2009年11月04日

プラス思考と聖書の教えの違い

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の大いなる栄光が輝きますように。

 西田文郎著の「bP(ナンバーワン)理論」によると、動物にはマイナス思考はないそうです。マイナス思考とは言葉があり過去の経験を自己評価する人間だけにあるものだそうです。たとえばライオンは例え狩に何度失敗しても、次の機会には再び全力で狩をすることができるということです。

 ところが人間はと言うと、幼い頃からはじまる過去の失敗の膨大なデータベースが、その人の行動の大部分を支配するのだそうです。勉強ができない子は頭が悪いのではなく、かえって頭が良いために、過去の記憶から勉強をしないで叱られたことなどのマイナス感情を持ってしまい、勉強したくなくなり、その結果勉強ができないという結果が生まれるということです。

 同書ではこれらのマイナスの思考を止めるためには、ウキウキわくわくすることを考えると言うことを提唱しています。そうすることによって自分自身のマイナスをプラスに変え、積極的な思考を習慣付けるのだそうです。ただ積極的な思考を自分に強制しても、すぐに反動でマイナス思考が返ってきます。そのために感情でウキウキわくわくするように自分を持っていくのだそうです。

 先日の小林正観氏の口癖に関する著書にしてもそうでしたが、やはり世の自己啓発書には決定的なものが欠けています。私たち人間は自分の努力で自分を変えようとします。しかしそれには限界があります。ある程度うまく行くでしょうが、結局は滅びへ向かいます。私たち人間にまず必要なのは、自分自身のアイデンティティーを変えること。いいえもっと正確に表現すれば、自分自身のアイデンティティーを取り戻すことです。すなわち罪の赦しを受け取り、聖なる者として聖霊なる神の内住者、つまり神の神殿となることです。

 聖書には神との関係を取り戻した人間について以下のように表現しています:

神は、罪を知らない方(イエス・キリスト)を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(第2コリント5章21節)

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。(第一コリント6章19節)

しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1章12節)

世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(第一ヨハネ5章5節)


 イエス・キリストを信じて神につながる者は神の義と呼ばれます。そして聖霊なる神の住む神殿であり、神の子供であり、世に打ち勝つ者です。本当の自己改革はこのような人間本来のアイデンティティーを取り戻した所から始まります。そして聖書はそのような者たちの自己改革を次のように表現しています(第2コリント3章18節):

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。


 人が本当に変われるのは、神との関係がその人を変えるからです。聖霊なる主なる神の働きに因らなければ、人は変わることができません。人は神の栄光を見れば見るほど、その栄光の姿を自分自身にも映すことができます。人は本来、神を見る鏡なのです。

 あなたもイエス・キリストによって本当のアイデンティティーを取り戻し、神に変えられて下さい。

 あなたがキリスト者なら、今日もあなたという鏡を主なる神に向けましょう。この方の栄光をあなたに移し、神の栄光を味わい続けましょう。

 あなたが未だこの方との関係を持たないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方だけがあなたに、本当のあなたの姿を取り戻させることができます。




神と人の本当の関係.WAV





 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html





posted by モトイ at 05:00| 千葉 晴れ| Comment(9) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
モトイさん こんにちは、

19997
01117新月
年 月 日Kislew,・・・ってとこかな!
Posted by クレア at 2009年11月04日 12:06
はじめまして、ジュリと言います。
ザアカイさんの子羊通信に最近参加し始めた者です。
素晴らしい数々の記事の羅列ですね☆
このブログがますます神様に用いられ祝されますように♪

神様との親子関係を取り戻して、神様を信じて祈ってプラス思考で努力する事が大事かな〜と最近痛感しています。
この記事のとおりですね!

記事の中で、地獄を案内されたコロンビアの7人の方のページを読みました。
地獄とは本当にすさまじく恐ろしい場所ですね・・・。
Posted by ジュリ at 2009年11月04日 13:55
クレアさん、ジュリさん、いらっしゃい。

クレアさん、今回の「クレア説」はKislewしか分かりません・・・w涙(←泣き笑い)。

01年は2001年でしょうか。7の月は聖書的な新年と伝統的な新年の両方から数えて見るのも一案かも。でもいずれにせよ聖書以外は全て2級資料でしょう。

ジュリさん、私も毎日子羊通信はお邪魔してます。いつも黙ってますがw。

お祈り有り難うございました。ジュリさんにも多くの祝福がありますように。

私は単なる情報ブローカーですので、主が示してくれたことをお分かちするだけです。感謝!栄光在主!

Posted by モトイ at 2009年11月04日 15:38
働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことなさる
神は、同じである。各自が御霊の現れを賜っているのは、全体の益
になるためである。すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉
が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほか
の人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊
によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほかの
人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられて
いる。すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御
霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。

なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するとこ
ろも一部分にすぎない。 全きものが来る時には、部分的なものは
すたれる。わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語
り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、
おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。
しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの
知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたし
が完全に知られるように、完全に知るであろう。愛は寛容であり、
愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らな
い、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨み
をいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍
び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。このように、
いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。
このうちで最も大いなるものは、愛である。
Posted by クレア at 2009年11月04日 15:49
アーメン
Posted by モトイ at 2009年11月04日 18:03
どうも〜

失われた自分をもとめて〜 という感じですね。
罪故に、本物の愛、本物の知識(キリストの知識)
を失って 自分の思いのまま 歩んできた自分が、
うまく行っているときは 調子づきますが、
失敗によって、マイナス思考にとどまる傾向がありますが。。

特に、自分だけでなく 他の人にもかかわってくると、
自分の無力さに、失望してしましまいますね。(もちろん、罪のある人に100%正しい 判断など できませんし、まわりも 罪のある人間ですからね。。)
主を見ないと、ほんとうに 失望だけでおわってしまう。

私も、いろいろ問題(課題?)の解決にはまだ 遠くても、
まず問題の本質を つかむ事ができたきがします。。
問題は外だけでなく、 やはり。。。自分の側 内側にある。





Posted by サマリア人 at 2009年11月04日 21:06
サマリア人さん、いらっしゃい。

神は他人との人間関係においてご自身を表されるので、キリスト者との交わりだけでなく、未信者との交わりでも主の語りかけがあります。無力さはありますが、それが語りかけなのだと思います。失望する必要もないけど、その失望自体も神の語りかけかも・・・。

その感情自体も主のメッセージだとして受け取るときに、さらに主が語ってくれるのだと思います。

無力で情けないからこそ主イエスが十字架についてくれたんです。本当に私たちは無力ですから。

主はすごい方だと思います。そんな私たちのために喜んで十字架についてくれたなんて・・・。

Posted by モトイ at 2009年11月05日 06:13
う〜ん、確かにネコを見ていると「またやってるよ、懲りないなぁ…」と思いますね(笑)

…新しい人を身に着るべきことでした。エペソ4:24

反対の古い人ってのは「過去の潜在意識の集大成のようなもの」だと最近村田先生のメッセージで聞きました。

潜在意識は決して悪いものではないけれど、過去の経験からしか判断を下せないと無意識にキケンな道を行かないようにする…つまりチャレンジできなくなるというデメリットがあるそうで、なるほどと思いました。

新しい人を身に着る…というのは御言葉をたくさん自分のうちに入れて、自分の考えでなく神様の考えと同じになっていくことだそうです。

るちゃんはこの事で目が開かれた思いがしました。

過去の失敗=これからも失敗するに決まってる

これが今までのるちゃんの生き方で、思ったとおりの失敗を繰り返してきました(涙)

この世的な「プラス思考」?
そうですね〜、そのような本を読んでいる間だけならできますが行き詰まりますねぇ。。。

やっぱり御言葉に伴ったプラス思考が最高ですね(*^^)v
Posted by るちゃん at 2009年11月05日 21:43
るちゃんさん、いらっしゃい。

新しい人を着るべきことに関する村田先生のお話、良いですね。なるほど。

人はみな過去に縛られていますね。知らず知らずの内に・・・。

やっぱり聖書の言葉を食べなかったら生きて行けないですね。なるほどです。良いメッセージはご飯のようなものですね。

よし私も聖書と言うご飯食べよっと!
Posted by モトイ at 2009年11月06日 06:14
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