2009年11月11日

神の御心を判断するには?

 神は私たち一人ひとりに対して計画を持っています(エレミヤ書29章11節)。しかし私たち人間は罪により神から離れ、ついつい自分の思いで行動してしまい勝ちです。そこで信仰深い人々は神の御心を求めながら祈りつつ生活するのですが、神の御心を知るには具体的にはどうすれば良いのでしょうか。そのヒントが古代イスラエルのサウル王の物語の中に隠されています。

 サウル王はイスラエルの初代君主でした。彼は預言者サムエルから王としての儀式を受ける際に次のように言われました(第一サムエル10章6節7節):

「主(神)の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。
このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです。」


 ところがサウル王は神の御心を損ねてしまい、王位から退けられます。彼はペリシテ人との戦いの際に、祭司である預言者サムエルが捧げるべき神へのいけにえを自分で捧げてしまいました。その理由は、サムエルが約束の日を7日も過ぎてもやって来ず、兵士の士気が下がり中には故郷へ帰ってしまう兵士も出てしまったからです。後にサムエルはこのことをサウル王に叱責しますが、サウルは次のように言い訳しています(第一サムエル13章12節):

「今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」


 約束の時間に遅れたのは預言者サムエルの方です。しかもサウルは政治家としても国家を維持しなければなりません。そこで神へのいけにえの儀式によって軍をまとめました。以前サムエルは確かに君主となるサウルに「手当たりしだいに」何でもしなさいと助言しました。しかしサウルが「思い切って」捧げたいけにえは神の御心を損ねました。「思い切って」いけにえを捧げ、兵士が逃げるのを食い止めたばかりかかえって彼らを結束させたというのに、なぜ神の御心から反れたのでしょうか。この二つの表現の違いには、私たちが神の御心を探るヒントが隠されています。

 「手当たりしだいに」という表現は、旧約聖書の原語であるヘブル語ではいくつかの単語がつながって出来た文節です。その直訳は、「あなたの手が出会うものを」という意味になります。つまり神の御心にかなう行いとは、私たちが日々の生活の中で直面する様々な事態を一つ一つこなしていくことの中にあります。

 一方「思い切って」という表現は「アファク」というヘブル語の単語です。この「アファク」には、「強いられたように感じて」というニュアンスがあります。サウル王は兵士が散ってしまうのを防ぐために、状況から強いられて「思い切って」いけにえを捧げました。私たちが状況に強いられたように感じて「思い切って」飛びつく行為には神の御心はありません。

 さらにこの時、サウルが捧げたいけにえは、いけにえを捧げる目的である神を崇めるためになされたのではなく、政治的に執り行われたパフォーマンスでした。また彼が王としてするべき日常の業務からも大きく外れていました。この時点で彼の行為は神の御心から大きく外れてしまいました。何事でも神から離れてなされることは神の御心ではありません。例えそれが目の前にある状況から判断して最善のことであってもです。私たちが何か状況に強いられてあることに飛びつく時、神の御心を無視して行ってしまう可能性があります。

そもそも神とつながらずに何かを判断することは、私たちが世に惑わされる大きな切っ掛けになります。ところが神と常につながる人の心には、神の導きが強く思いとして現れます。ピリピ書2章13節は次のように教えます:

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。


 神の計画の中で歩むためには常に神との交わりを保ち、日々の生活の中で現れる諸事を淡々とこなす必要があります。そしてその中で神は語り、あなたの心に神の思いを与えるのです。神はあなたに今もこう語ります(エレミヤ書29章11節から13節):

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」


 神とつながり、神との交わりの中で日々を送ることが、私たちを平安の内に将来と希望へと至らせるのです。

 あなたはすでにこの方との関係を持っていますか。

 あなたがキリスト者なら、この方との交わりを常に維持し、常に大胆に神の前に出て歩みましょう。この方こそ私たちの平安であり、希望と将来です。

 あなたが未だこの方との関係が無いのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外に私たちの確かな導きはありません。一刻も早く人生で一番大切な決断を済ませてください。

 今日もこのブログを訪れて下さり有り難うございます。

 皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの平安が大いに降り注ぎますように。




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posted by モトイ at 13:00| 千葉 雨| Comment(1) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

聖書の言葉はあなたを変える

お早うございます。
モトイです。

教の皆さんの上に、神の確かな導きがありますように。

  聖書は神の言葉です。この言葉は私たちの周りや心の中で起きる様々なことを言い表します。新約聖書、ヘブル人への手紙4章12節は次のように教えます:

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。


 私は聖書がこの世の全てのことを説明できると信じています。それだけ聖書には神の知恵が凝縮されています。しかしそれよりも驚くべきことは、この神の言葉は私たちの内に入ると生きて働くということです。使徒パウロがテサロニケという町で伝導したとき語った神の言葉もそうでした。パウロが語った神の言葉はテサロニケの人々の中に入り、生きて働き、彼らを変えたのです。第一テサロニケ2章13節は次のように教えます:

こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。


 このことは現代においても同じです。聖書の言葉を神の言葉として人が受け入れたとき、この言葉はその人の内側で働きその人を変えることが出来ます。なぜなら、神の言葉とはイエス・キリストのことだからです。イエスは神のことばがその人をきよめると教えています(ヨハネ15章3節)。

 古代イスラエル民族は神のことばを委ねられた人々でした。しかし彼らはその恵みをうまく用いることが出来ませんでした。イザヤ書48章17節18節は次のような神のことばを記録しています:

あなたを贖う主(神)、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。


 この時代のイスラエルの民は反逆の民でした。神のことばに従わず、この命令に「耳を傾けさえ」しなかったのです。もし彼らが神の言葉に「耳を傾けさえ」いれば、彼らのうちに神の言葉は入り、彼らは希望を保つことが出来たでしょう。しかし彼らは落胆しつづけたのです。なぜならこのとき彼らはイスラエルの地から遠く離れたバビロンに捕囚されており、彼らは目にするものからは何の希望も見出せなかったからです。それゆえ神はイスラエルの民に語りつづけたのが先の聖句です。

 この後、強大であるように見えたバビロン王国は、新興国メド・ペルシャのクロス王に滅ぼされます。そしてイスラエルの民は神の預言の通りに再びイスラエルの地に帰ることが出来ました。

 この出来事は現代の私たちにも通じます。私たちは聖書の言葉によって希望を持って生きることが出来ます。なぜなら聖書の言葉はイエス・キリストであり、この言葉は今も生きて働くからです。しかし私たちは、多くの場合この言葉を無視して目の前に見えることで一喜一憂しています。

 目の前に見える事態に関わらず、聖書の励ましは次のようにかたります:

エレミヤ書29章11節
わたし(神)はあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

ヨハネ14章27節
わたし(イエス・キリスト)は、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

ローマ8章28節
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

ローマ8章32節
私たちすべてのために、ご自分の御子(イエス・キリスト)をさえ惜しまずに死に渡された方(神)が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

ローマ8章37節
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方(神)によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

ピリピ4章13節
私は、私を強くしてくださる方(神)によって、どんなことでもできるのです。


これらの聖書の言葉は神の言葉としてそのまま受け入れるに値します。あなたの目の前の状況がどうであれ、あなたがこれらの言葉を信じるとき、神の言葉の奇跡はあなたのうちから始まります。信じることが出来ない時に信じることこそが、奇跡の始めなのです。

 あなたもイエス・キリストを信じて神と神の言葉の力を体験してください。

 あなたがキリスト者なら、すでにあなたの内で働かれている神の言葉に焦点を合わせ、この方の語り掛けを受け取ることによって力を受け取りましょう。この方を信じることがあなたに神の力の奇跡を体験させます。

 あなたが未だこの方を受け取っていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じることを強くお勧めします。目の前の自体を信じるのではなく、神と神の言葉を信じることでいのちを受けてください。



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posted by モトイ at 05:00| 千葉 晴れ| Comment(2) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

聖書の寸鉄48「揺るがされないあなたになるために」

 人には喜怒哀楽があるものです。しかし私たちはそれぞれ、何に喜怒哀楽を感じるかは異なっています。ある人はいつも楽しそうで、ある人はいつも怒っており、ある人は人生は悲しいものと達観していたりします。それぞれ同じ環境に置かれても、その人その人で心の持ちようは違います。古代イスラエルの賢王ソロモンは「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」と教えます(箴言4章23節)。私たちの心は周りから影響されやすいものです。しかし常に良い影響ばかりではありません。常に心を見張り、私たちの心を良い状態に保つのは、私たち自身の役目です。

 賢王ソロモンはまた、私たちがこの泉を撒き散らし、他国人が奪ってしまうことがあるとも警告しています(箴言5章15節-17節):

あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。
あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。
それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。


 他国人とは誰のことでしょうか。あなたの同朋ではない人々、あなたと価値観の異なる人々、あなたと喜怒哀楽の基準が違う人々のことです。またもっと深い聖書的な理解では、魂の敵である悪魔や悪霊のことでもあります。あなたがすでに受けている良いものから目をそらさせ、あなたを神の恵みから離そうとする勢力、それが聖書の言う魂の敵です。イエス・キリストは自分の来た目的と、サタンの目的について次のように言っています(ヨハネ10章10節):

盗人(悪魔や悪霊)が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。


 私たち人は、飼い主のいない羊のようにさまよっています。何を心の頼りにして良いのか分からず、目に付く様々な者を手当たり次第に心に入れてみます。しかしこころに平安が来ないのは、私たちの心からいのちの水を湧き立たせるお方はたった一人、イエス・キリストのみだからです。この方をこころに迎え入れることによって人ははじめていのちの泉を湧き立たせることが出来るのです。

ヨハネ福音書4章14節
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。


 人には喜怒哀楽があるものです。私たちは周りの世界から影響を受け、心を揺さぶられます。しかしイエス・キリストを救い主として信じる者は神の与えるいのちの泉を心の内に持ちます。この泉はあなたに力を与えます。この泉を頼ることによって私たちは周りの世界に翻弄されず、いつでも自分らしさを輝かすことが出来るのです。

 あなたもイエス・キリストを心に受け入れ、あなた自身の素晴らしさを輝かせて生きてください。

 あなたがキリスト者なら、すでに与えられているいのちの泉を湧き立たせ、イエス・キリストとともに世を照らす光として輝きましょう。あなたの心をしっかりと見張り、イエス・キリストの感動を湧き立たせましょう。この方こそ私たちの希望です。

 あなたが未だこの方とつながっていないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方こそあなたの心に欠けていた平安、心の支えです。一刻も早くこの方を受け入れ、魂の敵から心を守ることを決断してください。

 今日もこのブログを訪れて下さり有り難うございます。

 皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの恵みと導きが大いに降り注ぎますように。



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posted by モトイ at 14:16| 千葉 晴れ| Comment(0) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こんなとこにも洗脳の準備?!

お早うございます。
モトイです。

 昨日、久しぶりに東京の取引先へ向かう時に丸の内線に乗りました。そこで以前には無かった物が駅のホームにありました。それは大画面テレビでした。

以前から私はテレビが洗脳の道具であることを述べてきました。苫米地英人著の「洗脳支配」からの引用記事や、私自身の体験、インターネット放送での苫米地氏の発言をまとめたものと、アメリカからの情報などもありました。どれも衝撃的な内容ですので、下記にリンクを貼っておきます:

「洗脳支配」より:
(日本人愚民化政策の罠http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/112964936.html?1248843995

私の体験:
(洗脳支配の実例http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/124532851.html?1248849439

インターネット放送「博士も知らないニッポンの裏」より:
(オウムの洗脳と同じ技術が放送で使われている?http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/125826070.html?1250410755

アメリカからの情報:
 (「地上デジタル放送の利用価値」http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/115479134.html?1236769565

下の写真はは丸の内線新宿駅のホームにある大型テレビです:

丸ノ内線 新宿駅


この写真をよく見てください。隣の広告用スペースは空いています。景気が良くて広告主が溢れているならまだしも、広告主が激減しているこの不況時に、普通の広告スペースよりも値段の高い映像コマーシャルを地下鉄会社に依頼することができる企業がそんなに多いはずはありません。(下の写真は東京駅の大画面です。)

丸ノ内線 東京駅


 苫米地氏によると、私たちテレビの国の住民は、どんな人でもテレビを2秒見ればすぐにある特殊な脳波が現れるのだそうです。それは駅の大画面でも、該当の大画面でも、電車の中のテレビでも同じです。テレビは私たちを催眠誘導することができます。

これらの大画面テレビが、今すでに洗脳支配のために用いられているかどうかは分かりませんが、その舞台装置は着々と整えられているようです。

 黙示録には、いずれ現れる世界統一政府とそのリーダーである反キリストに対抗する2人の人物が登場します。彼らは3年半の間反キリストに対抗しますが、時が来ると反キリストは彼らを殺すことに成功します。その時彼らの死体を世界中の人々が3日間眺めると黙示録には預言されています(黙示録11章)。

これらのことが起こるには、ありとあらゆるところにテレビが設置されている必要があります。

そして黙示録の記述では、世界中の人々が死体を眺めながら彼らの死んだことを祝い、互いに贈り物を贈り合うとまで書いてあります(同11章10節)。聖書のこの預言によれば、このころには世界中の人々が洗脳支配の影響を受けていることが分かります。

目を凝らせば、終末のしるしはすでに現れています。

私たちは今こそ目を覚まさなければならない時に来ています。

今こそ聖書と聖書の神に信頼する時です。

あなたはすでにこの神との関係を持っていますか。

あなたがキリスト者なら、今日もこの神との交わりの内に導きを得ましょう。この方を通して世を見れば、私たちは安全に導かれます。この方を第一にしましょう。

あなたが未だこの方とのつながりを持たないのであれば、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外にあなたの安全は有りません。まだ時間のあるように見える今、あなたにとって一番重要な決断を早く済ませてください。

 

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posted by モトイ at 00:00| 千葉 晴れ| Comment(7) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

自ら助くる者を助けない天

 私が聖書に出会う前、「天は自ら助くる者を助く」と言う有名な言葉は聖書からの引用だと思っていました。しかしこれは19世紀後半に活躍したイギリスの作家、サミュエル・スマイルズの「自助論」に出てくる言葉です。そしてこの言葉は聖書の教えとは異なります。

聖書の教えでは、神に信頼するものに天は助けを与えるとなります。最初に神への信頼があり、その信頼があって行動することと、神より自分が先に出て行動することとは違います。

旧約聖書にはヤコブという人が出てきます。ヤコブという名前は「押しのける者」と言う意味で、彼が生まれたその時から双子の兄を押しのけて母の胎から出てきたことに由来します。

ヤコブはその名のごとくに他人を押しのけて自分で自分を助ける人でした。神の預言によりヤコブは、次男でありながら父の家を継ぐことになるはずであったのに、自分から兄の長子の権利を奪い、反感を買います。そして父が家督を譲る儀式の際には兄より先走って父から祝福を授かり、兄に殺されそうになります。

おじのところに逃げたヤコブはここでもひと悶着を起こしますが、全ての問題は彼が自分で自分を助けようとしたことが原因です。

神は私たちが神に心を向けない間中、私たちとそっくりな人を回りに送り、私たちが神を求めるように忍耐されます。

おじのところにいた時のヤコブもそうでした。彼は神さえも押しのけて自分の道を切り開こうとしましたが、彼とそっくりのずる賢いおじが彼を悩ましました。

ヤコブは後に故郷に帰ろうと決意します。故郷には兄が待っています。ひょっとしたら殺されるかもしれません。そこで彼は自分の羊たちを二つの群れにして進ませ、自分は一番安全な最後尾を進みました。それにも安心せずに、彼は野営をする際に自分の二つの群れに川を渡らせ、自分ひとりは川の手前で野営しました。たとえ兄が軍隊を連れて襲ってきて川向こうの自分の財産が奪われても、自分は命からがらでも助かると思ったからです。ここでも自分で自分を助けようとするのみで、神の助けを第一に求めませんでした。

ところがその夜、ヤコブは神の使いと戦う羽目になりました。この使いは受肉前のイエス・キリストであるとも言われています。

神の使いはヤコブに自我を捨てさすべく戦いますが、余りにもヤコブの我が強いのでとうとう夜明けになりそうになりました。そこで神の使いは彼が自ら我を捨てないと判断し、彼の腿のつがいを打ちました。このことによってヤコブは強制的に無力になり、自分で自分を助ける努力ができなくなりました。

この一夜の戦いは、ヤコブと神の使いとの祈りの戦いとして理解できます。ヤコブはとうとう神によってへりくだらせられ、神から祝福を願う祈りをしました。

夜が明けて彼は現実に直面しなければなりませんでした。兄が400名の人数で彼を迎えに来るというのです。

しかし神との関係を築いたヤコブは昨日までの「押しのける者」ではなくなっていました。彼は自分の現実から逃げることをせず、群の先頭を歩いて行き、片足を引きずりながら兄と対面したのでした。

彼が殺されるかもしれないと思っていた兄は喜んで彼を歓迎し、兄弟は感動的な対面をすることができました。

神を押しのけて自分を助けようとするヤコブの姿は、現代人の姿とオーバーラップします。私たちは神を無視して自助努力をしますが、常に不安に陥ります。神を押しのけたこのような自助努力を、聖書は「肉」と表現します。イエス・キリストはいのちを与えるのは神であって、肉は何の益ももたらさないと教えます(ヨハネ6章63節)。

ヤコブが神に出会って大胆さを得たのは、神が与えるいのちに触れたからです。このいのちは私たちを大胆に行動させます。

私たちに必要なのは神無しの努力なのではなく、神に出会っていのちを受け、大胆に行動することなのです。

あなたもこの神に出会っていのちを受け、大胆に行動する者となってください。

あなたがキリスト者なら、この方のいのちをさらに豊かに受け、大胆に行動して行きましょう。この方が私たちの道であり、真理であり、いのちなのです。

あなたが未だこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。神無しの努力は終わりにして、いのちの中に入ってください。

今日もこのブログを訪れてくださり有り難うございます。

皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの豊かないのちが降り注ぎますように。


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posted by モトイ at 13:00| 千葉 曇り| Comment(13) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

哲学者の思いついた矛盾:土屋賢二氏のエッセイより

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の愛が豊かに降り注ぎますように。

 御茶ノ水女子大学哲学科の土屋賢二教授は、ユニークなエッセイを書くことで人気が有ります。私も彼のエッセイは大好きで、よくお腹を抱えて笑います。実に馬鹿馬鹿しいことを大真面目で論じる彼のスタイルは、笑いによってストレスを吹き飛ばしたい人にはお勧めです。
さて土屋氏エッセイ集に矛盾を扱ったエッセイがあり、その中の一つの矛盾の例になるほどとまじめに考えさせられました。土屋氏は人が矛盾をどう扱うかを取り上げているので、その矛盾自体の説明はなされていません。しかしこの矛盾は、人が単なる物質的な存在では無いことの証明にもなると思います。以下にその箇所を引用いたします(「われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う」p.244):

(引用始め)
たとえば、原子は無生物である。無生物の原子を集めても無生物のままである。(なぜなら、寄せ集める前に含まれていなかったものは、だれかがこっそり混ぜたのでない限り、寄せ集めた後にも含まれないはずだからである)。したがって、生物は原子から出来ているのだから、無生物だということになる。
(引用終わり)


 ところが生物は無生物ではないので、ここで矛盾が生じる、というのが土屋氏の論旨です。この後エッセイは矛盾をどう扱うかに話題は流れて、さらに別の矛盾へと移っていきます。しかしこの矛盾は、人間が霊的な存在であり、単なる原子の寄せ集めでは無いことを言い当てていると思います。

 聖書の天地創造の記述の中で、神が最初の人アダムを造った箇所に以下のようにあります(創世記2章7節):

その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。


 まず神は人を形作られますが、そこにはいのちはありませんでした。言わば原子の寄せ集めです。その人の形にいのちが宿ったのは、神が「いのちの息」を吹き込まれてからです。

 土屋氏が言うように、原子の寄せ集めで成り立っているはずの人間の体にいのちがあるというのは、誰かがこっそりといのちを吹き込まないとそこにあるはずはありません。聖書は神がいのちの息を人に吹き込んだのだと教えます。

 私たち人間は沢山の原子の寄せ集めのような、単なる物質的な存在なのではありません。私たちは神によって作られ、いのちの息を吹き込まれ生きるようになった存在です。私たちは神によって造られたのです。

 私たちが神によって造られたということは、神が私たちの存在を求めていたということです。誰にも求められずに生まれて来た者はありません。たとえ不幸にも両親に望まれないまま生まれてきた子供でも、その子供を望んでいた方がいます。神である全能なる創造主が、その子供を望まなければその子は生まれることさえ不可能なのです。

 では神はなぜ私たちを求めていたのでしょうか。それは愛するためです。聖書は神は愛であると宣言します。しかし愛には愛する対象が常に必要です。私たち人間は、神に愛されるために、神によって造られたのです。それゆえに神の愛を受け入れることなしには、私たちの存在理由はなくなってしまいます。

 現代社会は生きる意味を見失った人が大勢存在します。彼らの個々の問題は千差万別で、それぞれが違った問題を抱えているように見えるかもしれません。しかし根本的な問題は、私たちの存在理由である、神の愛を拒絶してしまっていることが原因です。

 あなたには生きる理由がありますか。もしそれを見失っているのなら、その原因はあなたが神を見失い神の愛を受け取り損ねていることが原因かもしれません。

 イエス・キリストを信じ受け入れ、あなたも神の愛の中で生きる意味を取り戻してください。

 あなたがキリスト者なら、今日も神の愛の中でいのち豊かに生きていきましょう。この方の愛の中にいることが私たちの砦です。

 あなたがまだこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方の愛を受け入れることは、私たちが生きる意味を見出す鍵です。



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2009年11月07日

勝手にシャバット礼拝13

こんにちは。
モトイです。

勝手にシャバット礼拝させていただきます。

まずは賛美で心を主に捧げます。
ヘンデル 祭司ツァドク Zadok the Priest.wma
イギリスのキングジョージUの戴冠式のために作られた曲です。私たちが王である祭司であることも、王である主イエス・キリストによることです。そのことを思い、私たちの心を主に捧げましょう。

さて今日のメッセージのタイトルは「神より自分が強い人」です。27分のメッセージです。大好きな聖書箇所なのでついつい長くなりました。
励ましのメッセージです。
1107「神より自分が強い人」創世記40章.WAV

ちょっと多くなりますが、以下に聖句を載せます。一緒に礼拝してくださる方も、賛美だけ、あるいはメッセージだけ聞いてくださる方にも感謝します。

聖書箇所:創世記40章
40:1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と調理官とが、その主君、エジプト王に罪を犯した。
40:2 それでパロは、この献酌官長と調理官長のふたりの廷臣を怒り、
40:3 彼らを侍従長の家に拘留した。すなわちヨセフが監禁されている同じ監獄に入れた。
40:4 侍従長はヨセフを彼らの付き人にしたので、彼はその世話をした。こうして彼らは、しばらく拘留されていた。
40:5 さて、監獄に監禁されているエジプト王の献酌官と調理官とは、ふたりとも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはおのおの意味があった。
40:6 朝、ヨセフが彼らのところに行って、よく見ると、彼らはいらいらしていた。
40:7 それで彼は、自分の主人の家にいっしょに拘留されているこのパロの廷臣たちに尋ねて、「なぜ、きょうはあなたがたの顔色が悪いのですか。」と言った。
40:8 ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」
40:9 それで献酌官長はヨセフに自分の夢を話して言った。「夢の中で、見ると、私の前に一本のぶどうの木があった。
40:10 そのぶどうの木には三本のつるがあった。それが芽を出すと、すぐ花が咲き、ぶどうのふさが熟して、ぶどうになった。
40:11 私の手にはパロの杯があったから、私はそのぶどうを摘んで、それをパロの杯の中にしぼって入れ、その杯をパロの手にささげた。」
40:12 ヨセフは彼に言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるは三日のことです。
40:13 三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたをもとの地位に戻すでしょう。あなたは、パロの献酌官であったときの以前の規定に従って、パロの杯をその手にささげましょう。
40:14 あなたがしあわせになったときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から私が出られるようにしてください。
40:15 実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は投獄されるようなことは何もしていないのです。」
40:16 調理官長は、解き明かしが良かったのを見て、ヨセフに言った。「私も夢の中で、見ると、私の頭の上に枝編みのかごが三つあった。
40:17 一番上のかごには、パロのために調理官が作ったあらゆる食べ物がはいっていたが、鳥が私の頭の上のかごの中から、それを食べてしまった。」
40:18 ヨセフは答えて言った。「その解き明かしはこうです。三つのかごは三日のことです。
40:19 三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたを木につるし、鳥があなたの肉をむしり取って食うでしょう。」
40:20 三日目はパロの誕生日であった。それで彼は、自分のすべての家臣たちのために祝宴を張り、献酌官長と調理官長とをその家臣たちの中に呼び出した。
40:21 そうして、献酌官長をその献酌の役に戻したので、彼はその杯をパロの手にささげた。
40:22 しかしパロは、ヨセフが解き明かしたように、調理官長を木につるした。
40:23 ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。

イザヤ書2章22節
鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。

ルカ23章39節-43節
23:39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。
23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
23:43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

創世記41章14節-16節
41:14 そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た。
41:15 パロはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。あなたについて言われていることを聞いた。あなたは夢を聞いて、それを解き明かすということだが。」
41:16 ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」


創世記41章33節-35節
41:33 それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。
41:34 パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。
41:35 彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。

創世記41章37節
このことは、パロとすべての家臣たちの心にかなった。

創世記41章38節-39節
41:38 そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」
41:39 パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。

Uコリント10章18節
自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。






posted by モトイ at 15:02| 千葉 晴れ| Comment(2) | 礼拝メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「モーシェ君、冬の季節の準備をする!」

お早うございます。
モトイです。皆さんご機嫌いかがでしょうか。


さて、モーシェ君が早くも冬の到来の準備をしているというのですが・・・



どこですか?
ずん わかりますかねぇ〜



もうちょっと近づいてみましょう
ずんずん 猫探し上級者の方はそろそろ・・・


分かりますか?


いったいでも何をしているんでしょうか・・・


冬の準備って・・・
ずんずんずんずん あっそうか!


そうだったんだ!



モーシェ君は準備をしてるんですよ!
ずんずんずんずんずんずん こうやって目をパッチリと開きながら!


冬の時代の到来を見張っているんですっ!



さすが聖書猫!
きゃー! イエス様のご命令を守ろうと

時のしるしを見分けようとしているんです!


マルコ16章3節
「…そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。」


そうか・・・(じ〜ん)。


モーシェ君はやっぱり普通の猫じゃないんだ・・・(しみじみ)。


そうなんです。

主が私にくれたんですから。そんじょそこらの雑種じゃないんです!


神の目にも私の目にも、モーシェ君は高価で尊いのです!


今日もモーシェ君を見て頑張ろうと思わされる私でした……。



っと言うことでツーショット!
俺たち変顔兄弟! ダブル変顔です!(ぺろりん♪)


ではまた来週ぅ〜。




posted by モトイ at 05:00| 千葉 晴れ| Comment(4) | 聖書猫、モーシェ君が行く! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

聖書の寸鉄47「あなたのいるべきところ」

 新約聖書の書かれた言葉であるギリシャ語の単語に「ケイーマイ」という単語があります。この単語はイエス・キリストが生まれてすぐに飼葉おけに寝ていた記述の中で、「寝る」という意味で使われています。この時「ケイーマイ」はゆったりとリラックスして「横たわる」という意味で使われています(ルカ2章16節)。

 同じ章の中でこの「ケイーマイ」は別の意味で用いられています。それは以下の聖書箇所です(ルカ2章34節):

また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。…」


 シメオンはこの中で、イエスがイスラエル人の多くが倒れまた立ちあがり、反対を受けるしるしとなるように定められていると預言して言いました。このときの「定められる」という言葉が「ケイーマイ」です。

 イエスが定められていたのは、人類の救いを完成するために十字架で死を体験されることでした。イエスは罪が無いのに罪ありとされ、十字架上で人々に馬鹿にされののしられ、自分の弟子たちからも見放されてひとりにされました。そのような定めにあったイエスを、リラックスして横たわると言う意味もある「ケイーマイ」で表現してあるのは、彼の定めが神の計画の内にあったからです。

 誰でも人には神の計画があります。しかし人は神から離れてしまっているので、神の計画が分からないばかりか、神のことさえ見えなくなってしまっています。人は神から離れてしまったゆえに、自分の道を自分で切り開こうとしてもがきます。少しはうまく行く人もいるでしょうが、しかし神から離れた人生は結局は滅びに至ります。そのような人生には安心して横たわるような平安は有りません。

 しかしイエスのように、神との関係の内にある定めに従う者は、神の計画の中で安心して身を横たえることが出来ます。イエスの弟子であり、度重なる迫害や苦難の中にあった使徒パウロは次のように断言しています(ローマ8章35節〜37節):

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。


 実際パウロが受けた艱難は凄まじいものでした。その中にあってこのように宣言できるのは、彼がキリストと共にある平安を受けていたからです。キリストに対する感動は、彼がどんなに苦難に遭遇してもそれをものともしないほどに彼を強くしていたのです。パウロはさらに次のように続けて宣言しています(38節39節):

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

 あなたは今どこにいますか。あなたが今どのような環境にあったとしても、神の定めを受け入れるのならば平安の内にどんな難局をも乗り越えることができるのです。

 あなたは神とともにこの世を生きるように作られているのです。この定めを受け入れて、神との交わりの中で平安の内にあなたの人生を歩んでください。

 あなたがキリスト者なら、今日もあなたへの導きを受け取るために、神との交わりの内を歩んでいきましょう。この方は必ずあなたを平安とともに導きます。

 あなたがまだこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエスキリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。人は神とともに歩むように作られています。この定めから逃げることなく、神の平安を受け入れてください。

 今日もこのブログを訪れてくださり有り難うございます。

皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの確かな導きがありますように。


神と人の本当の関係.WAV




(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html




posted by モトイ at 13:00| 千葉 霧| Comment(7) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アメリカ社会の変貌:「ラスト・トランペット・ニュースレター」誌より

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の祝福が豊かに降り注ぎますように。

 アメリカの牧師、デイビット・メイヤー氏の「ラスト・トランペット・ニュースレター」の続きです。今回はアメリカ社会の変わりようをいくつかご紹介します。(「ラスト・トランペット・ニュースレター」誌のサイト 英文 http://www.lasttrumpetministries.org/

10月3日の時点でアメリカの銀行破綻は98行にのぼったそうです。メイヤー氏は経済的な荒廃により、人々は暴動寸前の状態だと述べます。

9月下旬、G‐20サミットがピッツバーグで開かれました。その時集まった群衆はその怒りを参加指導者たちに叫んでいました。その時、アメリカ史上でいまだかつて無かったことを米軍は行ったそうです。それは、聴覚兵器の米国市民に対する使用だったそうです。

メイヤー氏によるとこれらの兵器はイラクなど国外の戦争地域で使用されていたもので、150デシベル以上の耳をつんざくような音がしたといいます。150デシベルと言うのはジェットエンジンの音よりも大きな音だそうです。

そしてその大音響と共に、厳格な声で行動をやめるように命じる声が頭の中に染み込むようにして入ってきたそうです。メイヤー氏は以前から主張していた、「市民の最も強大な敵は国家である」と言うことばが実現しつつあると述べています。

ここでメイヤー氏はまた別の話題に移ってしまいますが、この兵器についてはかつても「ラスト・トランペット・ニュースレター」誌で取り扱っています。これは洗脳兵器です。とうとうアメリカは市民運動にまで洗脳兵器を使い出したようです。このブログでも何度かご紹介していますので、さらに知りたい方は下記をご覧下さい(「地上デジタル放送の利用価値」http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/115479134.html?1236769565

10月8日付けのAP通信が、アメリカの警察官の最近の活動を報じたそうです。そのプログラムは“ストップ&フリスク(止めて身体検査)”と呼ばれるもので、市民を道で無作為に呼び止めて、凶器を持っていないかを調べるのだそうです。もうすでにあちこちの都市で100万人以上が何の理由も無く検査されているとのこと。いまアメリカは、分からないように少しずつ警察国家になりつつあるようです。

メイヤー氏はドル紙幣は色々な意味で呪われていると言います。科学者のグループがアメリカの13の都市に流通していたドル紙幣を調べたところ、その90%から微量のコカインが検出されたとのことです。メイヤー氏はそれ以上言及してませんが、本当に呪われた通貨であると思わせられます。

目を開けば世の終わりのしるしはすでに現れています。しかしそれでも目を覚まさないでいるのなら、「平和だ。安全だ」と言っている時に突如として破滅がその人の上に襲い掛かります(第一テサロニケ5章3節)。

私たちは今こそイエス・キリストに導かれた歩みが必要なのです。

あなたがキリスト者なら、今日もこの方にしがみつき、全ての時間をこの方と共に過ごしましょう。この方こそ神の知恵、私たちの希望です。

あなたが未だ神とつながらないのであれば、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。時間があるうちに人生で最も重要な決断を早く済ましてください。


神と人の本当の関係.WAV




(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html


posted by モトイ at 05:00| 千葉 | Comment(0) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

アメリカワクチン情報:「ラスト・トランペット・ニュースレター」誌より

 アメリカの牧師、デイビット・メイヤー氏の「ラスト・トランペット・ニュースレター」からの情報の続きです。今回は新型インフルエンザワクチンについてです。(「ラスト・トランペット・ニュースレター」誌のサイト 英文 http://www.lasttrumpetministries.org/

メイヤー牧師は今まで、新型インフルエンザが人口削減の目的のために試験管の中で作られたと主張し、それを証拠付けるデータを挙げてきました。今アメリカではワクチン接種が開始されています。政府はワクチンが完全に安全であると説明するものの、多くのアメリカ市民がそれに疑いを持ち始めているのだそうです。

ニューヨーク州の医療関係者に対するワクチン接種の義務化の問題で、多くの医療関係者がワクチンの接種に抵抗しているとのことです。彼らは純粋にワクチン自体が危険であると拒否しているのであって、人口削減問題云々とは関係なく行動しているとのことです。しかし、多くの人々が目覚めつつあるとメイヤー氏は述べています。

9月25日付のロサンゼルスタイムズ紙には大多数の子供の親が、自分の子供に対する新型インフルエンザの予防接種を拒否している状況が報じられたそうです。ワクチンを受け入れているのは40%ほどの親しかいないとのことです。ワクチンの含有物に対する危険性に親たちも警戒をしだしています。

メイヤー氏は政府系の2つのリサーチが、近年の自閉症の子供の増加を指摘していると述べます。かつて160人に一人の割合が、今は100人に1人の割合まで上昇したとのことです。メイヤー氏は色々な種類のワクチン接種が子供の自閉症を引き起こしたと断言しています。

さらにメイヤー氏は驚愕の新情報を紹介しています。かつてこのブログでも取り上げた、超微粒子マイクロチップ技術についてです。以前ご紹介した時は未だ研究段階であったようですが、ついに特許を取得したそうです(以前の記事は「666の刻印、マイクロチップ開発状況報告!」http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/126441791.html?1251171118

ヴェリチップ・コーポレーション社(VeriChip Corporation)は、アメリカで唯一医療用のマイクロチップの開発を許可された企業です。その企業が2つの特許を取得したそうです(特許番号7504364と7469076)。

以前ご紹介したようにこの技術は任意で人にマイクロチップをインプラントすれば、チップがその人の健康状態を見極め、巨大な情報システムに情報を管理させることができるものです。しかもこのマイクロチップはなんと、H1N1ウィルスも検知できるそうです。メイヤー氏は、「ここで当然疑問に思わなければならないことがある。それははどうしてチップがウイルスの特定などできるのかということだ。(人口削減にまつわる)ウイルス計画が存在しなければチップをプログラミングすることはできないはずだ」と指摘しています。

911以来世の中がめまぐるしく動いているようです。全てのことは偶発的に起きているように見せかけています。しかし目を開ければ終末の世のしるしはもうすでに現れています。流れに流される人々は聖書の警告のごとく、「平和だ。安全だ」と言うその中で突然滅んでいくことになります(第一テサロニケ5章3節)。

今こそ私たちは聖書と聖書の神に立ち返らなければなりません。

もしあなたがキリスト者なら、神の知恵であるイエス・キリストとの交わりの中で確かな導きを受けましょう。この方こそ私たちの救いの岩です。

もしあなたが未だこの方との関係を持たないのであれば、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外には救いは有りません。早くこの方の側につく決断をしてください。

今日もこのブログを訪れてくださり有り難うございます。

皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの知恵と導きが大いに降り注ぎますように。



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posted by モトイ at 14:30| 千葉 | Comment(0) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グローバリストらが性的不品行を広める霊的な意味:「ラスト・トランペット・ニュースレター」誌より

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に神の豊かな祝福がありますように。

 デイビット・マイヤー牧師の「ラスト・トランペット・ニュースレター」の11月号にこれから来るワン・ワールド・政府の恐ろしい聖書的な考察が載っていますのでご紹介します。(「ラスト・トランペット・ニュースレター」誌のサイト 英文 http://www.lasttrumpetministries.org/

 マイヤー牧師以外にもこの点を指摘した聖書研究家は何人か知っています。それは、これから来る世界政府は性的な不品行を推奨することになるだろうと言う指摘です。そのことがどうして悪魔の側に必要なのかを今月号の「ラスト・トランペット」は聖句によって説明しています。

 このブログでも何度もご紹介したように、世の終わりには世界統一政府が出来ます。そして世界統一キャッシュレス経済システムが成立します。さらに思想統制である世界統一宗教がやってきます。メイヤー牧師はここでサタンは彼らの側に連なる人間が、組織や思想において統一されるのを望むだけでなく、肉体や霊においても統一されることを企んでいると述べます。そして第一コリント6章16節を引用して説明します。その聖句は以下のように記されています:

遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。


 遊女は何人もの男性と寝ます。そして肉体的にも霊的にも、遊女はそれらの男性と一つになります。そんな遊女とまた別の男性が寝ると言うことは、その男性は遊女と一つになるだけではなく、その遊女と寝た全ての男性と一つになり、さらにその男性たちが寝た全ての女性たち、そしてその女性たちが寝た全ての男性たちと一つになり、さらにその先にいる女性たち、さらにさらに……、と続きます。こうしておそらくフリーメーソンである笹川良一がかつてテレビコマーシャルで言っていた「世界は一家、人類はみな兄弟」が実現していくのです。冗談めかして書きましたが、冗談抜きで背筋が凍る話です。サタンが性的不品行を、ハリウッドやポルノ雑誌などのあらゆる武器を通して蔓延させているのはこのような目的があったのだと、メイヤー牧師は述べています。

 そしてメイヤー牧師はここでAFP通信の記事から引用します。それは今年の9月23日のニュースで、イギリスの大手薬局チェーンのロイズ・ファーマシーが性病の危険性を訴えるためにした調査の結果についてです。

 ロイズ・ファーマシーはオンラインで調査した結果、イギリスの男性は平均で9人の女性と性的交渉があり、女性は平均で6人の男性と性的交渉があったそうです。さらに計算の結果、それらの回答ボランティアたちは一人2,800,000人(二百八十万人)とつながったことと同じ計算になるのだそうです。もうすでに「人類はみな兄弟」状態です。

 この記事の最後にメイヤー牧師が述べたことは重要です。もしあなたが本当のキリスト者なら、イエスの救いはあなたの過去を洗い聖めました。

 イエス・キリストの血潮による洗いのみが私たちを聖めます。あなたもこの方を信じて神の救いと聖めの中を歩んでください。

 あなたがキリスト者なら、今日もこの方にしっかりとつかまり、聖なる者としての大胆さの中で神と交わりましょう。この方は私たちの神、私たちの砦です。

 あなたが未だこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方以外に救いはありません。未だ時間のあるうちにこの方の側に立つ決心をしてください。




神と人の本当の関係.WAV




 (「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html




posted by モトイ at 05:00| 千葉 曇り| Comment(5) | 終末のしるし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

イエスの中でいのちを得る?

 世間では時々、「人のいのちは地球よりも重い」と言う表現をします。この時の「いのち」は生物学的に言うところの生命のことです。あたりまえのことを言うなと仰る方もいるかもしれませんが、聖書の言う「いのち」には、生命と言う意味の他にも意味があります。ヨハネによる福音書の20章31節には次のようにあります:

しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。


 福音書の書かれた目的が、人がイエス・キリストを信じていのちを得るためであると述べています。このいのちは生命と言う意味ではなく、活き活きとした生きる活力のことを言っています。そして人がその活力を得るためには、イエス・キリストを信じる必要があることを教えています。

 世の人は自分が生命があるため当然生きていると思っています。しかし聖書的に言えば永遠のいのちが本当のいのちなのであって、生命学的ないのちはいずれ死んでしまういのちで、いま滅びつつあるいのちなのです。

 「イエスの御名によっていのちを得る」とかいてある箇所の「によって」にあたる原文のギリシャ語は「エン」という単語が使われています。この「エン」は「〜の中に」という意味でも使われる前置詞です。つまり聖書は私たちが活き活きと生きるためにはイエス・キリストの名前の中にどっぷりと浸かることを教えています。それはどう言う意味でしょうか。

 聖書の中で名前は単に固有名詞のことを指すのではありません。それはその人の全部を表します。たとえば新約聖書にはサウロと呼ばれる人が出てきます。この人はキリスト者が大嫌いで迫害をしていた人です。しかし彼は十字架上で死んでよみがえったイエス・キリストに出会い、キリスト者としての信仰の道に入ります。そして後にパウロと呼ばれるようになりました。サウロとはシャウールと言うヘブライ語で、「偉大なる者」という意味です。一方パウロとはギリシャ語で、「小さき者」という意味があります。神であるイエス・キリストを拒絶していた時のパウロは自分が偉大な者でした。しかしキリストに出会った後の彼はキリストが偉大なのであって、自分は神の前にへりくだった者となったのでした。このように聖書の中で名前はその人の全部、すなわち全人格を表します。

 では「イエス・キリストによっていのちを得る」とはどう言う意味でしょうか。イエス・キリストの全人格の中に活き活きとしたいのちがあるのでしょうか。

 そうです。私たちはイエス・キリストの全人格の中に浸ることによっていのち豊かにされるのです。

 私たちは生きて行く時に色々な場面に遭遇します。嬉しいことや楽しいことばかりではなく、辛いことや悲しいこともあります。そのような私たちの人生の中の喜怒哀楽の中で、イエス・キリストは私たちと一緒にその喜怒哀楽を共有してくださる神なのです。私たちが自分の感情を自分だけで抱えず、イエス・キリストにも共有していただく時、私たちはイエスの全人格の中に身を委ねることが出来るのです。聖書もイエスのことを表現して次のように言っています(ヘブル書4章15節16節):

私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。


 イエス・キリストはいのちそのものです。そしてさらに偉大なのは、この方は私たちとその全人格を共有してくださるということです。

 あなたも自分の人生の中でイエス・キリストに出会い、この方から活き活きとしたいのちを受け取ってください。

 あなたがキリスト者なら今日もあなたの一日に主を迎えましょう。あなたの弱さも辛さも全てさらけ出し、イエスとの全人格的な交わりを楽しみ、いのちを得ましょう。

 あなたが未だこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることをお勧めします。滅び行く生命にしがみつく人ではなく、豊かないのちを持つイエス・キリストにしがみつく人になってください。

 今日もこのブログを訪れて下さり有難う御座います。

 皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの豊かないのちが降り注ぎますように。





神と人の本当の関係.WAV




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posted by モトイ at 15:28| 千葉 曇り| Comment(0) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プラス思考と聖書の教えの違い

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の大いなる栄光が輝きますように。

 西田文郎著の「bP(ナンバーワン)理論」によると、動物にはマイナス思考はないそうです。マイナス思考とは言葉があり過去の経験を自己評価する人間だけにあるものだそうです。たとえばライオンは例え狩に何度失敗しても、次の機会には再び全力で狩をすることができるということです。

 ところが人間はと言うと、幼い頃からはじまる過去の失敗の膨大なデータベースが、その人の行動の大部分を支配するのだそうです。勉強ができない子は頭が悪いのではなく、かえって頭が良いために、過去の記憶から勉強をしないで叱られたことなどのマイナス感情を持ってしまい、勉強したくなくなり、その結果勉強ができないという結果が生まれるということです。

 同書ではこれらのマイナスの思考を止めるためには、ウキウキわくわくすることを考えると言うことを提唱しています。そうすることによって自分自身のマイナスをプラスに変え、積極的な思考を習慣付けるのだそうです。ただ積極的な思考を自分に強制しても、すぐに反動でマイナス思考が返ってきます。そのために感情でウキウキわくわくするように自分を持っていくのだそうです。

 先日の小林正観氏の口癖に関する著書にしてもそうでしたが、やはり世の自己啓発書には決定的なものが欠けています。私たち人間は自分の努力で自分を変えようとします。しかしそれには限界があります。ある程度うまく行くでしょうが、結局は滅びへ向かいます。私たち人間にまず必要なのは、自分自身のアイデンティティーを変えること。いいえもっと正確に表現すれば、自分自身のアイデンティティーを取り戻すことです。すなわち罪の赦しを受け取り、聖なる者として聖霊なる神の内住者、つまり神の神殿となることです。

 聖書には神との関係を取り戻した人間について以下のように表現しています:

神は、罪を知らない方(イエス・キリスト)を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(第2コリント5章21節)

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。(第一コリント6章19節)

しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1章12節)

世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(第一ヨハネ5章5節)


 イエス・キリストを信じて神につながる者は神の義と呼ばれます。そして聖霊なる神の住む神殿であり、神の子供であり、世に打ち勝つ者です。本当の自己改革はこのような人間本来のアイデンティティーを取り戻した所から始まります。そして聖書はそのような者たちの自己改革を次のように表現しています(第2コリント3章18節):

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。


 人が本当に変われるのは、神との関係がその人を変えるからです。聖霊なる主なる神の働きに因らなければ、人は変わることができません。人は神の栄光を見れば見るほど、その栄光の姿を自分自身にも映すことができます。人は本来、神を見る鏡なのです。

 あなたもイエス・キリストによって本当のアイデンティティーを取り戻し、神に変えられて下さい。

 あなたがキリスト者なら、今日もあなたという鏡を主なる神に向けましょう。この方の栄光をあなたに移し、神の栄光を味わい続けましょう。

 あなたが未だこの方との関係を持たないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方だけがあなたに、本当のあなたの姿を取り戻させることができます。




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posted by モトイ at 05:00| 千葉 晴れ| Comment(9) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

口癖効果と聖書の教えの違い

 小林正観という人の本を読みました。この方はご自分でも唯物論者だと言っていますし、内容もまじない地味たことばかりなので読むことはお勧めしませんが、興味深い話が載っていました。それはホスピス(終末医療)をしている病院の院長さんの話で、乳がん、子宮ガン、卵巣腫瘍にかかった女性に共通の口癖についてでした。

 乳がん、子宮ガン、それと卵巣腫瘍は女性特有の病気です。その女性特有の病気にかかる女性の共通の口癖とは、女性であることを後悔したり、不満に思ったり、男性をうらやましがったりといった、女性であることがマイナスであるというような口癖だそうです。たとえば、「女に生まれて損をした」とか、「男の人はうらやましい」とか「男なら良かったのに」などという言葉です。

 聖書には人はその口の結ぶ実によって収穫を得ることが書いてあります(箴言18章20節)。女性であることを自分で打ち消しながら生きていくうちに、体はその言葉の通りに自分を打ち消していくようです。

 世間では口癖の法則とか、積極的肯定的な思考のすすめなどが言われています。聖書にも随所に口の告白についての教えがされています。しかしそれらの似たような教えの中で聖書が際立っているのは、イエス・キリストを信じた者に対して約束された聖霊なる神の内住です。

 私たち人間はいくら良い口癖や積極的な思いを繰り返したとしても、自分の内側から悪い否定的な思いが湧いて出てきます。それは私たちのうちにある罪のゆえです。

 聖霊なる神は私たちのうちに宿り、内側から私たちを聖めます。私たち人間はイエス・キリストによって罪赦されその時から神は私たちを聖なる者として扱われます。そして聖霊の内住により私たちは内側から変えられ続けるのです。そのような人には聖書の次の言葉が成就します(ピリピ2章13節):

あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。


 神との交わりが進むにつれて、救いを受け入れたときよりも自分の抱える問題が大きくなったように感じる時があります。その原因をこの世的に探れば、自分が悪かったり他人に責任があったり思えるかもしれません。しかしイエス・キリストを信じた者はここに信仰を働かせるのです。すなわち全知全能の神の導きは常に善であって、常に完全であるという信仰です。たとえ自分の目の前にある自体が自分の思うような状態でなかったとしても、それでも受け入れて行くのが信仰者の積極的肯定的な信仰です。誰が悪いとか何が原因だとかの責任追求をするのではなく、人の心や自分の心さえも支配される神を信じて全て受け入れてしまうのです。

 人はこのように神と交わりながら自分の思いや願いを神によって聖められ、神によって導かれて行くのです。

 単に積極的、肯定的な告白はお経やまじないと同じです。たとえ少しはうまく行ってもあなたを変えることは出来ません。あなたの思いは罪の汚れからは聖まりません。あなたを聖める方は神である救い主、イエス・キリストのみです。この方を信じ受け入れ、聖霊なる神にあなたの内面を委ねましょう。

 あなたがキリスト者なら今日もあなたの内面の思いを聖霊なる神に明け渡しましょう。すべてのことを完全な形で導かれる神に信頼し、今のあなたとあなたの環境を信仰を持って受け入れましょう。

 あなたが未だこの方との関係を持たないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れるように強くお勧めします。イエス・キリストに罪赦された人として歩み、聖霊なる神との交わりの中で変えられて行きましょう。

 今日もこのブログを訪れて下さり有難う御座います。

 皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの栄光と誉れが大いに輝きますように。


神と人の本当の関係.WAV





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posted by モトイ at 13:52| 千葉 霧| Comment(0) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたが叩かれる意味

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の愛と祝福が大いに降り注ぎますように。

 私は学生の頃、司馬遼太郎の歴史小説が好きでよく読みました。その中で確か、「竜馬がゆく」に書いてあったことだと思いますが、日本刀に関する面白い特徴が述べられていました。

 日本刀は1本1本刀鍛冶が鉄を叩いて作ります。中国や西洋の刀剣は鉄を高温でどろどろに溶かして、鋳型に流し込んで作ります。日本刀は叩いて作るので手間がかかります。鋳型で鋳造された刀剣は簡単に大量生産が出来ます。ところが出来上がった物を比べると、日本刀の方が断然強靭なのだそうです。しかも司馬氏によると、たとえ日本刀は過度に力が加わって曲がってしまっても、しばらくすると自然に元の形に戻るのだそうです。小説の中では、幕末の志士たちの切り合いで刀が曲がって、鞘に収まらなくなる場面が出てきます。しかしそんなことは当時しょっちゅうあったようで、持ち主は一晩刀を抜き身で放置しておいて、翌日に鞘に収めています。

 鉄は叩くと不純物が取り除かれます。不純物が取り除かれると鉄はさびることもないのだそうです。インドには何千年もの間、錆びていない鉄の柱があります。時々テレビで面白おかしく、怪現象や失われた超古代文明の技術、などと言うように扱われることもありますが、実の所その柱は鋳造された物ではなく、鉄を叩いて不純物を取り除いて作ったものだそうです。

 聖書にも三千年程前のソロモン王が、銀から不純物を取り除くことについて以下のように述べています(箴言25章4節):

銀から、かなかすを除け。そうすれば、練られて良い器ができる。


 このことは単に高級な銀食器について述べているのではありません。私たちの人生においても、神は不純物を取り除こうと、時に私たちを試練で叩くでしょう。叩かれれば痛いし反発心も出てきます。しかしもしその試練を神からのものとして受け止め、自分の中の不純物を取り除く時、私たちは高級な食器、強靭な刀になることができるのです。あなたの人生には晩年になっても錆が来ることも無いでしょう。

 神はあなたを大量生産の刀剣のように鋳造したのではありません。むしろ愛情を込めてあなたを叩き、あなたを芸術的な価値にまで高めようと、今も働いているのです。あなたが神を受け入れ、試練を受け入れる時、あなたはあなたの本当の価値を知るでしょう。神はあなたをご自分の芸術品として愛しておられるのです。

 イエス・キリストとともにあなた自身の価値を見つめなおしてください。

 あなたがキリスト者なら、今日もあなたに働かれる主の恵みを感謝しましょう。私たちはこの方に愛されています。

 あなたが未だこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。神はあなたを愛しておられます。この方の愛を受け取って下さい。




神と人の本当の関係.WAV



(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html




posted by モトイ at 05:00| 千葉 曇り| Comment(4) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

聖書の寸鉄46「なぜ人生に戦いがあるのか」

 戦国時代の武将の上杉謙信は、出陣する際にはいつも城に蓄えてあった食糧を領民に振舞い、大宴会を催したそうです。そのために領民たちは突然の出陣の合図に緊張はしても、ご馳走が食べられるということが脳裏に浮かび、自然と士気は高まったそうです。

 聖書の中で勇者として扱われるダビデ王も、神が敵の前で彼のために食事を整えてくださると告白しています(詩篇23篇5節)。神とダビデは戦いの前に、敵の前で悠々と宴会を張るわけです。

 私たちは日常生活の中で戦っています。ある人は仕事上の問題で戦い、ある人は金銭的なことで戦い、ある人は人間関係で戦っているでしょう。また、心や体の病で戦っている人々もいます。その戦いは時として私たちを打ち負かすかのように見えます。そして戦いを避けることは出来ません。なぜでしょうか。

 それは、その戦いが誰の戦いなのかをあなたが自覚するためです。その戦いはあなたの戦いではありません。あなたが戦っている以上、その戦いはあなたに覆い被さり続けるでしょう。その戦いは神があなたに、神の存在を気付かせるための戦いです。その戦いは主なる神のものなのです。あなたは神の存在を受け入れ、自分の戦いを神に委ねなければならないのです。聖書には次のように書いてあります:

主(神)はいくさびと、その御名は主(出エジプト記15章3節)。
主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない(出エジプト記14章14節)。


 優秀な人ほど自分自身で何とか戦おうとします。打ち負かされそうになっても、誠実な人ほどなおさら自分の力で戦おうとします。しかし最も素晴らしく、最も誠実な態度とは、自分の弱さ、つたなさを認め、自分の人生に神の介入を求めることです。

 神を受け入れた者にさえも戦いはあります。戦士であり勇士であったダビデ王も次のように告白しています(詩篇31篇22節):

私はあわてて言いました。「私はあなたの目の前から断たれたのだ。」と。しかし、あなたは私の願いの声を聞かれました。私があなたに叫び求めたときに。


 神を見つめながら歩んでいたダビデさえも、災いが襲ってきた時には神に見捨てられたと感じました。しかし彼は神に叫びつづけました。その理由は、彼が自分の戦いは自分では戦えないと知っていたからです。すなわち、どんな戦いもそれは主なる神のものなのです。

 あなたは今どんな戦いの中にいますか。もしあなたがその戦いを自分の戦いとするならば、あなたは孤軍奮闘し、援軍の来ないままに篭城しなければならないでしょう。しかしあなたの戦いを神に明け渡す時、あなたの戦いは神の手の中に返り、あなたは神とともに敵の前で大宴会をすることになるでしょう。

 イエス・キリストを受け入れ、この方があなたの人生に介入することを受け入れて下さい。

 あなたがキリスト者なら、今日もあなたの戦いを主に委ねましょう。主は必ずあなたを守り導きます。

 あなたが未だこの方を受け入れていないのなら、今すぐイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。この方のみがあなたの救いです。

 今日もこのブログを訪れて下さり有難う御座います。

 皆さんの上に私の愛する神、主イエス・キリストの祝福が豊かに注ぎますように。



神と人の本当の関係.WAV




(「あなたが救われるためには?」:http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html




posted by モトイ at 14:08| 千葉 曇り| Comment(2) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

希望の効用

お早うございます。
モトイです。

今日の皆さんの上に、神の恵みと祝福が豊かに注がれますように。

 ユダヤ系オーストリア人の心理学者、ヴィクトール・フランクルは自らの体験から、ナチスの強制収容所でユダヤ人の生死を左右したのは、体力でも精神力でもなく、希望だったと述べています。収容者は皆同じような境遇にありましたが、その同じ環境の中にあって最後まで希望を持ち続けることができた者だけが生き残り、希望を失った者たちは次々と病気や衰弱によって倒れていったそうです。この話から私たちは、希望が人に生きる力を与えることが分かるとともに、希望を失うと人はいのちをも失うことが分かります。

 それほど希望は私たち人間にとって重要なものですが、では希望とは何でしょうか。

 希望とは「望み」が「希(まれ)」であると書きます。この言葉からしてすでに私たちは、希望が叶うことが少ないことを潜在意識的に信じているようです。なぜでしょうか。

 それは私たちが目に見える世界を全ての世界だと考えるようになったからです。人は本来、神からの知識を与えられて生きるように、神によって造られました。しかし人は、神に食べてはいけないと命じられていた「善悪の知識の木の実」を食べ、神から離れました。このことによって人は自分が神のように振舞いだしました。そして今まで神から得ていた知識を、自分で手に入れるようになったのです。

 神には人には見えないものが見えます。それゆえ神から来る知恵や知識は人知をはるかに超えたものです。その神からの知識や知恵を持たなくなった人は、目の前にある情報に頼らざるを得なくなりました。そしてそれらの情報は全て部分的なものであり、移り変わりの激しいものです。ここに人が希望を持てなくなった原因があります。

 しかし聖書の教える希望はこの世の移ろいやすいものとは違います。新約聖書のテトス2章11節から13節は次のように教えます:

実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。


 聖書の中で希望、それも祝福された希望として教えられているのは、救い主であるイエス・キリストの栄光の現れのことです。この希望をこころに抱く者は今を生きるいのちがあふれます。そしてこの希望は、神からの恵みとして全ての人に与えられたのです。

 私たちがまず抱くべき希望は、イエス・キリストに出会うことです。それは生きている間に必要なことであり、死んで天国に行くためだけに必要なものなのではありません。イエス・キリストこそ、あなたに今必要な希望なのです。

 あなたもイエス・キリストを信じ受け入れ、希望といのちにあふれる日々を送って下さい。

 あなたがキリスト者なら、今日という日に主イエスと歩み、あなたの中にいのちと希望を満ちあふれさせましょう。この方こそあなたの希望です。

 あなたが未だこの方を受け入れていないのなら、今すぐにイエス・キリストを信じ受け入れることを強くお勧めします。目の前にあるものは移り行くものです。あなたに必要なのは、イエス・キリストという祝福された希望です。



神と人の本当の関係.WAV




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posted by モトイ at 05:00| 千葉 晴れ| Comment(2) | 細き御声 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

勝手にシャバット礼拝12

モトイです。

もう日没後ですが、シャバット礼拝をアップします。

まずは賛美です。心を主に捧げます。
バッハ カンタータ No. 147, 主よ、人の望みよ、喜びよ BWV 147- .wma

今日のメッセージのタイトルは「生きて働く神の言葉」です。18分です。励ましのメッセージです。
1031「生きて働く神の言葉」使徒16章25節〜34節.WAV

一緒に礼拝してくださり有り難うございます。
(メッセージだけ聞いてくださる方にも感謝します。)

以下に聖句を載せます:

聖書箇所:使徒16章25節〜34節
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
16:26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
16:27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
16:28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。
16:29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
16:30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
16:32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
16:33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
16:34 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。

第一テサロニケ2章13節
こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。

第一ペテロ4章10節
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。








posted by モトイ at 17:52| 千葉 曇り| Comment(2) | 礼拝メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

聖書猫、モーシェ君が行く!44「モーシェ君のお部屋訪問!」

お早うございます。
モトイです。皆さんご機嫌いかがでしょうか。




秋も深まり、陽だまりの心地よい日中…



モーシェ君のお部屋を訪問しました。



それはここです!



ピンポ〜ン
01ごめんくさい.jpg (・・・何?)

え。あの、ちょっとお部屋訪問って企画、しようかな〜なんて、思っちゃいまして・・・。



(・・・そう。入んなよ。)



(どうなのよ、企画。)

02これまたくさい.jpg あ〜、いろいろ考えてるんですけどねぇ〜。

やらせも潮時かなぁ〜なんて、思ってもいるんですぅ。


(・・・ん。わかって来たじゃん。)




(まあ、みかんでも食えよ。)
03あーくさい.jpg あ〜、有難うございます。

なんかキャラ変えてません?


モーシェ君にはこれがお似合いっすよ。


はい、十字架。
04やらせで十字架 .jpg やっぱ似合うぅ〜!

(を”ゐ!またやらせかよ!)




でも似合いますって。



よっ!聖書猫!




(ん?・・・まぁ、嫌いじゃないんだけどね。)

05えー加減にせい .jpg やっぱりモーシェ君はすごいっ!

さすが聖書猫!


人から負わされた十字架にも従順なんです。


今日もモーシェ君に教えられた私なのでした・・・。




特別大付録!


飛行中のモーシェ君の撮影に成功しました!


超極秘撮影ゆえに画像が見づらいことをお許しください。

飛行中のモーシェ君!! それではみなしゃん。

また来週ぅ〜。







posted by モトイ at 05:00| 千葉 霧| Comment(4) | 聖書猫、モーシェ君が行く! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする