2009年11月09日

哲学者の思いついた矛盾:土屋賢二氏のエッセイより

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の愛が豊かに降り注ぎますように。

 御茶ノ水女子大学哲学科の土屋賢二教授は、ユニークなエッセイを書くことで人気が有ります。私も彼のエッセイは大好きで、よくお腹を抱えて笑います。実に馬鹿馬鹿しいことを大真面目で論じる彼のスタイルは、笑いによってストレスを吹き飛ばしたい人にはお勧めです。
さて土屋氏エッセイ集に矛盾を扱ったエッセイがあり、その中の一つの矛盾の例になるほどとまじめに考えさせられました。土屋氏は人が矛盾をどう扱うかを取り上げているので、その矛盾自体の説明はなされていません。しかしこの矛盾は、人が単なる物質的な存在では無いことの証明にもなると思います。以下にその箇所を引用いたします(「われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う」p.244):

(引用始め)
たとえば、原子は無生物である。無生物の原子を集めても無生物のままである。(なぜなら、寄せ集める前に含まれていなかったものは、だれかがこっそり混ぜたのでない限り、寄せ集めた後にも含まれないはずだからである)。したがって、生物は原子から出来ているのだから、無生物だということになる。
(引用終わり)


 ところが生物は無生物ではないので、ここで矛盾が生じる、というのが土屋氏の論旨です。この後エッセイは矛盾をどう扱うかに話題は流れて、さらに別の矛盾へと移っていきます。しかしこの矛盾は、人間が霊的な存在であり、単なる原子の寄せ集めでは無いことを言い当てていると思います。

 聖書の天地創造の記述の中で、神が最初の人アダムを造った箇所に以下のようにあります(創世記2章7節):

その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。


 まず神は人を形作られますが、そこにはいのちはありませんでした。言わば原子の寄せ集めです。その人の形にいのちが宿ったのは、神が「いのちの息」を吹き込まれてからです。

 土屋氏が言うように、原子の寄せ集めで成り立っているはずの人間の体にいのちがあるというのは、誰かがこっそりといのちを吹き込まないとそこにあるはずはありません。聖書は神がいのちの息を人に吹き込んだのだと教えます。

 私たち人間は沢山の原子の寄せ集めのような、単なる物質的な存在なのではありません。私たちは神によって作られ、いのちの息を吹き込まれ生きるようになった存在です。私たちは神によって造られたのです。

 私たちが神によって造られたということは、神が私たちの存在を求めていたということです。誰にも求められずに生まれて来た者はありません。たとえ不幸にも両親に望まれないまま生まれてきた子供でも、その子供を望んでいた方がいます。神である全能なる創造主が、その子供を望まなければその子は生まれることさえ不可能なのです。

 では神はなぜ私たちを求めていたのでしょうか。それは愛するためです。聖書は神は愛であると宣言します。しかし愛には愛する対象が常に必要です。私たち人間は、神に愛されるために、神によって造られたのです。それゆえに神の愛を受け入れることなしには、私たちの存在理由はなくなってしまいます。

 現代社会は生きる意味を見失った人が大勢存在します。彼らの個々の問題は千差万別で、それぞれが違った問題を抱えているように見えるかもしれません。しかし根本的な問題は、私たちの存在理由である、神の愛を拒絶してしまっていることが原因です。

 あなたには生きる理由がありますか。もしそれを見失っているのなら、その原因はあなたが神を見失い神の愛を受け取り損ねていることが原因かもしれません。

 イエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神の愛の中で生きる意味を取り戻してください。

 あなたがキリスト者なら、今日も神の愛の中でいのち豊かに生きていきましょう。この方の愛の中にいることが私たちの砦です。

 あなたがまだこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方の愛を受け入れることは、私たちが生きる意味を見出す鍵です。



神と人の本当の関係.WAV




(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html






posted by モトイ at 05:00| 千葉 曇り| Comment(2) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
シャバットメッセージも聞いたよ〜、ヨセフは不思議な人生を歩みましたよね、そこから学べることは多いですね。。。。う〜ん

今日のお話とっても面白い!!!

>誰かがこっそり…

って本当にそうなんだもの。

るちゃんは人間と動物達を比べて本当に違うよな〜って思うこともよくあります。

言葉で意思疎通したり、神様を礼拝したり、仕事したり…

礼拝するネコ見たことないし、日々出勤していくネコもいないし…ネコ駅長なんてのは人間がそれらしくさせてるだけだし〜

え!?モーシェ君は神様を礼拝してるってか!w(*゚o゚*)w

そういえばサムエルもパソコンから聞こえる礼拝メッセージとかすごく聞いてるんだな(ように見える?)
Posted by るちゃん at 2009年11月09日 11:49
るちゃんさん、いらっしゃい。

いつも有難うございます。励まされます。主に栄光がありますように。

人間だけですよね、礼拝は。これはやっぱり人間が、神の似姿に造られたせいでしょう。

猫が偶像崇拝してたら笑っちゃいますねw。いわしの頭でも信心したりしてw。

でもロマ書には、被造物は神の子たちの現れるのを切実な思いで待ってるって書いてあります(8:19)。サム君もモーシェ君も切実なんですって!

Posted by モトイ at 2009年11月09日 14:00
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