2009年07月15日

恐怖か愛か:人を動かすモチベーション

お早うございます。
モトイです。

 今日、皆さんの上に神の祝福と恵みが豊かに降り注ぎますように。

 ビジネスセミナーのジャンルに、モチベーショナルスピーカーと呼ばれる講師たちがいます。モチベーション(動機)を盛り立てる講演をする人々のことです。アンソニー・ロビンズやスペンサー・ジョンソン、日本人ではクリス・岡崎などがそうです。

彼らがもてはやされるのは、彼らの講演や著書には私たちのやる気を高める要素があるからです。世の中では得がたいその要素を求めて人々はモチベーショナルスピーカーの言うことに耳を傾けます。その要素とは、自己イメージのアップです。

世の中は私たちを、恐怖によって動かそうとします。たとえば保険はその良い例です。

いつか起こるかもしれない事故や病気のために、私たちは保険をかけます。もしもそれらの災いに遭った時にも後悔をしないためです。保険をかけていたら事故や病気を防げるわけではありませんが、保険をかけていないと万が一の時後悔するからと、保険の勧誘員は私たちを脅します。私たちは恐怖によって動かされ保険をかけるのです。

私自身の経験で思い出すのは、日本の教育システムです。私はよく親や学校の教師たちに、「そんな状態じゃ、○○には受からないぞ」といわれて勉強をさせられました。日本の教育システムにおいては、学ぶことさえ恐怖によって脅して子供たちを追い立てていたようです。

恐怖によって人を動かす最も巨大な組織は軍隊です。良い兵隊を作るためにと教官は新兵を怒鳴り叱責し訓練します。この最も効率的な恐怖による教育システムを見習い、一時期軍隊式のビジネス訓練が流行った時代があります。高度経済成長の頃からバブル期の前のあたりのことです。

企業の管理職候補たちがセミナーに集まり、軍事訓練さながらの肉体訓練の中で「私は会社に忠誠を誓います!」とか、「有り難うございます!勉強になりました!」などと叫ぶのです。今から考えるとかなり異常な雰囲気です。しかし当時はこれが大流行し、テレビでも何度も取り上げられ、映画の場面にもなったほどです。

やる気があれば何をやっても成長するような社会にあっては、そのような恐怖によるモチベーションアップも効果があったでしょう。しかしいま流行っているのは自己イメージの確立によるモチベーションアップです。このことは裏を返して言えば、いま人々の自己イメージが打ちひしがれていることの現われです。

私もビジネスセミナーやビジネス書は好きです。読めば参考になるところが多いからです。人々が自己イメージを高め、やる気を出して世の中で成功しようとモチベーショナルスピーカーを頼りにすることが良く理解できます。

しかしほとんどの人が一時期やる気が出ても、しばらくするとまた世の中に押し流されて元に戻ってしまうことが多いのではないでしょうか。

私自身の体験で思うのは、これらのビジネスセミナーやビジネス書によるモチベーションのアップは、栄養補助食品や健康ドリンクのようなものだということです。やる気も出て元気も出ますが、それは栄養の摂取を補助するだけのものです。

本当に健康な人は食生活に気をつけて体の内側から元気を湧き立たせているように、本当に健康なやる気を維持できるひとは、やる気本来の源である神とつながった人です。

聖書によれば神は人を神の似姿としてつくりました。そして神は愛であるとも述べています。つまり神から愛され神を愛する人は、神が本来人間に授けた愛の力を発揮することができるのです。これこそ本当に健康なセルフイメージであり、持続するモチベーションの源です。

現代社会は恐怖、すなわちセルフイメージの崩壊の危機をあおって人を動かします。その結果多くの人々が傷ついています。そして傷ついた人々を勝ち組と称する人々は理解せず、弱者は傷ついたことさえ隠さなければならないのが私たちの身の回りの世界です。

しかし聖書が教える人間本来の姿は、現代社会の適者生存や弱肉強食の思想とは違い、人が神とつながって神と人とに愛されて生きる姿です。そのために人は神とつながる必要があるのです。神とつながることは本来の人間性の回復であり、持続する健全なセルフイメージの回復なのです。

あなたも本来のあなたの姿を回復し、神の愛の中でセルフイメージを確立するように、神によって招かれています。この愛を受け取ってください。

あなたがキリスト者なら、神との交わりによって今日のあなたの力を受けてください。あなたに愛と力を与えるのは世の中の何者でもなく、ただ主イエス・キリストのみです。

あなたがまだこの方とつながりを持たないのであれば、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内を歩むように強くお勧めします。持続する神の力を受け取りながら歩んで下さい。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 05:00| 千葉 晴れ| Comment(0) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月14日

解散前に一仕事?:臓器移植は儲かるビジネス

 15年ほど前、私が留学していたアメリカで、こんなぞっとする噂を聞きました。

ある男性がパーティーに参加しました。アメリカ人はよくパーティーを開き、友達が友達を呼んできたりします。知らない人ばかりのパーティーもよくあるようで、この男性もそんなパーティーに参加しました。

とても楽しい雰囲気で過ごした彼は、そこで意気投合した数人と二次会へと繰り出します。誰かが郊外から遊びに来ていたらしく、自分の借りてるホテルの一室に行こうと言うことになり、7・8人でワイワイとホテルになだれ込みました。そこでも彼は楽しく酔っ払い、ついうとうととしてしまったようです。

あまりに寒くなって眠りから覚めると、目の前に張り紙がしてあり、次のように書いてあります。
「あわてずに下記の番号に電話をし、現状を説明しなさい。さもないとあなたはすぐに死にます。」
ふと見ると電話がすぐそばにおいてあります。まだ酔いから覚めないのか、朦朧とする頭で受話器をとり、電話をします。電話に出た人物に電話をしたいきさつを説明すると、今どんな状況にあるのか自分の見えるものを教えてくれと電話の相手は言います。

その時まで彼は寒さは感じてはいても自分の身の回りまで注意を払えないほど、意識が朦朧としていました。

彼は見えるものを説明するうちに、自分の置かれた異常さを認識しだします。
「私はいまとても寒いです。氷の入ったところにいます。どうやらバスタブのようです。そうだ、ホテルの一室で、私はパーティーに参加していました。」

ここまで聞いて電話の相手は要領よく彼に指示を出します。
「あなたはそのバスタブから出てはいけません。張り紙に書いてあったようにすぐに死んでしまうからです。あなたは体の臓器を盗まれたのです。いま救護隊を向かわせますので、そのままの状態でまっていてください。」


この噂が本当の出来事なのか私は知りません。しかし同じストーリーの噂を、何度か別の場所で聞きました。たとえ作り話だったとしても、このような噂が立つほど臓器移植ビジネスが儲かることは事実なのでしょう。

日本でも臓器移植法の改正案が可決されました。臓器移植ができなかったために死んでしまった遺族の念願がかなったといいます。

中国まで行って闇で臓器移植を受けるルートもあるそうです。そんな闇ビジネスがなくなるのは良いことですが、臓器はいくらあっても足りず、お金持ちはいくらでも自分の臓器移植のためにお金を払うでしょう。

臓器移植が日本よりも自由な国、アメリカのハリウッドで作られた映画、「アイランド」をご存知でしょうか。臓器移植のためにつくられたクローンが、飼育工場から逃げ出すという衝撃的な話です。この映画が示すとおり、臓器移植は自由になればなるほど、大きなビジネスになり得ます。

そして7月13日に臓器移植法の改正案が成立しました。この法律により、遺言があれば脳死を死とし、家族や他人に臓器を提供することができるようになりました。(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090713-00000001-fsi-bus_all

以前、「凶悪殺人事件の背景:腐敗した産業構造」で、薬を処方する病院と製薬会社がとても大きな利益団体であることを述べました。(http://kirisutoinochi.seesaa

同じようにこの臓器ビジネスも大きなビジネスです。衆議院の解散総選挙の前に自民党がこの法案を成立させたかった理由もおのずと伺えます。

世の中は政府も官僚も産業構造全体もこぞって腐敗しています。イエス・キリストが世の終わりについて警告しているように、いま既に不法がはびこり人々の愛は冷えて来ています。しかし最後まで耐え忍び、愛を保ち続けるようにとイエスは訴えています(マタイ24章12節)。

この世の不法から害されず愛を保ち続けるためには、愛の根源である方とつながる必要があります。

神は愛です。あなたもこの方とつながり、愛を保ってください。

あなたがキリスト者なら、祭司としての特権を無駄にせず、今日も大胆に神に近づいてください。神との交わりがあなたに愛と力を与えます。

あなたがまだこの方とつながっていないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内を歩むことを強くお勧めします。この交わりのみがあなたを生かします。

今日もこのブログを読んでくださり有り難うございます。

皆さんの上にわたしの愛する神、主イエス・キリストの栄光と哀れみが豊かに降り注ぎますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 13:21| 千葉 | Comment(1) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無知が社会を堕落させる

お早うございます。
モトイです。

今日皆さんの上に、神の栄光と祝福が注がれますように。

 唯物主義的、無神論的な世界観は社会の倫理を堕落させます。

神を信じる理由が人それぞれある反面、神を信じない理由は概ね唯物主義的な無知が原因でしょう。聖書の中では無知とは「神は居ない」とはじめから決め付ける態度です(詩篇14篇1節)。すなわち無知な態度は無神論になり、物質のみの世界を信じる唯物主義になるのです。

辞書的な意味では倫理とは、人の踏み行うべき道や道徳のことを表します(集英社国語辞典)。人の迷惑にならないように、あるいは社会のためになる様に生きるのが倫理的、道徳的生き方です。では人のためになり、誰にも迷惑にならなければ何をしても良いのでしょうか。

たとえば援助交際と呼ばれる売春についてはどうでしょうか。売るほうはお金を得られ満足し、買うほうも対価を払って欲求を満たすのですから、言わば需要と供給が一致した形です。むしろ消費傾向が強い若者にお金が回り経済が活性化するかも知れません。お互いに満足し、しかも誰にも迷惑をかけず社会にも良い影響を与えた形になります。

唯物主義的な世界観ではこのような場合、強く反論できないです。「病気になる」などと言っても、本人同士が衛生面に気をつければそんな問題は解決してしまいます。

しかし聖書的な観点からは社会の腐敗を食い止めることができます。それは人間が神の似姿に造られたと言う大前提があるからです。

神の似姿である人の体は、被造物の中で特別な存在です。その特別な存在である人間は神の重大な関心事です。神を愛する人間は、神の悲しむことをするべきではありません。したがってたとえ需要と供給が成立し、誰も悲しむ人が無く、しかも経済的な効果があったとしても、神が悲しむのなら援助交際はすべきではないのです。

神を信じる理由は人それぞれ色々あると思いますが究極的な信仰は、神が神であるから信じる、というものでしょう。したがって倫理的な堕落を防ぐために神を信じると言うのも歪んだ考え方です。しかしながらここで私が説明したかったのは、神を信じない態度は無知であり、無知は社会をそしてあなたを、かならず堕落させると言うことです。

 あなたは神を神として生きますか。それとも自分の考えで生きていきますか。

あなたがキリスト者なら、今日も神を神として生きましょう。神との交わりがあなたを生かします。

あなたがまだこの方を知らないのであれば、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内を生きることを強くお勧めします。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 05:10| 千葉 | Comment(1) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月13日

自民党の都議選敗北と衆議院解散をつなげる一本の線:南関東大地震の可能性

 2009年7月12日に行われた東京都議会議員選挙では、自民党が歴史的な大敗をしました。そして今日、7月13日に麻生首相は衆議院を7月末に解散し、投票日は8月30日にする方針を発表しました。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090713-00000553-san-pol

朝のラジオ番組でジャーナリストの上杉隆さんは、「サミットに出席した後の首相は、誰もが気が大きくなるので、麻生首相も解散権を行使する」ということを言っていましたが、果たしてその通りになりました(文化放送「吉田照美のソコダイジナトコ」)。

ところで地震観測のひとつの方法で、大気イオンの測定による方法があるのをご存知でしょうか。とあるブログのコメント欄で話題になっていました。それによると、南関東の観測所のイオン値が異常に上がっているのだそうです。(http://www.e-pisco.jp/r_ion/attention/090623.html

この観測法はかなり信頼が置けると私は思います。と言うのは、去年の岩手南部地震の一ヶ月前にもこのサイトのイオン値が上昇していたからです。その時、私は関東地方に地震が来ると予想をし、実際は東北に来たのでそれ以来このサイトはあまり気にせずにいました。

しかし今回はこのサイトの理事長の説として「場所=大正関東地震震源域付近、規模=M7を超え、場合によってはM8クラスも、時期=規模が大きくなれば遅くなり、M8クラスであれば9月まで持ち越される可能性も」と発表しています。それと同時に、まだイオン数値が上がっていることから、早くとも8月に入ってから起きることになるだろうと予想しています。と言うのも、数値の上昇が止まってから約一ヵ月後にいままで地震が来ているからだそうです。(http://www.e-pisco.jp/r_ion/attention/090709.html

さてなぜ私は都議選の自民党敗北と衆議院解散総選挙の話題の後に、この地震情報を持ってきたのでしょうか。それは全てがつながっているからです。どのようにでしょうか。まず過去の事実からお話します。

山崎拓という自民党の大物議員をご存知でしょう。彼は愛人スキャンダルが原因で2003年11月9日に行われた第43回衆議院選挙に落選しています。そして2005年4月24日の衆議院補欠選挙にて返り咲き当選を果たしました。愛人スキャンダルで前回落選した彼に、対立候補は当然同じような選挙活動を展開しましたが山崎氏にとっては追い風の、ある理由により当選したと、選挙後の解説では言われていました。

そのある理由とは、同年3月20日に発生した福岡西方沖地震です。この地震により山崎氏の選挙区の福岡2区はかなりの被害を受け、自民党に票が集まったのだそうです。この選挙後の解説では、自民党は地震に強い政党であると言っていました。

表のメディアには出ないネット上の情報では、既に地震兵器というのが開発されていると言います。ハープ(HAARP)と呼ばれるアラスカにある米軍の電磁兵器は、去年の中国内陸部による地震や、ミャンマーに襲った台風なども起こしたと言います。もしこれらのことが本当なら、アメリカの支配者(新世界秩序エリート)らとつながる日本の政府も、何かの見返りを提供して選挙対策のために地震を起こすと言うこともありえそうです。

考えすぎなら良いのですが、イオン観測法による地震の警告がされていることは事実です。そして日本という国がかつてアメリカに騙されて真珠湾攻撃に向かわされたことも、日本自身が盧溝橋での陰謀をたくらみ、日中戦争を始めたのも事実です。世界には陰謀がはびこっています。

イエス・キリストは世の終わりの情景についてマタイ24章の中で、不法が多くなるので多くの人々の愛が冷えると言いました。更に世界中で戦争が起こり、戦争の噂があるとも警告しています。

戦争は既に世界中で起こっており、戦争の噂としては北朝鮮やイスラエルとイランの問題などが思い浮かびます。そしてキリストは終末のしるしとして地震も上げています。

私たちは既に世の終わりの時期にいます。

世の中が混乱し、不安な要因が益々増えるのがこの終末の時期です。この時代にあなたは何を頼りに生きますか。

あなたがキリスト者なら、聖霊なる神との交わりを密に持つときです。いつでもあなたのうちに住む神に、全てを明け渡しましょう。あなたと神との交わりがあなたの力となります。

あなたがまだこの方を知らないのであれば、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの中に入ることを強くお勧めします。

今日もこのブログを訪れてくださって有り難うございます。

皆さんの上にわたしの愛する神、主イエス・キリストの大いなる栄光と恵みが降り注ぎますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 15:20| 千葉 晴れ| Comment(1) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キリスト者の葬式

お早うございます。
モトイです。

今日、皆さんの上に神の祝福が降り注ぎますように。

 私は父と兄を亡くしていますが、火葬場での別れの時にはどちらの時にもも隣にクリスチャンの団体が親族との別れの儀式をしていました。聖書の世界には偶然はありません。このことは私にとって、神からの語りかけであり、大きな励ましと慰めでした。

先に亡くなったのは父のほうです。その時私は高校三年でした。その時は聖書も読んだことも無く、当然教会にも行ったことがありませんでした。

火葬場で父との別れの時をもつ私の心はすさんだものでした。死んでしまった父に怨み言を言い、父よりも嫌いな母と居なければならなくなったことの運命を呪っていました。

そんなときに隣の団体から奇妙な歌が聞こえてきました。どんな歌だったかいまは覚えていません。しかし死んでいくものとの分かれの悲しみを歌った歌ではなく、静かではあっても何だか楽しそうな感じがする歌でした。

本当に楽しそうだったのかどうかは分かりませんが、私の記憶では楽しそうでそれゆえに一層奇妙に感じました。その奇妙さは、私のすさんだ心と対比して、まるで別の国の人々のような感じさえ受けたのを覚えています。

いま私は彼らが死者との別れを惜しみながらも、本当に喜んでいたのが理解できます。聖書には「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」という言葉があります(ピリピ1章21節)。キリスト者にとっては生きることはキリストとのこの世での交わりを意味し、死ぬことは天の御国でキリストに実際に会えることを意味します。

こんな聖書の教えも理解しない私でも、父を送る私たちと隣のクリスチャンの団体が、全く違った雰囲気であったことを感じました。私は当時、クリスチャンを外国の宗教にかぶれた人々として嫌っていました。しかしどこか楽しげであった彼らの雰囲気を、不思議に思いつつも羨ましく思ったものです。

いま私は彼らが永遠の世界を思って歌を歌っていたことが分かります。私の心に伝わったのはおそらく、彼らのそんな永遠の世界に対する憧れのようなものだったのかも知れません。

そしてそれから約十年後に兄が亡くなりました。その時私は親族の中でひとりだけクリスチャンになっていました。当然葬式は仏式でしたが、火葬場では不思議なことに隣はまたもやクリスチャンの団体でした。

この神の摂理に私は感謝しました。キリスト者にとっては火葬場で賛美歌を歌うことさえ礼拝です。隣から響く歌声に私も祈り心を合わせ、親戚一同の心にかつて私が感じたような何かを、神が与えてくれるようにと祈りました。

人の心を変えることができるのは神のみです。私がクリスチャンになってアメリカから帰国した当初、親戚のある人たちは私に冷たく当たりました。ある従兄弟など私に怒鳴って「日本にキリスト教は合わないんだよ」と言いました。しかしそれはかつての私の姿です。そんな心を神は変えることができることを、私は身を持って知っています。そんな神に対して親戚一同の救いのために祈れることは、キリスト者として祭司の特権を大胆に行使することを意味します。

キリスト者にとって生きることはキリストとの交わりです。そして死ぬことはそのキリストと実際にお会いすることを意味します。天の御国とキリストに憧れながら生きることは、キリスト者にとって生きるための大きな力になります。

世の中の人々にとってはこの世での良いことが生きる力でしょうが、キリスト者にとってはキリストと天の御国への憧れが力になります。

あなたもこの天国の力によって地上に生きるようにと、神は望んでおられます。

あなたがキリスト者なら、今日も神との交わりを求め、天からの力によって地上で歩みましょう。

あなたがまだこの方を知らないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内に天からの力を受けることを強くお勧めします。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html








posted by モトイ at 05:00| 千葉 霧| Comment(2) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

休題閑話27「モーシェ君、丸くなる」

お早うございます。
モトイです。皆さんご機嫌いかがでしょうか。





いきなりですが、さすがは聖書猫!モーシェ君は丸いです!

私もこれほどに丸くなるべきと、常々考えております。




きゅるりん .jpg 角が取れてます!お見事!




つーか、角が無いです!


きゅるりん きゅるきゅる .jpg (角なんかナッシングぅ〜ってかぁんずぃ〜)




どこから見ても丸いです!




きゅるりん きゅるきゅるきゅる .jpg 人じゃないけど人格者!よっ!聖書猫!



あまりにもきゃわゆいので、食べてしまいたいほどです。


ヤコブ書3章18節の実践らしいです。
「義の実を結ばせる種は、平和をつくる猫(人)によって平和のうちに蒔かれます。」

なぁ〜るほど〜。平和をつくる猫なんだぁ〜。感心感心。





例によって最後はやらせ写真ですが・・・


暴れちゃだめ!.jpg 今回は失敗。嫌がられました。



十字架までセッティングしたのにぃー。







posted by モトイ at 05:00| 千葉 曇り| Comment(4) | 休題閑話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

聖書の寸鉄31「人は悪い考えをも楽しむ?」

 人は一度にひとつのことしか考えられないようです。もしあなたがそれを疑うのなら、試しに初恋のあの人のことを思い浮かべながら、昨日の晩何を食べたかを思い出してみてください。きっと相当な集中力を要するでしょう。

人は何気なく過ごしている時も何かを心の中に思い巡らしています。そしてその何かは大抵いつもひとつの物事です。そして人はそのひとつの物事によって心を支配されています。

心の中で楽しいことを思い浮かべていれば楽しい気分になり、反対に悲しいこと、つまらないこと、不愉快なことを思い浮かべている時はそのような気分になります。

イエス・キリストは人々が心の中で悪いことを考えていることを見抜き「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか」と指摘したことがあります(マタイ9章4節)。

この時彼は郷里で教えていました。しかし人々はイエスの権威を認めずに口には出さずに心で、イエスに反発していたのでした。

そしてイエスが言われたのが先ほどの言葉です。この時イエスが言った「考える」と言う言葉は、ギリシャ語の単語で熟考するとか思い巡らすという意味の言葉です。

ある英語訳の聖書ではこの箇所を "Why do you entertain evil thoughts in your harts?"と訳しています。この表現で言えば"evil thoughts(悪い考え)"を"entertain(楽しんでいる)"となります。

人は心の中にある考えを楽しみます。それが良い考えであろうが、悪い考えであろうが、人は考えたいことを思い巡らし熟考します。そして人はその考えていることに影響を受けます。

しかし神から離れた人間は心に悪いことばかり思い浮かべてしまいます(創世記6章5節)。良いことを思い浮かべ、ポジティブに生きようとするのも少しは効果があるかもしれません。しかし根本的なところに私たちは問題を持っているのです。

心の中に良いこと、ポジティブなこと、素晴しいことを思い浮かべるためには、神との和解が必要です。神は愛です。この方をあなたの心に受け入れた時、あなたの心はこの方とつながり愛を受けることができます。この方との交わりのみがあなたを本当に変えることができます。

あなたがキリスト者なら、この方との交わりを絶やすことなく、常に神を心の中心に迎え入れて生きましょう。この交わりがあなたに、愛と力と導きを与えます。

あなたがまだこの方との和解を済ませていないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの中に入ることを強くお勧めします。あなたを変えるのはこの方のみです。あなたの心をこの方に明け渡してください。

今日もこのブログを読んで下さり有り難うございます。

皆さんの上にわたしの愛する神、主イエス・キリストの栄光が現れますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 13:22| 千葉 晴れ| Comment(2) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

現状維持を変える法:無意識は今が好き

お早うございます。
モトイです。

今日、皆さんの上に神の祝福と恵みが降り注ぎますように。

 ビジネスセミナー講師のクリス岡崎氏によると、私たちの中にある無意識は、今の状態が大好きだそうです。これはどの人にも言えることで、たとえ今の自分が嫌で嫌で仕方のないような人にも言えるそうです。

私たちは無意識の内に私たちの今の状態を維持し、それ以外の私たちになることを無意識の内に拒んでいるそうです。言うなれば今の私たちは、過去の私たちの無意識が維持しようとした私たちです。そして明日の私たちは、今日の私たちが手放したくない私たちです。

悩みの多い人には悩みが更に降りかかります。それはその人が悩むことを無意識に望んでいるからです。私はそのことを身をもって知っています。

色々な理由があったのでしょうが、私は小学生のころからよくため息をついていました。それが癖でした。そしてよく「何か面白いことないかな」と言ってため息をつきました。あるとき母親が「あんたそれおかしいよ」と私に怒りました。私は何を言われたのか分からなかったので黙っていると、「小学生がそんなにため息をついておかしいんじゃないの」と言ってなじりました。

こんな癖が私にできてしまった理由はさておき、私はいつもため息をつく癖がありました。そしてため息をつかないと落ち着きませんでした。

そんな私は悩み多き青年に成長していましたが、あるとき良い本にめぐり会いました。自己啓発書の草分けとも言える、デール・カーネギーの本です。

彼の「道は開ける」という本には、人は一度にひとつのことしか考えられず、悩みがあって考えている時は、その悩みの周辺を堂々巡りのようにぐるぐると巡りながら抜け出せないでいる、というようなことが書いてありました。そして自分が何を悩んでいるのかを理解するために、考えていることを紙に書き出すことを勧めていました。

この本の内容に目が覚める思いのした私は、自分の悩みをさっそく書き出してみました。

当時の私はアメリカ留学中で、短大の卒業が間近であったのに私を転入生として受け入れてくれる四年制大学がまだ見つかっていませんでした。しかもどこへ行って何をしたいのかといった、私自身の希望もまだ定まっていませんでした。

自分が何を悩んでいたのか知った私は正直に言って驚きました。つまり、私は何を悩んでいるのか知らずに、悩むために悩んでいたのです。

書き出したところで悩みの種は解決しませんでしたが、悩みはぐっと減りました。そして何をしなければならないのかを意識しだしました。そうすると今度は、しなければならないことを考え、スケジュールを立てて行動する事ができました。行動すると悩みは減るものです。減らなかったとしてもしなければならないことに意識が向くので、今までのように同じ悩みをぐるぐる思い描くことはなくなりました。

それと同時に奇妙なことを発見しました。そのことは、悩みの種が行動することによって悩みでは無くなった時に分かりました。それは、私にとっては悩みが消えていくのが異常な体験に感じられたことです。私はあまりにも長い間悩むことに慣れていたので、悩んでいないという状態がしばらくの間不安でした。

私は不安の根源を探そうと、例によって悩みを紙に書きましたが、どれも解決しつつある問題でした。悩む理由は何もありませんでした。私にはそれが不思議でした。そして悩みが無いこと事態が私を不安にしていたと気付きました。

この状態はしばらくすると消えました。いまから考えると、私の無意識は悩むことをいつも欲していたようです。

このことよりも更に驚くべきことが私に起こりました。それはこのこととは全く逆のことでした。

私はアメリカで洗礼を受け、クリスチャンになりました。まだ四年制大学に転入したばかりでした。引っ越したばかりで土地勘も無く、無事に卒業できるかも分からず、卒業後の進路も決まっていませんでした。

そんなある時学校からの帰り道、ウキウキわくわくしながら車を運転していました。居ても立っても居られない位楽しく、早く家に帰りたかったです。そして家に帰ると何が楽しいのだか忘れていました。このような日々が何日も続き、あるとき自分がなぜウキウキわくわくしていたのかじっくり考えてみました。理由は有りませんでした。多少がっかりしましたが、別に損をした訳ではないので気にせずにいました。

あるときこんな私の体験を笑い話として教会の人たちに話しました。するとある人が、このウキウキわくわくは聖霊なる神の喜びであると教えてくれました。今なら私も理解できますが、神はこのように人の心に喜びを植えつけることがあります。それは小さなことですが、超自然的な奇跡ともいえます。

今の私は理解できますが、当時の私は何も理由の無いのにウキウキわくわくするのはおかしいと思っていました。以前の私はほとんどいつも不安で悩みを抱えていました。そのことが私にとって癖のようなものでした。しかし今の私は理由が無いのに喜んでいられます。そのように私を変えたのは、聖霊なる神との交わりです。

もちろん色々なことで今も悩むことはあります。しかし以前のように悩みを常習化していません。そして何よりも、理由が無いのに喜ぶことを知っています。このように私を変えたのは、自己啓発書の教えではなく、私の中に住んで下さる聖霊なる神様です。

あなたは自分を変えたいと思いますか。あなたの努力でそれはある程度可能でしょう。たとえば私が自分の悩みの癖に気付き、紙に書き行動することによってそれから解放されたように、自己啓発書の教えを実行すればある程度人は変われるでしょう。

しかしあなたを完全に変えるのは、あなたの努力ではなく、人の内に住まわれる神の力によります。

あなたはこの神との関係を既に持っていますか。

あなたがキリスト者なら、あなたに内住する神との関係を密にし、あなたのキリスト者としての特権を大胆に行使してください。この交わりのみがあなたの内側を変え、外の世界にも変化をもたらします。

あなたがまだこの方を知らないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内に入ることを強くお勧めします。聖霊なる神の内住を受けた者のみが受けることのできる喜びをあなたも受け取ってください。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







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2009年07月09日

凶悪殺人事件の背景:腐敗した産業構造

 最近、無差別に「誰でもいいから殺したかった」と言うような殺人が増えて来ています。つい最近はパチンコ店にガソリンを撒き散らし放火した事件があり、一年前は秋葉原で無差別殺人事件がありました。飯山一郎氏によるとこの傾向は10年前から激増しているそうです。飯山氏は北朝鮮の情報通で、有機肥料や自然農法などの研究家です。彼によるとこの激増振りを表すグラフは、ちょうど向精神薬の処方の量が激増したグラフと一致するそうです。(「飯山一郎のホームページ」:http://www.geocities.jp/o1180/ 薬に関する記事のインデックスはhttp://www.geocities.jp/o1180/16idx.htm#MEDMN 向精神薬と通り魔事件の関連についてはhttp://www.geocities.jp/o1180/more4.html#TG0612

飯山氏によるとこれらの無差別事件の裏には必ず薬があるとのことです。しかし薬物の背景を警察やマスコミが言わないのはある事情があるそうです。

まず警察についてです。警察にとって薬物の反応が出ると、責任能力を問えなくなると理由があるのだそうです。それとともに、尿検査では検出できない薬物もあるようです。更にもうひとつ警察がマスコミとともに薬物の影響を言わない理由もあります。それについては後ほど、マスコミについての中で触れることにします。

一年前の秋葉原での事件では、犯人に薬物反応は出なかったと警察の発表がありました。この事件について飯山氏が三人の医者に尋ねたそうです。それによると犯人のネットでの異常なまでの書き込み振りは躁病の症状だということでした。そしてこの症状は、向精神薬リタリンの副作用である可能性が高いそうです。

しかしリタリンは服用後一時間程度でエステル体などの通常の化学物質に変化し、しかも脳細胞に集中するので尿検査では検出されないそうです。そしてこのリタリンをウサギに投与すると、激しい攻撃的行動が現れるそうです。(http://www.geocities.jp/o1180/more4.html#TG0612

リタリンに限らず向精神薬は副作用が強いようです。しかし現在では、心療内科や精神科に行けばすぐに大量の薬を処方されるそうです。そして医者も薬を処方すれば利益が大きく、当然製薬会社も大もうけをすることになります。

ここでもし向精神薬による副作用が原因で事件事故が起こったことが証明されたとします。そのときにその被害者が補償の請求先とするのは、全国の病院と製薬会社、それと厚生労働省でしょう。そして彼ら、医師会と製薬会社は政治家に大量に献金をしています。

マスコミは自分のスポンサーが不利益を被るようなことは報道しません。そして警察も同じように、厚生族と呼ばれる政治家の不利益になるようなことはしません。政治家が彼らに圧力をかけるのは、既に病院や製薬会社が巨大な利権集団となっているからです。訴訟問題にでもなれば、産業構造にも影響が出るでしょう。政治家やお役人は厄介なことも避けたがります。

心の病を患った人々を食い物にし、健康保険制度によって全国民からも搾り取っているのが、薬を取り巻く産業と政治家です。

腐敗した産業構造に支えられた腐敗した政治家たち。その影響を受けたマスコミや警察権力。私たちの知らない間に世の中の悪はつもりに積もって悪臭を放っていました。

あまりに使いまわされて陳腐になった表現ですが、まさしく世も末です。

イエス・キリストが終末の世を預言した言葉に「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなる」というのがあります(マタイ24章12節)。現代はまさしく、不法がはびこる終末の世です。

しかしキリストは同時に、「しかし最後まで耐え忍ぶものは救われる」とも言っています。愛が冷える時代にあっても、私たちの愛を冷やす訳には行きません。この愛は神につながることによってのみ、冷えることなくいのちを保つことができます。なぜなら、神は愛だからです(第一ヨハネ4章16節)。

あなたがもしこの世の中を見続けるのなら、世の中の混乱はあなたの心も混乱させ、あなたの愛は冷えてしまうでしょう。しかし神にしがみつくものは神から愛を受け、力を受け、いのちを受けるのです。

この神はイエス・キリストです。そしてイエス・キリストは、真理であり道でありいのちです(ヨハネ14章6節)。

混乱するこの時代、あなたは何を頼りに生きますか。

あなたがキリスト者なら、聖霊なる神にしがみつき、愛と力と導きを受け取り続けましょう。神との交わりのみがあなたに力を与え、あなたを生かします。

あなたがまだ神と和解していないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内を歩むことを強くお勧めします。

今日もこのブログを読んでくださって有り難うございます。

皆さんの上にわたしの愛する神、主イエス・キリストの愛と恵みが降り注ぎますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 15:10| 千葉 晴れ| Comment(2) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

聖書の寸鉄30「知識がないので滅びる?」

お早うございます。
モトイです。

今日、皆さんの上に神の祝福と恵みが降り注ぎますように。

 もう十年以上も昔になりますが、こんな海難事故がありました。九州か四国の沿岸漁業の漁師さん一人を乗せた小さな釣り舟が、ガス欠のために動けなくなり、10日間ほど流され、確か茨城県沖で救助されました。

この釣り舟は沿岸漁業用のため無線機を装備していませんでした。幸い漁師さんは携帯電話を持っていたので、ガス欠であることは漁協に知らせることができました。しかし携帯のバッテリーも上がってしまったので、それ以後の連絡は途絶えていました。

日帰りの仕事のため当然食料は積んでいませんでした。およそ三畳間ほども無い狭い舟です。しかしかろうじてガスコンロとやかんと、30リットル用のポリ容器に入った数リットルの真水はありました。

数日は水を飲むことで凌ぐことができましたが、水はすぐに無くなりました。それ以後救助される前日になるまで飲まず喰わずで海を漂っていました。

しかし前日に海水をやかんに酌み、ガスコンロで沸かして、その蒸気がやかんの蓋につくのを舐めて水分を得ることを思いついたそうです。けれども蓋についた湯気など舐めていてもほとんど水分が取れなかったようです。彼は早く水をがぶがぶ飲みたいものだと思っていたと、後のインタビューで答えていました。

そのニュースを見ながら私は、この漁師さんには蒸留の原理の知識が無いことが分かりました。もし彼が救助されるのが後数日遅かったら、間違いなく脱水症状で死んでいたでしょう。

彼に少しでも科学の知識があれば、海水を沸かして出てきた蒸気をポリ容器の中にいれ、大量の蒸気を冷やして結露を得て、飲み水を得ることができたでしょう。

幸い救助された後も健康はすぐに回復し、また漁業に従事することができたそうですが、知識が無いために危うく死ぬような目にあってしまいました。

聖書で神は「わたしの民は知識がないので滅ぼされる」と言っています(ホセア書4章6節)。この漁師さんは科学の知識が無いために滅びの手前まで行きました。しかし私たち人間は、大なり小なりこの漁師さんと同じようなことをしていると、聖書は警告しているのです。

先ほどのホセア書4章6節の全文は以下の通りです:

わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神の教えを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。


聖書の中で知識とは、神を知る知識のことを指します(箴言1章7節etc...)。ホセア書で神は、神を退けてしまった民が滅びに引きずり込まれることを述べています。

つまり聖書は、神を知ることは空気や水などと同じように、生命維持の根幹に関わることだと述べているのです。

多くの人々がこの知識を退けてしまったために、あの漁師さんのようにただ脱水症状のままに時代の流れに身を任せて漂っています。行き着く先も分からず、これから自分がどうなるのか不安です。しかしどうすることもできずにただ流されて行きます。

人がこのような状況から脱するためには、神との祈りの呼吸をし、神が与える生ける水を心のうちに泉のように湧き上がらせる必要があります(ヨハネ7章38節)。この祈りの呼吸はあなたに愛と力をみなぎらせ、聖霊なる神の導きを確実なものとします。

あなたはこの神を既に知っていますか。

あなたがキリスト者なら、この知識を大胆に用い、聖霊との交わりを常に維持しましょう。あなたが神を離さない限り、神はどんな時にでもあなたを放しません。ただひたすらこの神との交わりを求めてください。

あなたがまだこの方を知らないのであれば、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神を知る交わりの中に入ることを強くお勧めします。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 05:00| 千葉 雨| Comment(0) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

終末論は現実だ!:国際時事情報誌「エノク」より

 創世記第一章第一節は「初めに、神が天地を創造した」と始まります。知る人ぞ知る聖書の第一声です。この「初めに」と言う言葉は、行き着く先を見据えた出発を意味します。つまり聖書は、ゴールを前提として「初めに」で始まるのです。

よく誤解されるように終末思想とは人類の破滅を意味するのではありません。それはゴールにたどり着くまでの道のりです。ではそのゴールとは何でしょうか。

聖書の66巻は創世記で始まり黙示録で終わります。創世記の出だしでは神による天地の創造が述べられますが、第三章ではさっそく被造物である人間が神に罪を犯して反逆してしまいます。それ以降の聖書の記述は、言うなれば人類の反逆の記録です。

その反逆の記録の中で神の救い、すなわち人類救済のために救世主が訪れることが預言されます。その預言が成就したとき、人々は聖書の預言の通り行動します(イザヤ書53章)。すなわちその救い主の命を絶ってしまうのです。

そしてその救いの神であるイエス・キリストが復活し、天に昇り、もう一度地上に秩序を取り戻すために訪れる。それが聖書のゴールです。

聖書の流れで言えばいま人類は、積みあがった罪のゆえにうめき声を上げている状態にあります。そしてキリストはこの罪を罰し、人々にそれぞれの報いを与え、かつてあったエデンの園の社会を実現するために再臨されます。これを終末思想といいます。

日本人にとっては残念ながら、聖書の終末思想が何かおどろおどろしいもののように誤解をされているようです。もちろん黙示録には罪に対する報いが、おどろおどろしい形で表現されています。しかし神を信じるものにとっての終末とは、神の完全なる統治が実現するゴールを意味します。

宇野正美氏が国際時事情報誌「エノク」の中でこのことについて、「終末思想という『現実』」と題して論じているので、以下に引用いたします(7月号p.50-52):

(引用始め)
 日本人には想像もできないようなことであろうが、このことは欧米人たちにとってはある意味で当然のこととして映っているのである。
彼らには「終末思想」がある。日本語で表現すると、もうすべてが終わりだというイメージがあるがそうではない。あのノアの大洪水の時代のことを思い浮かべていただきたい。ひとつの罪深い時代が終わり、人間の知恵の限界の時代が終わり、そして「大掃除」が行われたかのごとく新しい時代が始まるというのである。
新約聖書・ヨハネ黙示録にはその大困難の時代の中で、飢饉が広がり、わずか5合の小麦が2万円で売られることも予測されている。加えて同じ頃に全人口の4分の1が「剣とききんと死に至る病と地上の獣」によって死に絶えていくことが予測されている。
今日、世界人口の4分の1となれば17億人ぐらいに達するであろう。
実際的火を噴く戦争とともに、その病などによって多くの数えがたい人々が死んでいくことが予測されているのである。
新約聖書・ヨハネ黙示録といえば欧米世界においては幼いときから聞いている内容である。ちょうど坂道をブレーキの切れた車が落ちて行くならば、悲劇的な結果が起きる。人類は創造主なる神から離れたがゆえに、ちょうど坂道を下って行くような状況が起きることが述べられているのである。
それも2000年前に書かれたとはいえ、現在の時代に通じる内容なのである。
彼らはこれを終末思想と呼んでいる。すべてが終わりだという意味ではなく、人類の傲慢とその知恵が限界に達し、すべてが崩壊し、新たなる時代が登場することを予測しているのである。
ローマ帝国はいまから約2000年前、世界そのものであった。しかし、ローマ帝国そのものも崩壊して行ったのである。人類の文化、文明、知恵……すべては必ず崩壊し、新たなる時代を迎える。
グローバルな世界といわれている今日、世界はある意味でひとつになるようにして全体崩壊に向かっているのである。
世界的大恐慌、そして新型インフルエンザ、そして第三次世界大戦への流れである。
これからの恐るべき大変化の時代、日本人的な発想にこだわり続けるのではなく、また希望的観測を持つだけではなく、新約聖書・ヨハネ黙示録的な「終末論的発想」をも理解していただきたいと思う。
そのことが実は世界に通じる思想そのものなのである。
(引用終わり)


 世の中は終わりに近づいて混沌としてきます。しかしその先の神の統治も近づいて来ているのです。この終末的世界観によって世の中を眺める時、私たちは破滅ではなくその先の神の統治を見つめることができます。そうすることによって私たちは、この混乱の中にも希望を見出す事ができるのです。

あなたはこの混乱の時代に何を頼りに生きますか。

あなたが頼るべき方はただおひとり、全世界を創造された神のみです。あなたは既にこの方との正しい関係が有りますか。

あなたがキリスト者なら、いよいよ益々この方との交わりを密にしましょう。この交わりのみがあなたに愛と力と導きを与えます。

あなたが未だこの方との関係が無いのであれば、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内に入ることを強くお勧めします。

今日もこのブログを訪れてくださり感謝します。

皆さんの上にわたしの愛する神、主イエス・キリストの恵みと哀れみが存分に降り注ぎますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 13:00| 千葉 晴れ| Comment(2) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

薬漬けのアメリカ:「ラスト・トランペット・ニュースレター」より

お早うございます。
モトイです。

今日皆さんの上に、神の祝福が降り注ぎますように。

 元悪魔崇拝の祭司であった、デイビット・メイヤー牧師による「ラスト・トランペット・ニュースレター」の最新号(7月号)に面白い記事がありましたので、早速ご紹介します。(「ラスト・トランペット・ニュースレター」誌のサイト 英文 http://www.lasttrumpetministries.org/

このニュースレターはいつも情報満載なので、英語が分かる方にはご一読をお勧めします。

今回の記事の中でも、先月号に引き続き新型インフルエンザについて色々と書かれています。メイヤー牧師は常々ワクチンの危険性について警告しています。今月号ではアメリカ連邦政府が予防接種を義務化するように推し進めていると伝えています。

ニュージーランドのリサーチャー、チャールズ・ドレース氏の話として、1976年に米国で騒がれた豚インフルエンザ騒動でのワクチン接種について書いてあります。

この時、誰も死者が出なかったにもかかわらず、連邦政府はワクチン接種を人々に勧めたそうです。その結果、ワクチンによる死亡者が25名出たそうです。それだけではなく、その予防接種をしたとたんに何百と言う人々が体に麻痺障害が発生したそうです(Guillian-Barre Syndrome)。

更に記事によれば、タミフルはインフルエンザに対抗するようにつくられてはおらず、ただ感染期間を12日から11日に縮めるようにつくられれいるだけだとのことです。

そしてここでタミフルの若者に対する異常な副作用について触れ、日本の政府が子供たちに対する投与を禁じたのも、この発作的自殺のような異常な副作用によることを伝えています。

記事はアイオワ州立大学の新しい研究を伝えています。それによると今同大学では、とうもろこしの遺伝子にインフルエンザのワクチンを組み込むことを研究しているそうです。この研究が成功すれば、豚に与えるとうもろこしが未然に豚のインフルエンザ罹患を防ぐそうです。しかしこの遺伝し組み入れワクチンは豚の肉の中に残り、それを食する人間にまで影響するだろうとメイヤー氏は警告しています。

今月号には更に、デトロイトのプレスが4月20日に伝えた話として、なぜ多くのアメリカ市民が恐ろしい病にかかっているのかを述べています。それによると、アメリカの産業は飲料水の水源に大量の薬物を垂れ流しているのだそうです。

その薬物とは、リチウムをはじめとした精神に影響のある物質や、避妊薬など、22にも及ぶ混合物が政府の目を通り抜けて混入されているそうで、年間の総量にすると、1400万dにも上るそうです。

メイヤー氏に限らず、この新型インフルエンザが人造であることはあちこちで言われています。しかしそれもインターネットでのことで、当然巨大資本や政治勢力に牛耳られているマスコミでは流れない情報です。

多くの人々は既にものが考えられないように洗脳されています。私たちの周りにはそのような多くの、無関心な人々がいます。しかし目を覚ました人々にとっては、既に多くの暴虐が地上に満ちていることが分かります。

目を開ければ終末の記しは既にあちこちにあります。

あなたはこの混乱の時代を、何を頼りに生き延びますか。

あなたがキリスト者なら、いまこそ聖霊なる神との交わりを密にする時です。今日もこの方との交わりを大切に生きてください。

あなたが未だ神との和解を済ませていないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内を歩むことを強くお勧めします。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html






posted by モトイ at 05:00| 千葉 晴れ| Comment(4) | 翻訳記事解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

もしハエに王様がいたら……。

 ハエに王様がいたらどんな感じだろうと考えてみました。

ハエは臭いもの汚いものにたかります。よく「ウジが湧く」などと言いますが、ウジはハエの幼虫で、ハエが汚いものにたかって卵を産みつけたゆえに「ウジが湧く」のです。

するとハエの王はウジも支配下においていると言うことになります。

ウジは人の傷口に湧くと厄介だそうです。戦争ドラマで南方で負傷した兵隊さんの傷口にウジが湧き、痛くて痒くて気が狂いそうだと言うシーンを見たことがあります。

するとハエの王は、捨てなければならないゴミのように汚いものや、人が受けた傷の痛みなどにたかるものたちの王様、と言うことになります。

何でハエに王様がいたらなどと考えたかと言うと、実は聖書にハエの王様が出てくるからです。

もちろんあの虫のハエではありません。しかしハエの王は聖書に出てきます。

マタイ12章には、悪霊に憑かれた男をイエス・キリストが癒された話が載っています。彼は目も見えず口も利けませんでしたが、イエスがその男を悪霊から解放した時、彼は癒されました。

人々はこの出来事に驚きました。そしてイエスを聖書に預言された救い主なのではないかと噂しだしました。ところがそれを聞いていた当時の宗教家たちは、イエスは悪霊どもの頭、ベルゼブルによって悪霊を追い出しているのだと言い始めました(マタイ12章22節から24節)。

このベルゼブルが、直訳すると「ハエの王」なのです。

「ハエの王」ベルゼブルは悪霊どもの頭です。すなわちサタンとか、悪魔とか呼ばれる存在です。聖書は悪魔や悪霊をハエのような存在と捉えているのです。

ハエは汚いもの臭いものにたかります。悪霊も人の心の醜いゴミのようなものを好みます。

私たちが人を悪意を持って見るとき、その腐臭をかぎつけたハエたちがやってきて私たちの醜い心にたかります。

たとえば誕生日に、あなたが手作りの手袋を貰ったとしましょう。感謝を持って受け取る時あなたは、「ああ随分時間を割いて私のためにこの手袋を作ってくれたのだ」と思うことができます。ところが悪意を持ってその手袋を見れば、「何だ随分と安上がりなものをくれたものだ」ということさえできてしまうでしょう。そこにハエがたかります。

このハエも実際のハエのように、人の心の傷口をよく好んで卵を産み、ウジを湧かせます。人は心の中にある痛い痛い過去の出来事を悪意と悔恨の情によって見つめてしまう時があります。そのときにこの傷口にウジが湧き、その人を傷の痛痒さで発狂せんばかりにします。

私たちは過去において恥をかいたとか、怒りを覚えたとか、悲しかったとかの思い出を決して忘れずにいます。それどころか、心の中で繰り返し繰り返しそのシーンを演じてしまったりしてしまいます。人を恨み、自分のことも許せず、「ああ私は何と不幸なのだ」などといって嘆いたりします。その傷口にウジが湧くのです。ウジは傷がいえるのを邪魔するのです。

ハエの攻撃は私たちの心を、更なる汚いものや傷の痛みで満たします。そして私たちが心の中の汚物や傷を愛せば愛すほどハエはたかり、汚物も傷も増えます。

このハエの攻撃から私たちの身を守る方法はただひとつ。私たちの心の主権を救い主イエスに明け渡すことです。

心の中の汚いものを自分で追い出そうとしても無駄でしょう。人の良いところを見ようと努力したり、肯定的積極的な考えをしようとするのも良いですが、はたして続くでしょうか。しばらくは上手く行ったとしてもいつの間にかいつもの自分に戻っているでしょう。。私たちはそれほど罪深いものなのです。

私たちが清くなる方法はただひとつ。イエス・キリストにつながり、そして、つながり続けることです。

ハエの王は私たちの心の醜さを狙っています。ハエたちを追っ払うために自分で戦うのは無意味です。ハエはすぐ寄ってきます。

イエス・キリストに心を明け渡してください。そしてこの方に心を集中してください。あなたの心はキリストとの交わりで満たされ、ハエたちはいつの間にか攻撃できなくなります。

あなたがキリスト者なら、心の中心にイエス・キリストがいつもいるように、この方にいつも心を明け渡しましょう。

あなたが未だ神との和解を済ませていないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの中に入ることを強くお勧めします。この交わりのみがあなたを勝利者にします。

今日もこのブログを読んでくださり有り難うございます。

皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの愛と恵みが降り注ぎますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 16:42| 千葉 晴れ| Comment(0) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ラブレターは手書きでしょ!:人格のコミュニケーション

お早うございます。
モトイです。

今日皆さんの上に、神の祝福と恵みが降り注ぎますように。

 私の知り合いの女性に、ワープロで打ったラブレターを貰って憤慨した人がいました。そういった心を伝える手紙は手書きであるべきで、これでは人格が伝わらない、というのが怒った理由でした。もちろん結果は敢え無く敗退。同じ内容でも手書きならまた話は別だったかも知れないとのことでした。

コミュニケーションの伝わり方を実験したテレビ番組が昔ありました。NHKの「ウルトラアイ」という科学番組でのことです。

小学生20名くらいのグループを2つ作り、ひとつのグループには頭からすっぽりと全身を覆う布をかぶってもらい、目のところだけ見えるように穴を開けます。このグループのコミュニケーションの手段は喋ることだけです。身振り手振りをしようにも布が邪魔してできないようになっています。その代わり言葉は自由に喋っていいことになっています。

もう一方のグループは、口に×印をつけてもらい、喋ってはいけないことになっています。しかし身振り手振りも表情も自由に表現できます。

この二つのグループがそれぞれ椅子で円陣を作り、よーいどんで20分ほどの時間、友達作りをするのが実験の内容でした。

最初に活発に動き出したグループは布を被った子どもたちのグループです。彼らは自分も相手もお化けのような格好をしているのが楽しいらしく、きゃっきゃと奇声さえ挙げて活発に遊びだしました。しかししばらくするとはじめの興味も無くなったようで、次第に自分の椅子に座りだす子も出てきました。

後ほどその子供たちに話を聞くと、はじめは楽しかったけれども、相手も自分も同じような格好をしているし、だれがだれだか特定ができないので面白くなくなったといっていました。

ところがもうひとつのグループは、出だしこそ皆恐る恐る席を立ちましたが、最後まで活発に遊んでいました。じゃんけんをしたり、おしくら饅頭をしたり、その他の手で遊ぶいろいろなことで、喋れないという不自由さを楽しみながらコミュニケーションしていました。

後ほどのインタビューでは、喋れないことがかえって友達作りには面白いハンディキャップだった、というようなことを言っていました。

ここでわかったことは、私たちは実際の言葉だけではなく、顔の表情や身振り手振りなどの手段でもコミュニケーションをとっていると言うことでした。

先ほどのワープロで印刷されたラブレターを貰った女性も、言葉ではない部分のコミュニケーションが伝わらなかったために憤慨したのです。文字の勢いや形は、その人の人柄を伝えます。このいわば人格的なコミュニケーションが無かったために、上手く行くはずの恋の伝達もあえなく敗退したわけです。

神と人との関わりあいもこのようなものです。私たち人間は印刷された本によって神を知るのではありません。聖書は携帯電話のような通信機器であって、私たち人間は祈りや聖書などの通信手段によって神とつながり、人格的な交わりをするのです。

神を知ることは知識ではなく、人格的な交わりなのです。

聖書の神は喜怒哀楽があり人格を持つ方です。この方は愛の根源であり、この愛に触れることによって人は癒され力を受け、神を愛し人を愛する者と変えられるのです。

あなたはこの方との人格的な交わりがありますか。

あなたがキリスト者なら、この方と人格的な交わりを常に保ち、今日と言う日のいのちを受けて歩みましょう。日々あなたを新しくする神は、今日もあなたとの交わりを求めておられます。

あなたが未だこの方とつながりを持たないのであれば、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れあなたも聖霊なる神との交わりをはじめることを強くお勧めします。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 05:00| 千葉 曇り| Comment(0) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

聖書の神15「熱いか冷たいかを望む神」:神の不思議を思えば力が湧く

 最近は路傍伝道をしているクリスチャンをあまり見ませんが、私が神学生だった頃は毎週金曜日に、神学生の有志が集まって新宿のアルタ前の広場で伝道活動をしたものです。

ギターの演奏とともに賛美をする者、その傍らで大声でメッセージを語る者、伝道用の小冊子(トラクト)を道行く人に手渡す者などで、総勢10人ほどが活動をしていました。

ほとんどの人が無関心で、時たま酔っ払いがからんできます。しかしその反面、熱心に話を聞いてくれる人や、反対に敵対心むき出しに睨んで通り過ぎる人もいます。無関心な人々よりも、私たちに対して熱いか冷たいかどちらかの反応をした人のほうが、神は喜ぶようです。なぜなら聖書に、「わたし(キリスト)はむしろ、あなたがたが冷たいか、熱いかであってほしい。」とあるからです(黙示録3章15節)。

たとえばこんな人が実在しました。彼は意地悪にもトラクトを配る女の子に笑顔で近づき、手を出してニコニコしながらそれを受け取り、「有り難う」と御礼まで言いました。しかし突然その場でトラクトをびりびりに破いてしまい、紙吹雪のように空に投げ捨てて、意気揚々と肩で風を切ってその場を去って行きました。

こんな時キリスト者はどうするべきなのでしょうか。それよりも、こんなことをしたその男性はどうなってしまうのでしょうか。

私はその男性のその後を知っています。キリスト者に対して無慈悲で冷酷な態度で接した彼も、キリストの言葉で言う「冷たい」反応をした者です。「冷たい」反応は逆説的に言えば、それだけキリストを意識していると言うことです。

彼はあるきっかけで教会に行きます。何も知らず、何も信じるつもりもありませんでした。しかし教会の賛美歌が彼の心を打ちます。彼は理由も分からずただ泣きました。そんなことの心地よさもあり、しばらくの教会通いの後、ついにキリストを受け入れる決心をします。

更にそれに留まらず、彼はついに神学校まで行き、彼がかつてトラクトをびりびりに破いたその同じ場所で、嬉々としてトラクトを配りました。

今彼は何をしているかといえば、このブログを書いています。

神は不思議なことをなさると思います。私は自分がキリストを信じるようになったいきさつを考える時、つくづく神は不思議なことをされると思い、感動します。(私の救いに関しては以前に書きました。「なぜキリストを信じたか」 http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/112376454.html?1246864061

キリスト者は自分の救われた時の喜びを思い出すとき、元気が出るようです。ダビデも詩篇の中で以下のように祈っています:

(引用始め)
 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が私をささえますように。(詩篇51編10節から12節)
(引用終わり)


 ダビデ王は姦淫の罪で打ちひしがれている時にこの祈りをしました。神によって救われた時の喜びが彼に活力を与えることを知っていたからです。

私は信じています。おそらく私にトラクトを渡した女性は、私の救いのために祈ったことでしょう。そんな小さな祈りが、神の前ではきよく純粋な、力のある祈りなのです。そのことを思うといつも祈りの力の不思議さを思います。

あなたがキリスト者なら、あなたに不思議をなした方に信頼し、神の不思議を思い出して力を受けましょう。そのような神との交わりこそ祈りであり、この交わりがあなたに更なる奇跡を見せ、あなたに愛と力と導きを与えます。

あなたが未だ神との和解を済ませていないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れあなたも神との交わりの内を歩んで下さい。神はあなたに、「熱い」か「冷たい」かのどちらかになることを望んでおられます。

今日もこのブログを読んで下さって有り難うございます。

皆さんの上に、わたしの愛する神、主イエス・キリストの栄光と祝福が現れますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 16:47| 千葉 雨| Comment(6) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

考えさせない社会

お早うございます。
モトイです。

今日、皆さんに神の祝福が存分に降り注ぎますように。

 以前、このブログで小野田寛郎《おのだひろお》元少尉の話を引用したことがあります。彼は大東亜戦争終了後も30年間フィリピンのルバング島で、残地諜者としての戦いをしてきた人です。その彼は、現代日本の若者は命の危険がない分、命を粗末にしている、と語っています。(生きることがおろそかになった時代:小野田少尉の見た現代社会) http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114542838.html

 宇野正美氏が国際情報誌「エノク」の中で、同じ問題を別の視点から論じています。宇野氏はテレビなどのマスコミが、意図的に人々を考えさせないように仕向けていると言います。

以下実際の記事を引用します:(「エノク」7月号p.22-24)

(引用始め)
 確かにマスコミは便利である。しかし今日、マスコミはどのようなことに使われているのであろうか。多くの人々が観ているテレビの番組などは、中でも若者たちが好んで見る番組は何も考えない人間をつくっていくが如くのバラエティなどが多くなっている。
政治家たちにとって、あるいは世界をコントロールしようとする者たちにとって、最も願っていることは多くの人々が「ばか者になる」ことである。
自分から何も考えず、あたかも動物のように餌を与えられることで満足をする。
世の中の現実を見ないで仮想の中で生きていくことを願う……。
100年前に書かれたユダヤ議定書、プロトコールの中にある言葉を思い出していただきたい。
「彼らに芸能とスポーツとクイズを与え続けるならば、彼らはわれわれと政治闘争を行うことができなくなるであろう」とある。
新聞のテレビの欄に目を通すだけで、どれほど毎日意味の無い番組が流されているのかに気がつくのである。しかも夜中じゅうテレビ番組が行われている。無意味なテレビ電波の使われ方である。
しかし、誰も異議を唱えない。みんなが馬鹿になっていくことを願っているがごとくである。
そのような中で、政治的なこと経済的なことは次第に次代を担うはずの若者たちの頭の中から消えていくのである。人生への願望も刹那的になっていく。
ある事件の背後に何があるのか、そのようなことについても追求しようとしなくなる。
戦前の日本人はこのようではなかった。もっとこの日本という国を愛し、自分たちの人生観をしっかりと築こうとしていた。確かに今と比べて生活は苦しく、かつ貧しかったかもしれない。しかし、人生観においては何かを前向きに捉えようとしていたことは事実である。
(引用終わり)


 小野田氏は生死の緊張感と言うことから、現代社会の若者が生きる事の大切さをないがしろにしていると述べ、宇野氏はそのような若者の刹那的な生き方は、テレビやマスコミに誘導されてできたものであると述べています。

いずれにせよ、現代の若者にとって次の聖句が成就してしまう土壌は既に整っています:

 「人々が『平和だ、安全だ』と言っているそのようなとき、突如として滅びが彼らに襲いかかります」(第一テサロニケ5章3節)


この聖句は聖書を知らない人々に対して適用されますが、残念ながら聖書を知る人々も次のように言うことが預言されています:

まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」(第二ペテロ3章3節4節)


このブログを訪れてくださる方々はかなり意識の高い方々だと思います。世の中はいよいよ混乱の様相を呈しています。しかしそれでも私たちの周りには、残念ながら惑わされ続けている人々がいます。そしてそれらの人々は、これからも惑わされ続けることが予想されます。なぜならそれは聖書に預言されているからです。

しかし私たちは何かを見ています。それは私たちが努力して得たものではなく、神が与えてくれた恵みによります。

あなたはこの恵みをどのように考えますか。

あなたがキリスト者なら、この恵みを更に受け取り、祭司としての特権を大胆に行使して聖霊なる神と交わりましょう。この交わりがあなたを力づけ神の国へと導きます。

あなたが未だ神の和解を受け入れていないのなら、この恵みを無駄にせず、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内に入ることを強くお勧めします。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 05:00| 千葉 霧| Comment(2) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

休題閑話26「切支丹迫害にモーシェ泣く」

お早うございます。
モトイです。皆さんご機嫌いかがでしょうか。

下の写真は、東京両国にある江戸東京博物館の展示物です。

江戸時代の切支丹禁教の高札です。

切支丹禁教の高札.jpg 本物です。


アップで見ると、「太政官」という文字が二つ見えます。

その間に大きく「定」という文字があり、その左に「切支丹」という文字と「邪宗門」という文字があるのですが、分かりますでしょうか。

切支丹禁教の高札アップ.jpg 現物ですので少しぞっとしました。

私は本当によい時代に生まれたと思います。

250年以上もこのような高札が掲げられていたとは・・・。

パウロが聖書にしるしているように、恵みを無駄にしてはいけないですね。しみじみと思います。

そんな私の気持ちを察してか、モーシェ君も泣いています。

しくしく.jpg うえ〜ん!.jpg およよおよよ.jpg


モーシェ君を見るとほんとに心が和みます。


君はいい時代に生まれたよね.jpg ほんとに多くの恵みを受けてるとしみじみ思います。


心なしか、なんだかモーシェ君が訴えてきているようです。

なんかする事あるんじゃない?.jpg 与えられた恵みを無駄にしないようにせねば・・・。


よぉし!今日も祈るぞ〜ッ!

さっ、早く祈りなよ!.jpg モーシェ君もそう望んでいるみたい・・・。


でもその前に、こしょこしょこしょっと!


気持ち良いですがお祈りの時間ですよ.jpg きゃわゆいね〜・・・。







タグ:切支丹
posted by モトイ at 05:00| 千葉 | Comment(4) | 休題閑話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月03日

実感!忍び寄る終末:免許にICチップ

 以前、アメリカのクリスチャンテレビのジャック・ヴァン・インペの番組をダウンロードして見ていたら、ICチップについて話していました。去年の10月ごろの放送です。それによると、アメリカのある州の運転免許証に、2009年3月からICチップが埋め込まれるとのことでした。(Jack Van Impe Presents http://www.jvim.com/ )

この番組を見て私は、アメリカはやはり聖書的に言う、光と闇がくっきりと分かれる国なのだと思わされました(イザヤ60章1節2節)。

番組の中でこのICチップについてインペ博士は、いずれ来るはずの世界統一通貨体制の前触れであると述べていました。

しかし今日、私自身の運転免許証の更新に行って驚きました。もう既に知っている方もおられると思いますが、日本の運転免許証には既にICチップが埋め込まれており、4桁の暗証番号を2つも登録するようになっています。

なぜ暗証番号が必要なのか不思議でしたが、帰りがけにICチップの情報を確かめるための機械を操作してチップの情報を確かめました。カードを所定の位置に置き暗証番号を入力する様子はまるで銀行のATMを扱っているようでした。出てきた情報が画面に映りましたが、それは顔写真入りの、免許その物の映像でした。そこで以前ご紹介したニュースを思い出しました。(そのニュースは以前、ブログに書きました「国の銀行口座支配」http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/111749003.html?1246601490

そのニュースは、去年の12月3日にNHKのラジオで聞きました。それは自民党の一部のグループが国民年金の受給に便利なように、国民ひとり一人に国が銀行口座を割り当てるという法案作りに奔走しているという内容でした。そうすることによって、年金のもらい損ねや渡し間違いが無くなり、振り込めサギの被害も防げるとのことでした。

アメリカでは銀行が国有化されつつあります。日本もいずれそうなるでしょう。そうすれば、免許証を利用した国民総ID社会に、この銀行口座をくっつければ便利でしょう。顔写真のある免許証に、暗証番号は無意味です。今のところ使う場面がありません。しかしこれから必要になるのでしょう。だからICチップの顔写真情報に加えて、更に暗証番号まで登録させたのだと思います。

人々は喜んでこれから来る銀行システムに従うでしょう。私も便利だと思います。しかしこれは聖書の預言する、世界統一デジタル通過システムへの道だと思います。

そのシステムはもうすぐそこに準備されているようです。

目を開ければ終末のしるしは既にあちこちに現れています。

世の終わりのこの時、あなたは何を頼りに生きますか。

あなたがキリスト者なら、今こそ神との交わりを密にしましょう。この交わりがあなたを安全に運びます。

あなたがもし未だこの方とつながっていないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内に入ることを強くお勧めします。

今日もこのブログを訪れてくださって感謝します。

皆さんの上にわたしの愛する神、主イエス・キリストの愛と恵みが豊かに降り注ぎますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 15:45| 千葉 曇り| Comment(3) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

迫りくる時の情景:杉原千畝のサイン

お早うございます。
モトイです。

今日皆さんの上に、神の訪れがありますように。

 先日ある理由から、街中で歩きながら祈っていました。たくさんの人のために祈っていたのですが、そんな自分を客観的に見て、杉原千畝を描いたテレビドラマのワンシーンを思い出しました。

杉原千畝《すぎはらちうね》は第二次大戦初期、ソ連に併合される直前のリトアニアで、在リトアニア日本領事館領事代理として、6000人のユダヤ人を救った日本通過ビザを発給したことで知られています。

私が見たドラマは本木雅弘さんが主演でした。ヨーロッパの東と西から迫ってくるヒットラーとスターリンの迫害を恐れ、日本領事館にビザの発給を求めユダヤ人が集まってきます。杉原はどうすべきか悩みます。その理由は、日本政府は既にユダヤ人にビザを与えないようにと杉原に通達していたからです。同盟国ドイツのユダヤ人政策に気兼ねをしてのことでした。

しかし杉原は悩んだ末にビザを発給する決断をします。それ以後の50日間、彼がカウナス駅で乗ったベルリン行きの列車が出発するまで、ビザを発給し続けます。

駅でのシーンは感動的でした。杉原は必死になって人々の差し出す紙にサインをします。もはや正式な書式ではなく、ただ紙に自分の名前を書きなぐり続けます。紙一枚に人の命がいくつもぶら下がっています。そのサインを貰うほうも必死なら、書きなぐる杉原も必死です。

しかし時間が来てしまいました。ここで本木雅弘さんが演じる杉原千畝は涙ながらに人々に謝ります。もう行かなければならないからです。列車は無残にも時刻どうりに出発します。しかし駅に残された人々はビザを貰った人も貰えなかった人も等しく、遠ざかって行く列車の中の杉原に有難うと言って手を振って見送りました。

町を歩きながら祈りつつ、ドラマの駅でのシーンを思い出していました。

いま生きている人々の中で、どれだけの人々が時が迫っていることを自覚しているでしょうか。歩きながら祈り、私は自分も杉原千畝のように必死になって、人々の命を執り成したいと思いました。時は迫っていますが、未だやれることはあります。

時とは、神の訪れの時のことです。この時の前までに私たちはするべきことをしなければならないのです。キリスト者にとっては、祭司としての特権を行使し、役割を果たすことです。それ以外の人たちにとっては、神と和解し、祭司として人々のために祈るようになることです。

あなたは自分に残された時間を有効に使っていますか。

あなたがキリスト者なら、先ず神との交わりを密にしましょう。そのことがあなたを祭司として整え、するべきことをできるようにします。

あなたが未だ神と和解をしていないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神との交わりの内に入るように強くお勧めします。

時を有効に用いるのも無駄に用いてしまうのもあなたの決断しだいです。あなたは神との交わりを決断してください。この交わりがあなたを動かします。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 05:00| 千葉 雨| Comment(2) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月02日

聖書の寸鉄29「何をしても栄える人の秘訣」

 日本語の文法は主語をよく省略してしまったり、複数形を表現しなかったりします。そのため外国語を日本語に翻訳した時に、細かいところが表現しきれていないことがしばしば生じます。

旧約聖書の詩篇の第1篇にも、日本語の聖書には表現しきれていない、神から祝福を受け取る秘密があります。その部分を【 】で補って以下に引用します:

(引用始め)
 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
 その人は、【複数の水路の上に】植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(詩篇1篇1節から3節)
(引用終わり)


 どの日本語訳聖書を見てもこの部分は複数形で書いてありません。それは日本語では表現しないからですが、祝福を受け取る秘訣としては、この水路は一つではなく、複数でなければならないのです。

「水路のそばに植わった木」は、水の心配をする事が無く、常に緑豊かに葉を茂らす事ができます。聖書では川や水を聖霊なる神と解釈します。聖霊なる神は三位一体の神であり、そこから流れる水は唯一の流れであるはずです。しかし聖書は水路を複数形で表現しています。なぜでしょうか。

それは神があらゆる所に満ちているからです。

聖書の神を信じることは宗教ではありません。教会で礼拝をすることが神に出合う唯一の道ではありません。それは一つの水路でしかないです。聖書を一所懸命読むことも同じように一つの水路でしかありません。私たち人間は、宗教として神を礼拝するのではありません。神が神であるゆえに、生活のあらゆる場面に神を招き入れるのです。

もちろん教会の礼拝で神に触れられることも、聖書を読むことによって神に語られることもあるでしょう。それは素晴らしいことです。

しかし詩篇のこの箇所は私たち人間が、神の存在を認める多くの水路を持ち、しかもその水路の上に生活することを教えています。

生活のあらゆる場面で神の存在を認めることは、朝起きてから夜寝るまで、神との交わりが常にあるということです。水路の上に植わった木とは、常に水路の新しい水に洗われている木をイメージさせます。常に語りかける神との交わりの中に、自分自身の身を静かに浸すイメージです。

天にも地にも神は満ちています(エレミヤ書23章24節)。神の祝福を逃さない人とは、自分が生きるありとあらゆる瞬間、ありとあらゆる場所において、神との交わりのある人のことです。

あなたはこの交わりを既に持っていますか。

あなたがキリスト者なら、自分の生きる全ての時と場所において神の語りかけを感じましょう。あなたが神に近づけば、神は更にあなたに近づいて下さいます。

あなたが未だこの方を受け入れていないのなら、今すぐにでもイエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも複数の水路の上に植わる木になってください。

今日もこのブログを読んで下さって有難うございます。

皆さんの上にわたしの愛する神、主イエス・キリストがその栄光を現してくださいますように。

(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html







posted by モトイ at 14:17| 千葉 雨| Comment(2) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする