坊主のクリスチャン、今のまま、あるがままのあなたを愛する悪魔・悪霊一同より
 











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2011年01月24日

クリスチャンへの年賀状・・・悪魔より

モトイです。


水谷潔という方のサイトを知り合いから教えてもらいました。そこには「悪魔からの年賀状」というのがありました。

大爆笑と苦笑いですが、クリスチャンの方々に痛烈なブラックジョークとしてここに転載させていただきます。(ノンクリスチャンの方も楽しめるとは思います。しかし皆さんは実はもっと深刻な状況にありますので下記をクリックしていただければと思います。)


神と人の本当の関係.WAV





 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html








水谷氏のサイトの記事へは下記をクリック:http://blog.chiisana.org/?eid=1407595





それではお楽しみください・・・


(以下より転載文)





あけましておめでとうございます。私、悪魔、並びに悪霊一同より、新年のご挨拶を申し上げます。

 旧年中は、私どもが吹き入れる邪悪な思いに、しばしばご賛同頂き、時にはそれを実行に移し、何度も神の御名を汚して下さり、大変お世話になりました。さらに、それらを真実に悔改めることもなく、一年を過ごしていただきましたことは、神の赦しと回復の恵みとを自ら拒否することであり、私どもにとりまして何よりの励ましとなりました。

 控え目な礼拝出席、形式的な礼拝姿勢、表面的な教会での交わり、従う意志のない聖書の読み方、自分中心の願い事ばかりの祈りなどを通じて、救いの確信を失いかけたり、自らを省みることなく人を裁いてばかりの信仰生活には感謝の言葉もございません。まことに旧年中はお世話になりました。

 ただ、兄弟姉妹の祈りや牧師の適切な指導さえなければ、さらに神なき素晴らしい世界をご一緒できたであろうことを思いますときに、まことに悔やまれる次第でございます。


 さて本年も引き続き、気の向いた時だけ聖書を読み、決して神に本気で期待することなく祈り、兄弟姉妹とは建前だけの交わりに留めていただき、信仰は仕事と家庭には持ち込まず、「生教分離の原則」を徹底され、世と調子を合わせていただき、忌々しい神の栄光を現すことのございませんように、どうかよろしくお願いします。

また、そのようなことは万が一にもないとご信頼申し上げておりますが、新年を機に、真実に悔改める、神に立ち返る、神に従う決断をするなどの暴挙だけは、くれぐれもご容赦いただきますよう切にお願い申し上げます。

 新しい年を迎え、私どもも全力をあげまして、あなた様が世の楽しみ、自己実現などにまい進され、神なき世界を満喫されますようご誘惑申し上げます。

 そして、いつの日か、教会生活を離れられ、キリストへの信仰もお捨ていただき、、私どもと永遠を共にしていただければ光栄至極でございます。   
                                     
あなたの魂を恋い慕う悪魔より。



posted by モトイ at 17:16| 千葉 ☁| Comment(2) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする