2009年07月07日

ラブレターは手書きでしょ!:人格のコミュニケーション

お早うございます。
モトイです。

今日皆さんの上に、神の祝福と恵みが降り注ぎますように。

 私の知り合いの女性に、ワープロで打ったラブレターを貰って憤慨した人がいました。そういった心を伝える手紙は手書きであるべきで、これでは人格が伝わらない、というのが怒った理由でした。もちろん結果は敢え無く敗退。同じ内容でも手書きならまた話は別だったかも知れないとのことでした。

コミュニケーションの伝わり方を実験したテレビ番組が昔ありました。NHKの「ウルトラアイ」という科学番組でのことです。

小学生20名くらいのグループを2つ作り、ひとつのグループには頭からすっぽりと全身を覆う布をかぶってもらい、目のところだけ見えるように穴を開けます。このグループのコミュニケーションの手段は喋ることだけです。身振り手振りをしようにも布が邪魔してできないようになっています。その代わり言葉は自由に喋っていいことになっています。

もう一方のグループは、口に×印をつけてもらい、喋ってはいけないことになっています。しかし身振り手振りも表情も自由に表現できます。

この二つのグループがそれぞれ椅子で円陣を作り、よーいどんで20分ほどの時間、友達作りをするのが実験の内容でした。

最初に活発に動き出したグループは布を被った子どもたちのグループです。彼らは自分も相手もお化けのような格好をしているのが楽しいらしく、きゃっきゃと奇声さえ挙げて活発に遊びだしました。しかししばらくするとはじめの興味も無くなったようで、次第に自分の椅子に座りだす子も出てきました。

後ほどその子供たちに話を聞くと、はじめは楽しかったけれども、相手も自分も同じような格好をしているし、だれがだれだか特定ができないので面白くなくなったといっていました。

ところがもうひとつのグループは、出だしこそ皆恐る恐る席を立ちましたが、最後まで活発に遊んでいました。じゃんけんをしたり、おしくら饅頭をしたり、その他の手で遊ぶいろいろなことで、喋れないという不自由さを楽しみながらコミュニケーションしていました。

後ほどのインタビューでは、喋れないことがかえって友達作りには面白いハンディキャップだった、というようなことを言っていました。

ここでわかったことは、私たちは実際の言葉だけではなく、顔の表情や身振り手振りなどの手段でもコミュニケーションをとっていると言うことでした。

先ほどのワープロで印刷されたラブレターを貰った女性も、言葉ではない部分のコミュニケーションが伝わらなかったために憤慨したのです。文字の勢いや形は、その人の人柄を伝えます。このいわば人格的なコミュニケーションが無かったために、上手く行くはずの恋の伝達もあえなく敗退したわけです。

神と人との関わりあいもこのようなものです。私たち人間は印刷された本によって神を知るのではありません。聖書は携帯電話のような通信機器であって、私たち人間は祈りや聖書などの通信手段によって神とつながり、人格的な交わりをするのです。

神を知ることは知識ではなく、人格的な交わりなのです。

聖書の神は喜怒哀楽があり人格を持つ方です。この方は愛の根源であり、この愛に触れることによって人は癒され力を受け、神を愛し人を愛する者と変えられるのです。

あなたはこの方との人格的な交わりがありますか。

あなたがキリスト者なら、この方と人格的な交わりを常に保ち、今日と言う日のいのちを受けて歩みましょう。日々あなたを新しくする神は、今日もあなたとの交わりを求めておられます。

あなたが未だこの方とつながりを持たないのであれば、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れあなたも聖霊なる神との交わりをはじめることを強くお勧めします。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 05:00| 千葉 曇り| Comment(0) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: