モトイです。
今日、皆さんの上に神の祝福が降り注ぎますように。
私は父と兄を亡くしていますが、火葬場での別れの時にはどちらの時にもも隣にクリスチャンの団体が親族との別れの儀式をしていました。聖書の世界には偶然はありません。このことは私にとって、神からの語りかけであり、大きな励ましと慰めでした。
先に亡くなったのは父のほうです。その時私は高校三年でした。その時は聖書も読んだことも無く、当然教会にも行ったことがありませんでした。
火葬場で父との別れの時をもつ私の心はすさんだものでした。死んでしまった父に怨み言を言い、父よりも嫌いな母と居なければならなくなったことの運命を呪っていました。
そんなときに隣の団体から奇妙な歌が聞こえてきました。どんな歌だったかいまは覚えていません。しかし死んでいくものとの分かれの悲しみを歌った歌ではなく、静かではあっても何だか楽しそうな感じがする歌でした。
本当に楽しそうだったのかどうかは分かりませんが、私の記憶では楽しそうでそれゆえに一層奇妙に感じました。その奇妙さは、私のすさんだ心と対比して、まるで別の国の人々のような感じさえ受けたのを覚えています。
いま私は彼らが死者との別れを惜しみながらも、本当に喜んでいたのが理解できます。聖書には「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」という言葉があります(ピリピ1章21節)。キリスト者にとっては生きることはキリストとのこの世での交わりを意味し、死ぬことは天の御国でキリストに実際に会えることを意味します。
こんな聖書の教えも理解しない私でも、父を送る私たちと隣のクリスチャンの団体が、全く違った雰囲気であったことを感じました。私は当時、クリスチャンを外国の宗教にかぶれた人々として嫌っていました。しかしどこか楽しげであった彼らの雰囲気を、不思議に思いつつも羨ましく思ったものです。
いま私は彼らが永遠の世界を思って歌を歌っていたことが分かります。私の心に伝わったのはおそらく、彼らのそんな永遠の世界に対する憧れのようなものだったのかも知れません。
そしてそれから約十年後に兄が亡くなりました。その時私は親族の中でひとりだけクリスチャンになっていました。当然葬式は仏式でしたが、火葬場では不思議なことに隣はまたもやクリスチャンの団体でした。
この神の摂理に私は感謝しました。キリスト者にとっては火葬場で賛美歌を歌うことさえ礼拝です。隣から響く歌声に私も祈り心を合わせ、親戚一同の心にかつて私が感じたような何かを、神が与えてくれるようにと祈りました。
人の心を変えることができるのは神のみです。私がクリスチャンになってアメリカから帰国した当初、親戚のある人たちは私に冷たく当たりました。ある従兄弟など私に怒鳴って「日本にキリスト教は合わないんだよ」と言いました。しかしそれはかつての私の姿です。そんな心を神は変えることができることを、私は身を持って知っています。そんな神に対して親戚一同の救いのために祈れることは、キリスト者として祭司の特権を大胆に行使することを意味します。
キリスト者にとって生きることはキリストとの交わりです。そして死ぬことはそのキリストと実際にお会いすることを意味します。天の御国とキリストに憧れながら生きることは、キリスト者にとって生きるための大きな力になります。
世の中の人々にとってはこの世での良いことが生きる力でしょうが、キリスト者にとってはキリストと天の御国への憧れが力になります。
あなたもこの天国の力によって地上に生きるようにと、神は望んでおられます。
あなたがキリスト者なら、今日も神との交わりを求め、天からの力によって地上で歩みましょう。
あなたがまだこの方を知らないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内に天からの力を受けることを強くお勧めします。
(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html)
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実はるちゃん、先週お葬式に出ました。
お会いしたことのないクリスチャンのお婆ちゃんのお葬式でした。
教会から讃美の為に頼まれて参加したのですが、そのおばあちゃまは92歳で亡くなって、しかも三代目のクリスチャンでした。
集まった親族はひ孫の代までクリスチャンだらけ!!
なんと祝福された家系なのだろうと羨ましくなりましたよ〜
るちゃんは火葬場までは行きませんでしたが、後で牧師夫人にお話を聞いたら、また讃美を歌って「ある意味宴会」みたかったそうです(笑)
そう、クリスチャンの葬儀は最高ですね!
ノンクリスチャンの列席者にも伝道の場となったに違いありません…
92歳で3代目ですか?すごい祝福された家系ですね。
宴会ですね、クリスチャンの葬儀は。本当にそう思います。
クリスチャン最高!