サタンの攻撃を受けた聖書中の人物としては、イエス・キリストを除いてはヨブに並ぶ者はいないでしょう。彼はヨブ記の中で「義人」と呼ばれています。したがって私たちと同じ罪びとではありながらも、サタンに攻撃されるような罪はなかったと考えられます。
地上で彼に何が起こったのかを述べる前に、天井での神とサタンのやり取りを見てみましょう。
以下に実際の箇所を引用します:
(引用始め)
ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。
主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。(1章6節から12節)
(引用終わり)
サタンは地を行き巡り、神の前に訴える者を探しています。まさしく「兄弟たちの告発者」です(黙示録12章10節)。
ヨブは大金持ちでした。そして義人として知られていました。ところが突然の不幸が彼に望みます。サタンの攻撃が始まったのです。彼の財産は盗賊に襲われて奪われてしまいました。一方一族郎党は、別の異民族の襲撃と天からの超自然的な火によって、皆殺しになってしまいました。そしてそれと同時に、彼の息子娘は大風の災害にあってだれひとり生き残ることができませんでした。
サタンのできることは神の許しの範囲内です。これ以上はヨブに手を出すことができないサタンは、自分が神の前で言ったようにはヨブが神をののしらなかったことを知ります。しかし天上で彼は神に以下のように言い訳をします。
(再び引用始め)
主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」
サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。
しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」
主はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」(2章3節から6節)
(引用終わり)
地上では更にヨブに災いが襲います。彼の体は頭から足の先まで重度の皮膚病になり、あまりの痒さのゆえに割れた陶器で体中をかきむしらなければならないほどになってしまいました。
社会的な富と名声を失い、肉体的な病を負ってしまった彼に、これでもかと言うように精神的な苦痛がやってきます。彼の親しい友がやって来て彼を責めます。このような災いに遭ったのは、ヨブに何か隠れた罪があるのだろうという訳です。
彼らは論争しますが、答えは見出せません。この時、ヨブは神に叫びます。その叫びは、、私は潔白だが自分自身を知らない、私は神と論じたい、という大胆な叫びでした。
この叫びに対して神は直接、超自然的な形でヨブに現れます。ヨブはこの災いの理由を一切告げられることはありませんでしたが、神が絶対的に正しい方であることを認め神の前にへりくだりました。
以後神はヨブに以前の二倍の祝福を授けます。彼は息子娘を再び持ち、長寿を全うして死にました。彼の人生の中で、災いにあった後の祝福のほうが彼を富ませ彼を幸福にしました。
このように神はサタンさえ用いて人を訓練することがあります。そしてサタンは神が許された範囲でしか人に手を触れることができないのです。
義人ヨブでさえいわれの無い災いを受けました。肉の弱さを持っている私たち現代人ならなおさらサタンの攻撃にさらされることがあるのでしょう。
その時に私たちは「なぜだ」と叫びますが、おそらく神はその理由を教えてはくれないでしょう。しかし確実に分かっていることが二つあります。それは、神は絶対に正しいこと。そして、あらゆる災いは神の祝福の種であるということです。
新約聖書のローマ人への手紙8章28節は以下のように教えています:
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
あなたがいま試練の時を過ごしているのなら、それはあなたにそれだけの価値があるからです。そして神はあなたの尊さをあらかじめ見ており、それゆえサタンの告発をも用いてあなたを祝福しようとされているのです。
練りきよめられている最中の鋼は火で焼かれ何度も叩かれてかなかすを取り除かれます。辛い時は先が見えず神に叫びますが、その叫びを神は見捨てることはありません。あなたは必ず聖なる剣として磨かれ、神の道具となるでしょう。
あなたはこの神との関係を既に持っていますか。
あなたがキリスト者なら、どんな試練の中にあっても神に叫び、神につながりましょう。その叫びは決して地に落ちることはありません。時を定めて神は必ずあなたに会って下さいます。
あなたがまだこの方との関係を結んでいないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内に入ることを強くお勧めします。神だけがあなたを完全に救うことができます。
今日もこのブログを訪れてくださり有り難うございます。
皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの恵みと哀れみが大いに降り注ぎますように。
(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html)
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>おそらく神はその理由を教えてはくれないでしょう。
そうですね自分であれこれ理由付けしても仕方の無いことです。それより後に来る主の祝福を受け取れるようにしなければいけませんね。
そうでなくては、こんなにも兄弟姉妹が苦しんでいるのは悲しすぎます。主に現状を訴えるのは必要なことです、私はよく『主よ貴方は私に何をなさりたいのですか?』と叫びます。
自分の中で何かが変わったように感じます、最近「主は必要を満たしてくださる」という内なる思いがきます。
キリスト者が苦難を受けているのを見るのは辛いですね。しかし、いまはそんな戦いの時期なのでしょう。つまり、サタンの惑わしがキリスト者を引き摺り下ろそうと働く時代なのでしょう。
色々努力したり右往左往しても、結局は主に叫ぶしかないですよね。そんな叫びとも愚痴ともつかない神との交わりが、信仰者の心に神の声を聞かせるのでしょう。
神に愚痴り神に叫ぶ祈りしかないようですね。
私に、私には全くわからないけど、試練を通る価値が、あると神様は見ているのですね。
暗雲の下で一人で苦しんでいる時、神の手は私には見えません。神の声は私には聞こえません。イエスさまが一緒にいることは私には感じられません。でもある一瞬、イエスさまがその闇の中でずっと私を愛し続けてくれていたことに気付いた時がありました。私が水の中を行く時も火の中を行く時も私を捨てない、という神様の言葉が本当なんだと思った時でした。
この苦しみがいつまで続くのと苦痛の声をあげるダビデと同じ気持ちです。先を知らずに何年も牢獄で過ごしたヨセフは、牢獄から出れそうで出れなかったとき、どれだけ打ちのめされただろうかと思います。
でも神様が、神様の言葉が、希望なんですね。その希望をまだ見る前に信じることが、信仰なんですね。
よかった!! サマリア人です
心配していたんですよ〜
ブログがつながらなくて。。
わたぴ〜さんも、ザアカイさんも、エンジェルさんもみんな 心配してましたよ
あと、ユウタロ〜さんも 心配してます。
また、遊びにきてくださいね。
モトイさん、
いつも、励ましになるメッセージ感謝です。
サタンも、主がそばにいるかぎり、
たとえ つまずいても、立ち上がるちからを
くださるんですね。
「正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。」(箴言24:16)。
クリスチャンは ただでは、倒れない。。自分では おきれなくて かならず おこしてくださるのが、主ですね。。。
るちゃん、ずっとヨブの話って腑に落ちないと思っていました…
ですが最近になって知りました。
ヨブはいつも恐れていたこと、それをサタンが見抜いて神の前に訴え出たこと。
たしかにクリスチャンではあっても、心にはいろんな心配事があります。
口で「主に委ねる」と言いつつも心では「あんな事になたら、こんな事になったらどうしよう」と思います。
聖書には「あなたの思ったとおりその身になれ」という言葉があるように、人はその心に思ったとおりになるもの。スゴイ真理!!
るちゃん、子供のころから高い場所への恐怖がありました。あんな所から落ちたら死ぬに決まってる…」とありもしないことの恐怖でいっぱいでした。
大人になったある日、るちゃんは大の高所恐怖症なのに引きずられるようにして高い場所から飛び降りてしまいました。
人はいつもありもしない事まで背負っています。
ヨブもまた罪から遠ざかっていたのに、心は恐れがいっぱいでした。
サタンは人の心の状態を見抜きます。
この事を知ってから、るちゃんは誰にも見えない心の状態こそが大事だってわかりました。
ヨブはその後に多くの祝福を受けましたが、先に死んでしまった子供たちは取り返せませんね…ふぅ〜
>先に死んでしまった子供たちは取り返せませんね…ふぅ〜
この子供たちは御国で取り返すことが出来ます。
永遠の命を与えられているのですから。
早く栄化される日が来ると良いですね。
「私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身に降りかかったからだ。」
ヨブ記3章25節
でした〜
ですが、ヨブの10人の子供たちが永遠の命を持っているので必ず御国で会えるかは知りません。
るちゃんさんやご家族の上に現された主の栄光を褒め讃えますます、こういう証しには励まされます、生きた証人としての働きの道が用意されているのでしょうね。
サタンは「兄弟たちの告発者」として、義人ヨブの弱いところを突いたんですね。ヨブの恐れはおそらく私たち凡人の恐れとほど遠い意、万が一にも・・・、という程度のものだったでしょう。でも重箱の隅をつつくようにサタンは告発するんですねぇ。やな奴ですねぇ〜。
でも倒れても主が立ち上がらせてくれる!しかももっと聖く練られて立ち上がっちゃう!ハレルヤ!主は素晴しいです。キリスト者はすごい人たちだ!
心配してもらってたんですね・・ありがとうございます。
今、とてもつらくて苦しいんです。あのブログは、私の試練の中、神様の強さと栄光が現れればと思って始めたものでした。でも、書いていた時に起こっていた事を思い出してしまって、つらくて、今までのことを後ろに置いて前に進むために、ブログごと削除しました。イエスさまと一歩出します、イエスさまだけが希望です。
じ〜た〜さん、とりあえず(?)お元気そうでなによりです。良かった良かった(^^)
いやぁ〜、心配してたんですよ(TmT)。ブログ覗きにいったら、突然閉鎖されていたようで、何かあったのかと思って。微力ながら力になれなかったのは残念ですが、じ〜た〜さんのブログ記事に励まされてましたからね。
ま、とにかく、何があろうと主イエスが全ての事柄を活用して、きっとじ〜た〜さんを良い方向へ導いてくださいます。今は辛いこともあるでしょうが、共に歩んでいきましょう。何かあったらいつでもどうぞ。どの程度、力になれるかは分かりませんがね。ワタクシ、デモクリ代表ですから。(ああ、頼りなく情けない〜)(^^;)
モトイさん、お久しぶりです。
それから、モーシェ君も。(^^)
サタンは本当に狡猾ですからね〜。
ワタクシもフラフラしまくったクチなので、あんまりエラソウなこと言えませんが、人の理解だけで「光の使いのように見せかけている」ことを見抜くのはまず無理ですから、主の守りをお願いするのは必須ですね。
今は苦難の中にある兄弟姉妹たちに、引き続き主イエスの導きと保護があり、一日もはやく祝福が訪れますように。(vv)
皆さんそれぞれ、チャレンジを受けているようですね。しかしそれでこそクリスチャン!主は必ず良いことをなさいます。キリストにしっかりと掴って生きましょう!
いま、とても辛いのですね。。
どうか、モトイさんや、わたぴ〜さんの
ブログに、すこしでも 心の調子がいいときに
遊びにきてくださいね。
私の信仰の兄の、子羊通信のザアカイさんも
苦しんでおられて、、 主にある姉妹ですから。。人ごとではないと、
じ〜た〜さんの事を心配していました。。
サタンの攻撃にまけないで、らっきょうですから
(じ〜た〜さんの語録で(^^)
この世界で起きている全ての悪いことが、サタンの仕業なのですか?そして、それを神様が許されているからおきるのですか?
キリスト者に対する酷い迫害も、食べる物のなく死んで行く子供たちも・・・。
地震などの災害も神様の領域なのですよね。
以前、あるクリスチャンの方が仕事でよく海外に暫く滞在しては日本に帰ってくる、という生活をされていたので、その方に、自分が海外に行っている時に、日本に大きな地震が来て、家族の方が全員亡くなってしまったらどうなの?と聞いたたら、神様がそうする必要があったのなら、それでもかまわないと言っていました。
クリスチャンとはそういう人たちなのですか?
ヨブがその後2倍の祝福を受けたとありますが、私はそんなに一杯祝福されるより、試練に遇いたくありません。
自分の身に起こったことが、それを神様がサタンに許可を与えたから成されたのだとしたら、かなり複雑な思いです。
どうやって考えたらいいのでしょうね?
まず、誤解を恐れずに質問の趣旨の、「クリスチャンとはそういう人なのか」にお答えします。
私も主のなさることなら受け入れます。それで構いません。しかしそれで家族が死んで悲しくないのかという問題ではありません。神がなさったことを受け入れるのか受け入れないのかという問題です。そしてこの問題の背景には、「正しい方はおひとりのみ」という聖書的な信仰があります。私たちにはわからないことでも、神のなさることは最善、と信じる信仰です。
人の罪によって「地は呪われた」と聖書は教えます。つまりこの世で起きる不幸は、元をたどれば全てが人が神から離れた罪によるという意味です。神はその不幸さえも用いて良いことをされる、と言うのがそのクリスチャンの方の信仰なのでしょう。私もそういう信仰を持っています。
神は考えても分かるものではないです。ただ信じるものです。信じていない人々にとっては愚かでしょうが、信じている人々にとってはこれを信仰といい、この信仰には神の知恵と力が現れると信じているのです。
カレーライスを知らない人がカレーライスの成分からいろいろ言うことはできます。でも実際その味を知っている人にとっては、カレーライスはカレーライスでしかなく、説明できようができまいが、カレーライス以外の何物でもないのです。
神についても同じ事が言えると思います。
私たちクリスチャンは説明できようができまいが、神を受け入れています。これは神の「味」を知っていることになります。
質問者さんの質問は真剣なものであることが分かります。そして私の回答も真剣なものです。しかしこの説明で理解できたかどうかは不安です。おそらく「なんとなく」私の考えていることが分かる程度だと思います。
これは人間の理解によったことで、神が難しいからではないでしょう。
是非お勧めすることは、質問者さんが神を味わうことです。是非神を信じて、受け入れてみてください。それは人が最初に解決しなければならない問題です。