人は何気なく過ごしている時も何かを心の中に思い巡らしています。そしてその何かは大抵いつもひとつの物事です。そして人はそのひとつの物事によって心を支配されています。
心の中で楽しいことを思い浮かべていれば楽しい気分になり、反対に悲しいこと、つまらないこと、不愉快なことを思い浮かべている時はそのような気分になります。
イエス・キリストは人々が心の中で悪いことを考えていることを見抜き「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか」と指摘したことがあります(マタイ9章4節)。
この時彼は郷里で教えていました。しかし人々はイエスの権威を認めずに口には出さずに心で、イエスに反発していたのでした。
そしてイエスが言われたのが先ほどの言葉です。この時イエスが言った「考える」と言う言葉は、ギリシャ語の単語で熟考するとか思い巡らすという意味の言葉です。
ある英語訳の聖書ではこの箇所を "Why do you entertain evil thoughts in your harts?"と訳しています。この表現で言えば"evil thoughts(悪い考え)"を"entertain(楽しんでいる)"となります。
人は心の中にある考えを楽しみます。それが良い考えであろうが、悪い考えであろうが、人は考えたいことを思い巡らし熟考します。そして人はその考えていることに影響を受けます。
しかし神から離れた人間は心に悪いことばかり思い浮かべてしまいます(創世記6章5節)。良いことを思い浮かべ、ポジティブに生きようとするのも少しは効果があるかもしれません。しかし根本的なところに私たちは問題を持っているのです。
心の中に良いこと、ポジティブなこと、素晴しいことを思い浮かべるためには、神との和解が必要です。神は愛です。この方をあなたの心に受け入れた時、あなたの心はこの方とつながり愛を受けることができます。この方との交わりのみがあなたを本当に変えることができます。
あなたがキリスト者なら、この方との交わりを絶やすことなく、常に神を心の中心に迎え入れて生きましょう。この交わりがあなたに、愛と力と導きを与えます。
あなたがまだこの方との和解を済ませていないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの中に入ることを強くお勧めします。あなたを変えるのはこの方のみです。あなたの心をこの方に明け渡してください。
今日もこのブログを読んで下さり有り難うございます。
皆さんの上にわたしの愛する神、主イエス・キリストの栄光が現れますように。
(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html)
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>クリスチャンの多くは、人を騙した「蛇」をサタンであると見ます。
しかし、ユダヤ人の多くは「蛇」とは、人に自立心と麗しい知恵を与えてくれた英知の天使であると見なします。あるいは、「蛇」を神と同等以上の存在とすらする見方もあるようです。ユダヤ人のこうした蛇崇拝、知恵崇拝の思想は、後に彼らがグノーシス思想を生み出す土壌となったことは容易に想像できます。
このように、神に反対する意見を持った「蛇」という存在について、まったく相反する見解がユダヤ教徒とキリスト教徒の間に横たわっていることは、大きな相容れない溝があるようなものです。
なぜなら、この認識の違いにより、「罪」に対する認識もまったく異なってくるからです。
ユダヤ教およびユダヤ人には、「原罪」という概念はありません。
モトイさんこの記事の内容知っていましたか?
モーセの青銅の蛇の箇所が?なのです、教会学校ではイエスさまの予型だと教えたのですが。
熱心なクリスチャンのHPらしいですね。この記事の次の日、6月28日の記事に黙示録の「都市を経た蛇、悪魔とかサタンと呼ばれる者」の箇所からキリスト者は蛇をサタンと理解できるけれども、ユダヤ教徒は理解しないとありました。なるほどと思います。
青銅の蛇は私もキリストの予型であると思っていますが、それでも不可解ですね。もっと深い意味があるかも。
宇野正美さんもユダヤ教は聖書から離れてカルト化していると言ってますし、このかたのHPにもユダヤ教徒は預言書を読まないとも書いてあります。ユダヤ教についてはあまり知りませんが、本当にサタン崇拝になってるかもしれませんね。(全てではないでしょうが・・・。)