モトイです。
お蔭様で、体調は回復しました。一言でもお祈りくださった方々、有難うございます。主イエスがその愛に報いてくださいますように。
体調を回復して思うことは、感謝というのは習慣付け無いと見過ごしてしまうものなのだという事です。布団の中でうんうん唸っていた時は、確かに祈りも力強く、苦しいながらも神との交わりの中での祝福を感じていました。
しかし一晩寝て起きて、体が回復してみると、癒されたというよりも普通の状態にもどった感覚のほうが強く、感謝よりも朝飯が、神との交わりよりも今日すべき事が頭に思い浮かびました。
聖書の中に出てくる、主イエスにらい病を癒された10人の異邦人のうち、たった一人が神に感謝するためにイエスの元に戻ってきた出来事を思い出します。もどってこなかった9人の人々は、普通の健康な体にもどり、普通に生活に戻り、普通に神を見失ったのでしょう。
人の心にはこのように、神の恵みに感謝しない癖のようなものがあるのでしょう。
イエス・キリストは「持っている者はさらに与えられ、持っていない者は持っている物までも奪われる」と教えています。神に感謝の習慣を持つ者が、神を喜び、同時に神もその人を喜びさらに祝福するという原則を述べています。
新約聖書のマタイによる福音書によると、キリストはこのことを2度にわたって教えています。しかもそれぞれ背景が異なり、別の意味が込められています。
以下に引用してご紹介します。
(引用始め)
イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。・・・」(マタイ13章11節12節)
だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。(マタイ25章28〜30節)
(引用終わり)
最初の引用の13章では、知識について教えられています。聖書では主である神を知ること、恐れを持って神を敬う事が知恵の初めであると教えています(箴言1章7節)。
この知恵の初めを得る事なしには、いまの知恵知識も十分に用いる事ができず、そればかりかすべてが無駄になり、持っている知恵知識まで奪われる事になります。すなわち私たち人間は、何をさておいても神を知る事が必要であり、神との交わりが更なる知識を増し加えるという事です。
次に引用した25章では、タラントというお金の単位が出てきます。このタラントは神の与えてくれた恵みを意味すると解釈できます。そしてしもべが出てきます。しもべとは神の家で仕える者、すなわちキリスト者と取れます。
そのことから判断すれば、25章での教えはキリスト者に対する厳しい警告と受け止められます。
神はその人その人に応じて恵みを授けます。ある者には多く、ある者には少なく授けますが、それは神の計画の中での多い少ないであるので、私たちが不平不満を言うべきではありません。
ところがこの中に出てくる1タラント与えられたしもべは、1タラント硬貨を土の中に隠してしまいました。主人が帰ってきたときにそれを返したのですが、与えられたものを無いもののように日々を過ごしていました。感謝するでもなく、使うわけでもなく、ただ無いもののように扱いました。そして主人が帰ってきたときに大変な叱責を受けたのです。すべてのキリスト者はこの戒めを真摯に受け止めるべきですが、同時にこのたとえはすべての人間に適用できます。
私たち人間は神から多くの祝福を受けています。神は悪人にも善人にも、毎日太陽を昇らせ、時に応じて雨を降らせます。数え上げれば感謝する事はたくさんあります。
しかし感謝する事をせず当然のように受け止めるならば、「持っている者はさらに与えられ、持っていない者は持っている物までも奪われる」と書いてある聖書の原則が誰に対しても等しく適用されます。
冒頭で私自身の感謝しない癖について述べました。昨日までは布団の中でうめき、今朝起きてみてすっきり癒されているのに、病気をしていたことを忘れている自分に気が付き、人とは何と都合が良い者なのかと、可笑しくさえありました。
感謝は習慣です。そして感謝する相手は全世界を創られた創造主である神です。この方に感謝を捧げる事はすなわち、神との交わりであり、この交わりがあなたに更なる祝福を与えます。
あなたはこの方との関係を既に持っていますか。もしこの方を知るのであれば、今日も感謝の捧げ物を捧げ、さらにこの方との交わりを深めましょう。
あなたがもしこの方を知らないのであれば、今すぐにでも主イエスを信じ受け入れ、この方との交わりに入る事を強くお勧めします。
(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html)
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感謝・・・忘れがちですね・・・
普段当り前のことが出来なくなってみて改めて実感することっばかりかも。
私が14年も普通にものが食べられなかったのに、何も気にせずおいしい、おいしって食べられるようになったとき、毎回の食事は感動と感謝で涙にくれました。
普段、感謝して頂きます!と口で言いながらも心底そう思っているかと言ったら・・・ウ〜ム、そうでもないしね。
そうそ、みなさんにも聞いてほしいスンゴイ事がありました。
5月5日に私は「いやしと奇跡の聖会」に行ってきました。
メル・ボンド師がいらしてまいした。
私は脊髄損傷という名前の障害があって脊髄の神経が破損しているために歩けません。
また、多発骨折したので骨盤や足の付け根や下肢のいたるところを金属のボルトやらで補っています。
「歩けるようになりたい」と思ったことは一度もないのですが、激痛や極度に曲がった足首などはどうにかならないかと思っていました。
ミニストリーを受けるだけでなく、自分で癒しを受け取る祈り方も学びました。
な〜〜〜〜んと8年間も曲がっていた私の足首、今まっすぐなんですよ!!!
聖会の翌日、祈りつつも眠ってしまってたら突然足首がギギギギィ〜ってなって動かせるようになりました。
これって本当に湧き上がるような感動なんです。
神様って人間の想像が及ばぬほどスゴイ!!!
るちゃんさん、すばらしい証を有難うございます。
めるボンド聖会には、うちの牧師も行って奉仕してました。きっとるちゃんさんも先生も、お互いを見たと思います。
早速先生に知らせます。そうすれば、実行委員にも伝わるんじゃないかな。
良い話はみんなが励まされるので、神の栄光は分かち合うべきですよ。
るちゃんさんの実感が伝わるので、一部コピペしてメールしちゃいます。
^^)v
私も行けばよかったかなw。
なら絶対にるちゃんの事わかりますよ〜
こんな時、車椅子って目立つので便利だなぁ…
え”〜〜、牧師さんってどの方だったんだろう・・・???
気になる 気になる 気になるぅ〜
60近い方ですが、比較的(と言うと本人にも比較される方々にも失礼ですがw)綺麗な女性牧師ですよ。