2009年02月20日

リストカットの理由

お早うございます。
モトイです。

 かつてリストカットを繰り返していた、若い女性と話をしたことがあります。どうして手首なんかを切ったのか聞くと、切って血が流れると本当にすうっとして気持ちが良かったのだと教えてくれました。

彼女の母親は優秀な人で、女手一つで彼女を育て、彼女からみてもとても尊敬できる立派な人だそうです。

人の愛は神から離れたゆえに歪んでいます。愛情表現のつもりで励ましたつもりでも、受け取る側には虐待としか思えないようなこともあります。

また受け取る側も神から離れているので、愛情表現を歪んで受け取ることもあります。

彼女の家庭も母親が気丈に振舞うことで、励ましたつもりが存在自体を否定していたようです。

「こんな成績じゃあ恥ずかしいでしょ」とか、「そのままじゃろくな大人になれないよ」など、親心による励ましが相当彼女を傷つけていました。彼女は自分が母親の愛情を受けるには、何か足りない存在に感じていたようです。

この家庭に限らず、親心が裏目に出るような愛情表現はかなりあります。まだバブルの絶頂期で、何をやってもとにかく努力すれば報われる世界ならまだしも、いまのような希望をなくした世の中では、かつてのような叱咤激励は逆効果になることもあります。

この少女にとって母親は、とても尊敬する輝かしい存在でした。そして、自分のような子供が居る事を申し訳なく思っていました。

死ぬつもりはないけれど、「生きててごめんなさい」と思いながら生きることはどれだけ苦しいでしょうか。

手首を切る時の痛みは、自分が生きていることの大切な証だったと彼女は言いました。

私が彼女に逢った時にはもうリストカットはしていませんでした。友達との関係や、彼女を支える人々がいたので、彼女は次第に孤独から解放されたそうです。

しかし本当に自分が愛されていると信じたのは、イエス・キリストの愛を知ってからでした。

自分のことをいのちがけで愛したイエス・キリストの話を信じた瞬間、彼女は「キリストってすごいんだね」と、私が驚くほどの感嘆の声を上げました。彼女が神の愛を受け取った瞬間でした。

私たち人間は、神と人に愛されて生きるように造られています。完全なる愛の存在に触れるとき、私たちの内側にある傷ついた愛が感動します。そして私たちは、神の愛のうちを歩むことができるのです。

イエス・キリストはあなたが神とつながるための唯一の道であり、真理であり、いのちです。このいのちを受け取ってください。

あなたがイエス・キリストを信じ受け入れ、神との交わりの生活の中で生きることができるようにお祈りします。
posted by モトイ at 05:00| Comment(7) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の両腕も傷だらけです。
もう昔のことですが、一生消えない傷痕は今でも見ると悲しくなりますね・・・

私の家は「機能不全家族」っていうやつでした。

確か小学校低学年の頃ですが、私の一番羨ましい人間は“生まれてこなかった子供”でした。

14歳でクリスチャンになったのに、ずっとこの考えを引きずっていました。

家族や他人がどうであれ、神様は私を愛し、命まで捨ててくださった…頭で理解しても実のところ遠い世界の出来事のように思えてしまいます。

神様からの愛ってみなさんはどうやって実感されているのでしょうか?

昨日の記事にありましたが、クリスチャンの目的はただ天国に行くってだけじゃない…そうですね。

この点を間違って私は天国に早く行こうとしてしまいました。
(行かれなかったけど・・・)

あぁ、なんかドヨ〜〜ンとなってしまった…(涙)
Posted by るちゃん at 2009年02月20日 10:41
るちゃんさん、辛い経験をなされているんですね。
親の愛でさえ神の愛のように完全ではありません。私自身も、自分が親になって感じています。
子供には自分のような思いをさせたくない、なにがあっても愛していると十分に伝えたいとおもっていました。

親も弱い人間であり、本来無私の心で子供を愛していても、その愛を継続するには、自分を心から愛してくれる存在と自分の価値を認めてくれる存在が必要です。
それが満たされないと、悩み、ときには子供への過剰な期待をして、なにか目に見える成果を求める事に気を取られてしまいます。 私も、やっとわかったんです。

神は、人間はその罪故に、十分に愛し愛されてないために、私達が罪を犯したりすることをご存知です。
だからこそ、一人子であるイエス様をこの世に送られ、そのイエスキリストは愛によって罪人を哀れみ、赦されました。。。自分を処刑する人々の為にさえ祈られた。。この愛は、完全な愛であると確信し、それが私の為になされたとおもえたから、安らぎを得られるのです。
もちろん、まだ思い煩う事もありますが。。
以前とちがい、支えがあります。
Posted by サマリア人 at 2009年02月20日 15:44
サマリア人さんはお母さんなのですね!
ビックリするほどでもないかもしれませんが、ビクリしてしまいます(笑)

>親も弱い人間であり、本来無私の心で子供を愛 していても、その愛を継続するには、自分を心 から愛してくれる存在と自分の価値を認めてく れる存在が必要です。

その通りですね。

私は最近気がついたのですよ。

私の母もまた「機能不全家族」で育ち、実の母親の愛情を受けずに継母に育てられ…今でも実のお母さん(私のお婆ちゃんですね)に振り向いて欲しいと必死になってしまうのです。

ある時、私は母に言ってしまいました。
「ママがお婆ちゃんの愛情が欲しいと悩むように、私もママに振り向いて欲しかったよ」って。

こういうのって“連鎖”するのだなって気づいたんです。

本当にいろいろありますわぁ〜

だからこそキリストの愛に根ざしていないと生きていきません!
Posted by るちゃん at 2009年02月20日 19:42
モトイさん、 証言の場所となってしまいますが。。ご容赦ください。

るちゃんさん。子供と言ってもまだ幼児ですが。
主婦ですので、自分の価値が見いだしにくく、不安になることもあります。。
子育ては、無私の愛と忍耐にかかってきますから。(おそらく介護にも通じるかもしれません)

私も、正直言いまして、自己愛という罪深い傾向があります。(子供も小さくても反抗しますし、恥もかきますし。。、保母さんのように報酬もありませんから、社会的評価もされません)いらいら、無力感、悲しみを感じ悩みました。 
忍耐強さにかける私には子育ては向いていなかったのでは。。と落ち込みました。

洗礼は受けていないけれど、イエス様を信じるクリスチャンなのに、と。。ちっとも新しい人に生まれかわっていない、生まれかわるなんて私には無理なんじゃないかと。。疑問が浮かびました。

子供の養育、介護なり、収入や評価の低い仕事などでも、家族などの理解や感謝、ねぎらいの言葉がないと、人間ですからへこんでしまうと思います。 

最近、そんな私の悩みの祈りに答えてくださった聖霊の助けかわかりませんが。。思い起こされ再発見した聖句があります。
(洗礼受けないと、聖霊は受けられないんですかね。?)

ガラテヤ6章9節 私たちは、善を行う事に
うみつかれてはならない。 たゆまないでいると、時がくれば刈り取るようになる。

エペソ6章6、7節 人にへつらおうとして目先だけのつとめをするのではなく。。。人にではなく、主に使えるように快くつかえなさい。

この聖句は、主人(雇い主)につかえる人のためですが、子育ても自分の評判(評価)を気にするのではなく、子供を神様からのプレゼントではなく、預かりものとして育てることを気づかされました。 

肉の思いと戦い、謙遜になるには、神様とのコミュニケーションである毎日の祈りと、できるだけ毎日聖書のみ言葉をよむことが、私には必須です。 
るちゃんさんが仰るように、悲しみの連鎖は、神の愛という助けによって断ち切らなければ!!
Posted by サマリア人 at 2009年02月20日 22:21
るちゃんさん、サマリヤ人さん、お早うございます。
モトイです。

私のネット環境が不便なので、頻繁にアクセスできないのですみません。

それにしても、ドイツと日本で、地球の表と裏で、こうやってお交わりができるのは不思議な感じですね。嬉しく思います。

サマリア人さんは母親なので、私が感じることのできない母親としての経験から、ずいぶん神様との交わりを体験されているようですね。本当に女性は信仰においてたくさん特権が与えられていると思います。すごいと思います。

るちゃんさんはとても辛いところを通ったのですね。腕の傷より心の傷が痛そうですね。

私が思うに、神の愛を感じて生きるとは、危険な言い方ですが誤解を恐れずに言うと、先ず信じきってしまうことです。

人間の心は、聖書に書いてある神の愛を感じようとしても感じられないときがあります。心の傷であるとか、罪であるとか、様々なものが神の愛を感じさせなくするでしょう。しかし神が愛であること、そして私たちをその完全な愛で愛しておられることは変わりありません。先ずそれを信じきってしまうことです。

ここら辺が世の人に「宗教はアヘンだ」と言わせる点だと思いますが、それにもかまわずさらに言うと、神が愛を自分に降り注いでいると完全に受け止める(思い込んじゃう)ことです。

そうすると、すべてのことを受け止める勇気が注がれます。これは神の英知だと思います。信じきった心には、主の細かい配慮が見えてくる余裕が出てくるからだと思います。

ヨブもるちゃんさんと同じように、自分の生まれた日を呪うような叫びをしています。(「私の生まれた日は呪われよ」と言うような・・・。)

でもすごいのは、神に「私と議論しろ」とばかりにその叫びを叫んで、決して奥さんの勧めたように神を呪って自分に死を招くようなことをしなかったことです。

程度の差こそあれ、私たちキリスト者はこんな叫びが必要なんだと思います。

私たちには理由は分からないし、分かろうとすれば、それは犯人探しにつながり、結局自分か他人を責めたり、自分の過去を後悔したりするでしょう。ヨブの友達はそれをしたけれど、ヨブはしなかった。人は私たちを攻めるけれど、私たちは自分を裁くのは神であるとして、裁きも神に委ねることが究極の甘えだと思います。(もちろん、他人さえも裁かずにですが…。)

主は弱ささえご存知で、るちゃんさんを召しました。苦しみの中で主を捨てずにいられた事がすでに大きな奇跡だと思います。これはつまり、るちゃんさんが主を捨てなかったのではなく、主がるちゃんさんをしっかり握っていたからだと思います。それは小さいことかもしれませんが、ものすごい奇跡だと思います。それこそ未信者に対する不思議であり大きな証だと思います。るちゃんさんは感じないかもしれないけれど、神の愛の表れの一つです。間違いなくるちゃんさんは神を愛しており、神はるちゃんさんをしっかり握って放していません。

信じきっちゃうというのはとても危険な勧めですが、もともと信仰のあるるちゃんさんには分かると思います。とにかくいま感じても感じなくても、主の愛を信じきってしまうことは大きな力を生むと思います。

神と人とに愛されることが人の本来の姿ですので、人と交わることを通しても主は愛を注ぐと言うこともあると思います。

近くに良い教会があればよいのですが、もしそれがかなわなくとも、いまはこうやって文明の利器で交わることもできます。ここでよければ思いのたけをぶつけてくださってかまいません。いつでも来てください。
Posted by モトイ at 2009年02月21日 08:36
>ヨブが神に「私と議論しろ」とばかりにその叫びを叫んで、決して奥さんの勧めたように神を呪って自分に死を招くようなことをしなかったことです。

思いの丈を神様にぶつける!というのはおすすめですね。神様に全き信頼を寄せているという事の証明ですからね。

このまえ、教会で神の赦しの例えについて。。女性(妻)とけんかをすると、妻はhistoric歴史的 になるというたとえがありました。 hysteric ヒステリック の間違いと違うのではと思われるでしょうが(苦笑い)。 その根拠は。。
なにか問題があると、何年前はこうだった、この前はああだったと。。。むかしの間違えまで蒸し返してしまうと。。(もっと苦笑い) 
神様は、人が罪を悔い改めたら、その罪をもう思い出されない。。海の中にドボーンと静めてしまうと。。ミカ7章19節

そんな大きな心をお持ちの神様をもって私たちはしあわせだと。。つくづく感謝!!そして、見習わなければと。。

勿論、とても自分では赦す事ができない事や昇華できない事もあるでしょう。 特に自分にとって一番みじかな家族であれば。なおさらです。 愛すればこそ、憎いという事もあります。(これは神様のイスラエルに対しての思いと同じかもしれませんが。。)
無理矢理ゆるした気になったり、忘れようとすると、自分を責めて自傷してしまったり、あとでトラウマになるとおもいます。
そういう時は、無理に赦さなくては!!と思わないで、自分には負いきれません!と認めてしまうんです。
神様(イエス様)にお任せして、自分をせめたり、相手を憎む事で、今後の人生を苦しいものにしないように、ささえて導いてくださいと。誓願する事をおすすめします。(^^)

私自身も、親に自分の悩みや苦しみにたいし、十分に理解と同情を得られなかった事が、まだ昇華されずにいます。。親も弱い存在なのだと、神の完全な愛の支えがなかったのだからと、哀れむこころができても。100%わだかまりを解消できません。。
自分の罪は神様に赦されているのに、ひとの間違いを赦すとは難しいです。。。
でも、最終的には赦したいと思うからこそ、神の支えをお願いしています。

るちゃんさん、
それぞれ、十字架を背負うのです。
でもイエス様がささえてくださいます!!
本当は愛している家族さえも、赦したくても赦せないという罪、わたしも負っています。。ともに神に祈りましょう。

Posted by サマリア人 at 2009年02月21日 19:59
サマリア人さん、モトイさん、たくさん書いて下さって感謝です!

私も不思議に思うのですよ。
それは、自分に何が起ころうとも神様は神様だし、イエス様は主だし、真理は何一つ変わらないことをこんな自分が信じられるってことが。

それは自分から出てるのではなくて、聖霊様の助けだと思います。

何事も頭で理解しようとするのは時にはダメですね。私も神様が愛して下さっていることを御言葉のゆえに心から信じます。

だって聖書に書いてある一言一句をクリスチャンは信じる者なんですものね!

人を赦すことが出来ないものだけど、赦すことを選び取ります。

サマリア人さん、子育てって偉大ですね!
サマリア人さんのお子さんは幸せだと思いますよ!だってお母さんが神様を信じる人なんですもの。

まったく関係のない話ですが、昨日から私はバウムクーヘンが食べたくて、今日とうとう食べてしまいました。。。

自分から甘いものを食べることは普段ないのだけど、どうしてかなって考えたらサマリア人さんがドイツにいらっしゃるからですよ〜

ドイツ→ビール、フランクフルト、バウムクーヘン・・・

頭の程度が知れますねぇ・・・(笑)
Posted by るちゃん at 2009年02月21日 20:23
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