2009年11月11日

神の御心を判断するには?

 神は私たち一人ひとりに対して計画を持っています(エレミヤ書29章11節)。しかし私たち人間は罪により神から離れ、ついつい自分の思いで行動してしまい勝ちです。そこで信仰深い人々は神の御心を求めながら祈りつつ生活するのですが、神の御心を知るには具体的にはどうすれば良いのでしょうか。そのヒントが古代イスラエルのサウル王の物語の中に隠されています。

 サウル王はイスラエルの初代君主でした。彼は預言者サムエルから王としての儀式を受ける際に次のように言われました(第一サムエル10章6節7節):

「主(神)の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。
このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです。」


 ところがサウル王は神の御心を損ねてしまい、王位から退けられます。彼はペリシテ人との戦いの際に、祭司である預言者サムエルが捧げるべき神へのいけにえを自分で捧げてしまいました。その理由は、サムエルが約束の日を7日も過ぎてもやって来ず、兵士の士気が下がり中には故郷へ帰ってしまう兵士も出てしまったからです。後にサムエルはこのことをサウル王に叱責しますが、サウルは次のように言い訳しています(第一サムエル13章12節):

「今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」


 約束の時間に遅れたのは預言者サムエルの方です。しかもサウルは政治家としても国家を維持しなければなりません。そこで神へのいけにえの儀式によって軍をまとめました。以前サムエルは確かに君主となるサウルに「手当たりしだいに」何でもしなさいと助言しました。しかしサウルが「思い切って」捧げたいけにえは神の御心を損ねました。「思い切って」いけにえを捧げ、兵士が逃げるのを食い止めたばかりかかえって彼らを結束させたというのに、なぜ神の御心から反れたのでしょうか。この二つの表現の違いには、私たちが神の御心を探るヒントが隠されています。

 「手当たりしだいに」という表現は、旧約聖書の原語であるヘブル語ではいくつかの単語がつながって出来た文節です。その直訳は、「あなたの手が出会うものを」という意味になります。つまり神の御心にかなう行いとは、私たちが日々の生活の中で直面する様々な事態を一つ一つこなしていくことの中にあります。

 一方「思い切って」という表現は「アファク」というヘブル語の単語です。この「アファク」には、「強いられたように感じて」というニュアンスがあります。サウル王は兵士が散ってしまうのを防ぐために、状況から強いられて「思い切って」いけにえを捧げました。私たちが状況に強いられたように感じて「思い切って」飛びつく行為には神の御心はありません。

 さらにこの時、サウルが捧げたいけにえは、いけにえを捧げる目的である神を崇めるためになされたのではなく、政治的に執り行われたパフォーマンスでした。また彼が王としてするべき日常の業務からも大きく外れていました。この時点で彼の行為は神の御心から大きく外れてしまいました。何事でも神から離れてなされることは神の御心ではありません。例えそれが目の前にある状況から判断して最善のことであってもです。私たちが何か状況に強いられてあることに飛びつく時、神の御心を無視して行ってしまう可能性があります。

そもそも神とつながらずに何かを判断することは、私たちが世に惑わされる大きな切っ掛けになります。ところが神と常につながる人の心には、神の導きが強く思いとして現れます。ピリピ書2章13節は次のように教えます:

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。


 神の計画の中で歩むためには常に神との交わりを保ち、日々の生活の中で現れる諸事を淡々とこなす必要があります。そしてその中で神は語り、あなたの心に神の思いを与えるのです。神はあなたに今もこう語ります(エレミヤ書29章11節から13節):

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」


 神とつながり、神との交わりの中で日々を送ることが、私たちを平安の内に将来と希望へと至らせるのです。

 あなたはすでにこの方との関係を持っていますか。

 あなたがキリスト者なら、この方との交わりを常に維持し、常に大胆に神の前に出て歩みましょう。この方こそ私たちの平安であり、希望と将来です。

 あなたが未だこの方との関係が無いのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外に私たちの確かな導きはありません。一刻も早く人生で一番大切な決断を済ませてください。

 今日もこのブログを訪れて下さり有り難うございます。

 皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの平安が大いに降り注ぎますように。




神と人の本当の関係.WAV





 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html





posted by モトイ at 13:00| 千葉 雨| Comment(4) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
モトイさん、いいですね〜
御心に叶っているかどうかも、やはり御言葉で判断すればけっこう簡単ですね!

…るちゃんが若かりし頃、結婚を思ってた人がいたんですが、彼の口癖が「神様の御心だったら結婚しよう」でした。

これってかなりキツイわ〜煤i; ̄□ ̄A

結婚カウンセリングなどもしておられる村田先生のところには「あの人と結婚することは神様の御心でしょうか?」と言ってくる人がいるんだそうです。

「好きなら結婚しなさい」…答えはこれだって(笑)

そうだよ〜
結婚してからお互いに築きあげるもんだよぉ〜
Posted by るちゃん at 2009年11月11日 14:45
るちゃんさん、いらっしゃい。

なるほどぉ〜、るちゃんさんも甘酸っぱい青春のおもひでがおありになるのですね〜(←ちょっとねちっこく言って見ましたw。)

ケンちゃんによろしく!(なんのこっちゃw)

私の知ってる男性は、あるいわゆる“霊的”と言われる女性に「私とあなたが結婚することは主の御心です」とか何とか言われてしまって、自分は嫌なのに「主の御心だから」と仕方なくお付き合いを初め、いやいやデートしたりして地獄のような日々を過ごしてました。

彼曰く「自己鍛錬と思ってた」そうで、ローマ書の「忍耐は練達を、練達は練られた品性を・・・」と言う聖句を思い浮かべて、主の御心を成し遂げようと何とか乗り越えようとしたそうですw。

当然の帰結として彼は、思い切って彼女に自分の気持ちを伝え、地獄のような日々は終了したそうです。

大爆笑物ですが、本人は実にまじめに主の思いをなしたかったようです。そこは偉い!(かなりずれてますがw。)

やっぱり、感情は大切だよねぇ〜。主がその人の感情を無視してそんなことするとは思えないよ。聖書にそんな教えもないと思う。パウロでさえ苦しみをいやいや我慢している形跡は全然ないし。

そもそもその女性は偽預言者じゃんか!


Posted by モトイ at 2009年11月12日 06:25
うふふ、モトイさんにも甘酸っぱい おもひで の1つや2つあるでしょヘ(≧▽≦ヘ) きゃーーん♪

それにしても、その男性ってばある意味すごすぎる…けなげと言うか…涙もの…

その女、こわ〜〜〜w( ▼o▼ )w

いるんですよねぇ、そういう人って。
自分の願望と神様の御心をすりかえてしまう。

るちゃんも手ごわいオバチャンに会ったことあるヨ。

会うたびに「あなたが歌を作ることは神様の御心です」ってかぁ〜、初対面からいきなりかい〜

なんでかって言うと、彼女はファニー・クロスビーをリスペクトしていて、障害を持った人がそういうことをするのが大好きなんだ!

むむむむ、るちゃんが障害者だから歌を作るべしという、御心でもなんでもないオバチャンの願望である(≧ヘ≦) ムゥ

赦すべし、赦すべし…あぁヾ(。`Д´。)ノ彡☆ブーブーッ!!
Posted by るちゃん at 2009年11月12日 09:49
あはははは、手ごわいですなぁそのおばちゃん。自分の願望が主の御心とは!
会いたくないけどそのおばちゃんを遠くから観察してみたいですw。
Posted by モトイ at 2009年11月12日 12:00
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